憲法79条3項 (2003.07.20)
「前項の場合において、投票者の多数が裁判官の罷免を可とするときは、その裁判官は、罷免される。」

三項だけでは理解しがたいので第二項とあわせて示します。
2項 最高裁判所の裁判官の任命は、その任命後初めて行はれる衆議院議員総選挙の際国民の審査に付し、その後十年を経過した後初めて行はれる衆議院議員総選挙の際更に審査に付し、その後も同様とする。
3項 前項の場合において、投票者の多数が裁判官の罷免を可とするときは、その裁判官は、罷免される。
最高裁裁判官の国民審査において「多数」の反対投票があれば罷免されると定めている。
「多数」とは何か?
広辞苑を引いてみた。
(1)数の多いこと、人数の多いこと
(2)多数代表制 多数の投票を得たものを当選者とする選挙方式で、絶対多数(全投票の過半数の得票数)代表制と比較多数代表制がある。
つまり「多数」という言葉には「過半数」という意味はない。「多数」決という言葉に過半数という意味がないことは各位もご了解いただけるだろう。

quest.gif さて憲法原文では多数の言葉の原語はMajority これを直訳すると大多数である。
大多数とはなにか?
 広辞苑によると、ほとんど全部といってよいほどの多い数、または半数以上

Majorityとは大多数なのだろうか?
英英辞典では「過半数ではなく他に比べて多い」という定義のようだ。
アメリカ憲法では16箇所「Majority」という単語が使われているが、日本語訳ではすべて「過半数」と訳されている。出典はアメリカ大使館の正式訳であるから「majority=過半数」という定義に疑義を唱える根拠はない。
例をあげるとすれば
修正第十二条 この目的のための定足数は、全州の三分の二の州から一名またはそれ以上の議員が出席することによって成立し、また選任のためには全州の「過半数」が必要である。もし右の選任権が下院に委譲された場合に、下院が〈次の三月四日まで〉大統領を選任しない時は、大統領の死亡またはその他の憲法上の不能力を生じた場合と同様に、副大統領が大統領の職務を遂行する。副大統領として最多得票をした者を、副大統領とする。ただし、その数は任命された選挙人総数の「過半数」でなければならない。

★最多得票(greatest number of vote)と過半数(majority)を使い分けていることに注意
アメリカ憲法ではMajorityは多数ではなく過半数と解釈されているということは間違いない。
さて日本においては具体的にどのようになっているのだろうか?
最高裁判所裁判官国民審査法(昭和二十二年十一月二十日法律第百三十六号)最終改正:平成一四年七月三一日法律第九八号

第十四条 (投票用紙の様式)
2項 投票用紙には、審査に付される各裁判官に対する×の記号を記載する欄を設けなければならない。

第二十二条(投票の効力)審査の投票で左に掲げるものは、これを無効とする。
一号 成規の用紙を用いないもの
二号 ×の記号以外の事項を記載したもの
三号 ×の記号を自ら記載したものでないもの

第三十二条 (罷免を可とされた裁判官) 罷免を可とする投票の数が罷免を可としない投票の数より多い裁判官は、罷免を可とされたものとする。

つまり×をつけない限り信任したとみなすわけだ。

なぜ不信任でなく信任を問わないのだろうか?○か×かというように投票者の意思を顕示させなければなるまい。
反対者以外みな支持者と思われては心外である。

×
本来であるならば最高裁判事は過半数の支持がなければ信任されないとするのが本当ではなかろうか?
なぜ過半数の不信任によって罷免されるという消極的な判断基準なのか?まずそこが疑問である。
さらには現日本国憲法では英語原文の過半数という意味が伝わっておらず多数というあいまいな語を用いていることは誤訳であることにまず間違いない。
ところが法律では英語原文の考えに戻り過半数と解釈しているが、その反面 誤訳とはいえない憲法以上に大きな間違いというか手順に恣意が入り込んだものとなっておりもともとの意味を実現していない。

私が考えるに「支持」「罷免」を明確に記載させ、「支持」が投票数の過半数を占めなければ罷免されなければならない。



本日の結論


現憲法は誤訳である。
しかしまず「最高裁判所裁判官国民審査法」を改正し本来の意味に戻さなければならない。




とおりすがり様からお便りを頂きました(10.04.12)
とおりすがりです
憲法79条3項
憲法79条3項について拝見しました。管理人どのの主な論点ではなかったかも知れませんが、「罷免を可とする」の解釈について。
この国民審査の規定は、問題のある最高裁判事をクビにする制度だと思ってました。判例によれば、「解職」ですかね。

だから、○印と書くようにしなかった。んじゃないかなと思います。○印を書くとは、(積極的に)信任するという意思表示であり、解職の制度でなく、信任の性質を持つものになるから、、、だと思います。
理由は、「信任」という言葉が一切条文中に無いこと。
それと多分この国民審査は罷免されるのは、例外的なものという発想だったのではないかと自分は思います。罷免された判事の代わりも結局内閣が任命するわけで、適正を全面審査するというより、問題のある奴をクビにする目的だったんではないでしょうか?

とおりすがり様 お便りありがとうございます。
この駄文を書いてなんと7年間、頂いたお便りはとおりすがり様が初めてでございます。
この間に国民審査が3回・・不信任はなし
過去最高に不信任票があった方が15%だそうです。
制度的に意味がないのかもしれませんね


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