不磨の大典(その23) 2002.12.14
本日は土曜日でありましたが珍しく休むことができました。
いえ、再度リストラにあったわけではありません。単に暦とおり休むことができたというだけです。
というわけで、朝 近くの川沿いを14000歩ほど歩いてきました。
仲間から黄門と呼ばれている私は、いつの日かサヨク退治のため全国行脚に出かけるためにひそかに足腰を鍛えているのです。 (ウソです)
河原を歩きながら思いついたお話をひとつ、、
不磨の大典(ふまのたいてん)という言葉をご存知でしょう?
磨り減ってしまわない永遠に伝えられる憲法であるそうな・・・
論理的に不磨の大典というものがありえるでしょうか?
では本日のお題は不磨の大典です。
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からめ手からいきましょう。
方針という言葉をご存知でしょうか?
ISOの世界ですと品質方針、環境方針があり、世の中には経営方針、教育方針、投資方針、与信方針、開発方針などなどあふれております。
碁を打つにも隅重視でいくか、高くいくか、さらには宇宙流とか方針を決めなくちゃなりません。将棋も同じ、穴熊だあってのもあり、真っ向勝負だ!というのもあり・・将棋を指すにも方針を決めなくちゃいけません。
参考までに、碁は打つ、将棋は指すといいます。だって碁は石を置いたら動かせず、将棋は駒が動くからですよね、ゆえにそのセオリーも碁は定石、将棋は定跡といいます。読み方はどちらも「じょうせき」です。
社是というものがあります。
『能あるものに地位を与えよ、功あるものに禄を与えよ』とか
『勤倹忍是我家宝』
また企業理念というのがあります。
『私たちは電気器具販売を通じて広く社会に貢献します。』
方針とはこれらとは違います。
方針とは『反復的に起こる状況に適用される持続的な決定の事である。それは、繰り返し生ずる質問にたいする、不動の回答である。』(ルイス・A・アレン)
つまり方針とは具体的に
『私たちは何を目指す。この件についてはこういう態度をとる。○○をしてはいけない。』
と明示したものをいいます。
例えば投資方針であれば
『私たちはタバコ、熱帯林伐採には投資をしない。
同程度の配当が期待できる場合は国外より国内を優先する。
などなど・・・・・』
というようなことになります。
仕事を進める上で方針を参照しても判断がつかないなら、それは定義からいって方針ではなく放心でありましょう。
冗談です、笑ってください
もし、社会環境が変わって、世の中の判断基準が変われば投資対象とするあるいは投資対象としない製品を見直さなくてはなりません。
憲法が理念や国是ではなく方針であるならば、それは時代と共に改定していくことがその性格から必須条件となります。
たとえば、児童福祉とか人権というものでさえ状況によっては変わらざるをえません。
仮に環境悪化により寿命が短くなったときには、児童福祉なんてことは言ってはいられません。昔のように10歳あるいはそれより前から丁稚奉公に出て働くのは当たり前になるかもしれません。
食糧事情が悪化すれば、子供は生むなという制度になるかもしれません。それどころか、某SF小説にありましたが人間60歳になったら寿命として死ななくてはならないという社会を描いた人もいます。(未来の姥捨て山です)
そんな風になってはほしくないですが、いいたいことは憲法の保障する権利あるいは国民の義務というものは時代と共に変わることでしょう。
それゆえ不磨の大典というものはありえないと考えます。
もし憲法が理念だけを定めるものならば聖徳太子の17条の憲法で必要十分なわけでしょう。
なぜか前ふりが長くなりすぎましたが(実はまえふりだけで終わる場合も多いのです)
憲法は時代と共に見直していかなくてはならない性質があります。それはその存在目的からの必然です。
では今が見直す必要がありましょうか?
まだ、見直す時期にないのでしょうか?
その議論は必要でしょう。
私は学問もありませんし、たいそうな主義も持ち合わせておりません。ただ、常識はあるつもりであり、常識で考えておかしいことはまちがっていると考えています。
本日のまとめ!
不磨の大典は論理的にありえない。
憲法は常時見直していかなければならず、それを怠ることは政治の怠慢である。
『憲法を守れ!』という論理は正しいでしょう。
しかし、それは憲法を変えないということではなく、憲法に則り、憲法を見直していくということになるはずです。
『憲法を守ることが改憲しないこと』は『論理的でない』ことは明白です。
右手に護憲を掲げて、左手に天皇制廃止を唱える人たちは、主義以前に論理的に間違っています。
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