日本国憲法前文 (2004.03.18)
3月17日読売新聞のトップニュースは憲法改正に賛成する国家議員が8割を超えたことを報じた。
同日テレビ朝日のニュースステーションでは久米宏が憲法は改正すべきではないと論じていた。
私の憲法論もはじまってから2年半、下手をするとこのコーナーが完結する前に現実が追い越し憲法改正がなるかもしれない。いや、それは困ったことではなく、願ったりかなったりなのだが、
本日は久米宏のようなまだ憲法を読んだことのない人のために、憲法前文について書いた。
前文ははっきりいって念仏である。南妙法蓮華経とか南無大師遍照金剛とか南無阿弥陀仏とかアーメンとか念仏にはいろいろある。もともとはそれらはちゃんとした意味があり、文字を解釈すれば誰でも理解できる。決していわしの頭の類ではないのだ。
ところが、平和憲法教という宗教の念仏である憲法前文は、熟読しても縦に読んでも意味不明である。この憲法を変えちゃいかんと叫ぶ人は憲法を読んだことがないのか、読んでも意味が理解できないのか?、それとも独自の言語あるいは定義で持って解釈しているのか・・・・いずれにしても常人に理解できるものではない。
おお、もちろん私が狂人である可能性も論理的には否定できない。
憲法前文がまともであるか?意味のない念仏であるか、それは私の拙文をお読みいただき皆様のご判断を仰ぎたい。

日本国憲法前文については非常に多くの人が論じている。
インターネットにあるさまざまな前文論を見て歩いた。
★★★某氏語る「敗戦の詫び証文だ」
謎である・・・ ★★★某氏語る「平和国家日本の形を示すもの」
★★★某氏語る「占領軍の押し付けで日本人のものではない」
★★★某氏語る「終戦直後ならともかく、今現在は存在する意味がない」
★★★某氏語る「人間社会の理想である」
★★★クラークさんの憲法前文論も読んだ
もう考えられる限りの前文論は書き尽くされてしまったようだ。
しかし私は私の前文論を書きたいのでここに書く。
但し、私は終戦直後の状況だからという条件を無視し、ひたすら文字を読み、単語を読み、文章を読んでその意味を考える文字解釈一筋で行こう。それがISO的読み方である。
なぜなら、押し付けられたにせよ日本国憲法とその前文は立派なものだと主張する人々がいる。
私は成立過程なんて関係なしに、「日本国憲法とその前文は欠陥だらけだ」と論証したいのである。
成立したときの条件やいきさつに関わらず、この前文はまったく現状に合わないだけでなく、日本と日本人にとって危険極まるものであることを証明したい。

前文は九つの文章から成っている。ではみなさん一緒に読んで考えましょう。
  1. 日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。

    斜め読みするとこれは憲法制定を宣言したものと受け取れる。しかしよくよく読んでみよう、
    • 正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、
      これは間接民主主義を表現したものだろう。
      しかし何だ「正当に選挙された」とは!?
      このような副詞があるということは、この文句を付けなければまともな選挙がされないということなのだろうか?
      本文を見ても分かるが「正当な」とは逮捕や欠席理由の前に付くものであって過去現在日本が選挙においてまっとうでないことをしたということがあるのだろうか?
      まっとうでない選挙とは北朝鮮やフセイン統治下のイラクならいくらでもあるのだが、

    • われらとわれらの子孫のために、
      この語句が論理的な文章と思えるだろうか? 私には思えない。
      これは思いこみそのものであり、自分の価値観の押し付けに過ぎない。
      アメリカ憲法の前文は似ているようだが、実は大きく異なる。
      「われらとわれらの子孫のうえに自由のもたらす恵沢を確保する目的をもって」とある。つまり自分たちは「己とその子孫のためになるであろうと」考えたと語っているのである。
      こなた、日本国憲法前文では、無条件に「子孫のためになる」と断定しているのだ。
      これはおせっかいのきわみではなかろうか?子孫(それには私も入るのだが)「祖先たちよ!それは私たちのためにならないよ」と反論する余地がない。
      非論理的文章として額に飾りたいものである。
      そしてもちろん、憲法前文からは取り除く必要がある。


      恭子様からお便りを頂きました(06.08.08)
      白洲コード
      はじめまして。
      もう知っていたら御免なさい。
      私は憲法の授業のときにすごく感動したので、みんなに知らせたくなってしまって。(笑)
      「日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、」は、主語が変です。
      普通は、「われわれ日本国民は」となるところを、敢えて白洲二郎は「日本国民」はとしたらしいです。
      「われらとわれらの子孫」っていうのは、アメリカ人の事を指しています。
      石原都知事が白洲さんに、文法の変なところを指摘したところ、白州さんは「僕は日本語に堪能ではないんでね」みたいなことを言って、ウインクしたとか。
      いつも楽しく読ませていただいています。
      応援してます!
      恭子様 ご教示ありがとうございます。
      どうも私は文法の間違いがどうというよりも、「日本国民は・・・決意し」ていないことの論理のウソが気になります。
      美辞麗句で飾っても、ウソはウソ、
      「日本国民は・・・決意した」ことにしよう、「日本国民は・・・決意した」のだからこの憲法がありがたいのだ、憲法に価値があるのだと・・いう護憲論者のウソはここに始まれり

    • 諸国民との協和による成果と、
      そのとおりだ!、いえこのフレーズに共感を持ったのでなく、論理的欠陥があることに頷いたのである。
      「諸国民との協和」すばらしい言葉だ。某まんが雑誌のモットーである友情と正義と勝利と同じくらいうるわしい。 
      「私たち日本とあなたの国仲良くしましょう」これは成り立つかもしれない。だが二国しかなくとも連帯は成り立たないこともあることはもちろんである。更に三カ国が存在したとしよう。日本とA国とB国である。日本はA国ともB国とも仲良くしたいのだが、今ここでA国とB国は仲たがいし、戦争を始めたらどうするのだろう。
      私たち日本は中立だものね、両方と仲良くするもんね、なんてことが通用するとはまさか思わないでしょう。 bushi.gif
      いや有楽町でビラ配りしている若者は信じているのかも?

      400年前の関が原ではどっちつかずでいた小早川秀秋のように家康に鉄砲を打ち込まれて東軍に味方するような羽目になってしまうのです。
      A国とB国?思い当たりません? 困ったな?君はこのウェブサイトに来るには10年早いかも?
      しかしながら、世界には三カ国あるのではない。今200弱あるのだ。この相関関係を解き明かすことは三角関係を解決することよりむずかしいことは間違いない。さらに国家と称するもの以外にアルカイーダとかアルファベットの組み合わせの合法、非合法団体は星の数ほどあり、現実問題として一人と仲良くすることはその何倍かの敵を作ることと同義なのである。
      イラクに行くな!と叫ぶことはアメリカと敵対せよという意味である。それならばあなたはアメリカとは仲良くなくてよい、敵対関係になってもよいというお考えなのだろうか?それもまたこの憲法の趣旨とは異なるようだが・・・・

      話をまとめる、
      この諸国民との協和とはどういう意味を持つのだろうか?そしてそれは実現可能であるのか?

    • わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、
      「わが国全土?」あまり聞かない言い回しです。
      国土全域にひとつの制度が徹底していないなら、それは一つの国家ではないといえます。
      その証拠ですか?
      沖縄返還のとき、沖縄は右側通行から左側通行に切り替わりました。
      そしてまさに今中国があれほど香港を中国共産化しようとしている理由じゃありませんか。一国二制度というのは自己矛盾です。
      という理由で、「わが国全土にわたっての自由」というフレーズはまったく無意味である。
      どうしてもわが国全土という言い回しを使いたいならせいぜいが「わが国全土にわたってアユ旋風を」というような用法が正しいのである。
      よってこの23文字は論理的に意味なく、存在意義はない。

    • 政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、
      ホウ「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起きることのないように」なのか?過去の戦争はすべて政府の行為によって起きたのか?軍部でもなく、国民も国会も一切の関与はなかったのね?
      過去の歴史、事実をみればこの記述は偽である。しかし多くの学校で使われているうそ800の歴史教科書ではそう信じる子供もいるかもしれない。いやそう信じさせようとサヨク新聞も先生も必死のようだ。
      日清戦争も日露戦争も太平洋戦争も政府が始めたわけでもなく、惨禍の責任もすべて政府にあるわけではない。戦争は一部の軍部が起こしたわけでもない。大正デモクラシーはどこに行ったのか?それは民主主義で選ばれた国会議員が外交能力・国政能力がなく国家を国民を幸せにできなかったから力を失ったのではないか?
      515事件も226事件も何もないところで軍部が力を持とうとして発生したのではない。
      「話せば分かる!」と言う前に、実行して結果を出して見せればよかったのである。
      私はクーデターやテロを称えるのではない。その逆である。私の論旨は政府の行為によって戦争の惨禍がおきたというのは事実と異なるということである。
      「政府の行為によって」と語ることは「すべてはナチスのせいだ、ドイツ人は悪くない」というずるい人間の論理そのものであり、私は気分が悪い。
      日清戦争をはじめ太平洋戦争までのすべての戦争は政府の行為によって始めたのでは断じて違う。

      付け加えて、この前文は「政府が戦争を始めないようにする」と述べているが、「日本国民は戦争を開始しない」と論じていないことを再確認しておく。

    • ここに主権が国民に存することを宣言し、
      日本では国民が主権者であると語っている。ところで、主権が国民にないと宣言している憲法があるのだろうか?
      北朝鮮憲法(1998)「第4条 朝鮮民主主義人民共和国の主権は、労働者、農民、勤労インテリ及びすべての勤労人民にある。」
      この憲法が述べているように北朝鮮の主権が国民にあると考えている人はいるだろうか?
      ならば前文で主権が国民にあると大声で叫ぶことはまったく意味のないことなのだろうか?実運用で国民主権が担保されるならそれで十分ではなかろうか?
      立憲君主国と自称している国で民主主義でない国はなく、共和国と自称している国に独裁国家がちらほら見受けられるのは・・・・なんでだろう〜
      特に人民共和国と称する国々の中にはわれわれの考える共和国は存在しない。


  2. そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。

    この文章が語っている意味としては民主主義そのものでしょう。
    しかしながら同じ文言を連ねても、自由主義もあれば共産主義もあるという不思議はあるのですが・・・・


  3. これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。

    人類普遍?
    何ゆえに普遍といえるのだろうか?現実に普遍的であるという証拠はあるのでしょうか?あるいは証拠はなくとも証明はできるのでしょうか?
    今世界で真の民主主義が(代用特性として自由選挙でもよい)が行われている割合はどのくらいでしょうか?
    人民の人民による人民のための・・・・を享受しているのは世界の人口60億の内どのくらいいるのだろうか?
    中国人13億は除外しよう、北朝鮮2200万もパスだ、イラク2300万もとりあえず除く、エチオピア6000万なんて分からん、コンゴはどうなんでしょうか?スーダン?、ソマリア?、
    ペルーのフジモリ大統領は独裁者だと語っている人々もいる。それが事実であったなら当時のペルーも除かなくてはならない。あるいは逆で現在のペルーを除くべきなのかもしれない。 
    エイヤで世界人口の約4割の人々は自由選挙ができない。1990年の共産主義諸国崩壊まではこの数字は過半を占めていたのだ。
    民主主義は人類普遍の原則でないことは間違いない。
    かつそれは現時点の平面だけでなく、有史をとらえても普遍的な原理であった時代を私は知らない。
    ギリシャの直接民主主義を称えるならば奴隷制度も同時に称えてほしい。


  4. われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。

    論理的に考えてみよう。
    まず憲法について
    この文章は憲法前文である。よってこの前文と矛盾する本文があるはずがない。また、憲法が改正された場合、当然新しい前文、本文があってしかるべきであり、そのときもまたその前文、本文が矛盾するはずもない。他方、現在の憲法前文が改正された憲法の本文を規定できるはずがなく、この文章の語っていることは自家撞着あるいは数学的不定である。

    「法令及び勅令を排除する」
    かなり力んで語っているのは分かるが、いったいこの語句も論理的なのだろうか?
    この文章を書いた人はこの憲法及び前文が改定されることを想定していないのだろうか?
    およそこの絶対的な言い回しは論理性からは程遠いとしかいいようがない。
    前文の文言としては非論理的な文章は不要、不適であろう。


  5. 日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。

    • 恒久の平和を念願し
      戦争より戦争でないほうがいいのは当たり前だ。恒久の平和を念願するのは人間としての当然の感情であろう。しかしながら、恒久の平和がないことは歴史が証明している。それどころか平和とは戦争と戦争の間という定義もある。
      これは文学でも散文詩でもない。一国の国の形を示す憲法の前文である。
      お祈りをする代わりに「いかなる国際情勢にもかかわらず、日本人の命と国土を守るために全力を尽くす」くらい力強く宣言してほしいものだ。

    • 人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚する
      意味不明な文章である。
      「長年の友情を捨てなければならない」と引退した某政党元幹事長は語ったが、個人間の友情と国家の政策、国益は無関係である。その意味でこの引退した老政治家の言葉は正しいのだが、その発言の趣旨は正反対だったようだ。
      まず人間相互の関係を支配する崇高な理想とはなんなのだろう?それを知りたい。そのようなものがあるのだろうか?
      次に、それが存在するとして、それが国家とどう関わるのか?更には人間相互の関係を支配する崇高な理想は国家相互の関係をも支配するのか?その事実とその理屈を知りたい。

      私は無学な田舎者でして、崇高な理想を自覚できません。 

    • 平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して
      警察白書より まず平和を愛する諸国民これは現実が完全に否定している。
      具体例をあげよう、竹島、尖閣列島、千島列島、シベリア抑留、イスラム原理主義者の無差別テロ、フセインのクェート侵攻、そして今我々の身の回りにある外国人犯罪!
      私は自分の偏見を正当化し主張するためにさまざまなデータを見つけてくるわけではない。身の回りの不安感からその原因を探って主張しているのである。

    • われらの安全と生存を保持しようと決意した。
      社民党をからかうありふれたレトリックに「護憲を語り自衛隊反対を唱える人は自宅に鍵をかけないのでしょうね」というのがある。1万円賭けてもいいが、社民党の全議員は玄関にも裏木戸にも鍵をかけていることは間違いない。一説には土井議員はボディガードを雇っているそうだ。
      アメリカ開拓時代、丸腰の人を撃ってはいけないという不文律があったそうだ。大牧場主マーベリックはその理屈で決してピストルを持ったことはなかったと言われる。もちろん彼は西部人の平和を愛する公正と信義に信頼したのではなく、常に身の回りにピストルを持ったボディガードを置いたそうだ。
      私は思うがこの言葉は人間が語れるものではない。
      これを語れるのは、神か?悪魔か?それとも嘘つきだろう 


  6. われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。

    • 平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会
      この語句がまったく事実を語っていないことは、歴史がそして現在の世界が実証している。
      この世界には、平和を破り、専制と隷従を、圧迫と偏狭を地上に広めようとする勢力がいたるところに存在している。
      国家レベルでは中国、北朝鮮、かってのイラク。また反政府勢力としては北アイルランドにも、スペインにも南欧にも、南米には一国あたり複数の反政府武力勢力がある。
      明らかに憲法前文はうそを語っているのである。うそでなければ、憲法前文に書いてあることは事実と異なるのである。

    • 名誉ある地位を占めたいと思ふ。
      名誉ある地位、これも非常に難しい。まず名誉ある地位というのはある価値観あるいは見解から見た状況であって、他の価値観からは許しがたい行為・状況なのである。某国の秩序安定を図ることは反政府勢力からみれば不倶戴天の悪であり、国民生活向上を図ることは不平分子を減らすことであり攻撃対象となる。
      名誉とは絶対値で測られるものではなく、相対的であり、かつまったく異なる価値観が複数存在しているのである。

      runman.gif 自分で自分を褒めてあげたいと語ったスポーツウーマンがいた。 論理的に正しいのは自分で自分を褒めることである。他人に褒めてもらうことを期待してはいけない。


  7. われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。

    この文章を読んで感動する人はいるだろうか?
    もちろんいる!
    「護憲」を叫ぶ人々、有楽町で「北朝鮮に平和を自衛隊反対」を叫ぶ人たちはこの51文字を信じていることは間違いない。
    確認するとはどういう意味だろうか?広辞苑によると「確かに認めること、法律関係の存否に疑義あるときこれを判断認定すること」だそうだ。私が監査に行って法律を守っているか否かを「確認する」といえばエビデンスを見ることしかない。
    エビデンスつまり、行為、文書、記録、現実といったものを見て、「確かに法を守っている」あるいは「守っていない」と決定するわけだ。よく勘違いして「俺の目を見ろ何にも言うな♪」とか「俺の言葉を信じないのか?」と私に迫る人がいるが、そのような情念や浪花節では「確認できない」。エビデンスがすべてである。
    話を戻そう。
    「われら」はとは誰なのだろうか?もちろんこの文章では日本国民を意味する。そしてもちろん日本国民がこの前文を記述したのではない。いったい誰が「全世界の国民がひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認した」のだろう?
    「われら」が誰であっても良いが、この文章は論理的に偽であることはいうまでもない。
    栄養不足人口(1994〜1996)
    FAO(国連食糧農業機関)
    東・東南アジア
    2億5800万人
    南アジア
    2億5400万人
    サハラ以南アフリカ南部
    2億1000万人
    中南米・カリブ海
    6300万人
    近東・北アフリカ
    4200万人
    合計
    8億2700万人

    今全世界で飢餓状態にある人たちは右図のようにいるそうである。

    1995年現在57億人の世界人口の7分の1が飢餓状態にあるならば、それは「全世界の国民がひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認した」という論理は破綻している。

    論理的にいうならば「全世界の国民がひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを願う」あるいはより正確には「生存できることを願う」程度ではないのか?
    このセンテンスは偽である。ゆえに私は存在を認めない。


  8. われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。

    信じるという精神的行為は信頼できるエビデンスがなくても「断定する、確信する」という非常に非論理的な行為である。私たちはなにものも信じてはならない。集められるかぎりの情報を入手し、先入観なくそれを分析し、起こりえる可能性の高いものに対して対応策を備えておかなくてはならないのだ。
    むずかしく考えることはない。生命保険も持ち家か借家か、進学するか就職するか、あるいはA社のテレビを買うかB社にするかという選択はそれらを総合的に判断し、決断していることなのである。
    前文のこの文章を信じる人が政治家になれば間違いなく日本と日本人を不幸にすることを私は保証する。
    いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視して行動するのであって、普遍的な政治道徳というものは存在せず、各国のよりどころとするドクトリンは、自国の主権を維持し、他国より有利な関係に立たうとすることであると認識する政治家のみが日本と日本人の安全と財産を守ってくれるのである。


  9. 日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。

    日本国憲法前文はまさしく狂人が書いた、ありもしない理想、現実から乖離した夢物語、論理ハチャメチャ意味不明、うそ800の文章である。日本国民は、こんなものを具現化しようと行動してはならない。
    私たち日本人はここに書かれた白日夢より、論理的であり、現実的であり、冷静で確固たる人生と国家を持つ権利があるはずだ。それこそが人間の普遍的原則じゃないか!



現行憲法前文のご乱行を見てきた。さて、論理的におかしい、あるいは意味不明の語句を取り除いてみよう。のこった文言をとりだすとそれはまともなことを語っている。


日本国民は、日本国の主権者であり、国家の意思を最終的に決定する。国政は、正当に選挙された国民の代表者が、国民の信託によってこれに当たる。
日本国民は、世界の恒久平和を念願し、国際協調の精神をもって、国際社会の平和と繁栄と安全の実現に向け、全力を尽くすことを誓う。
日本国民は、基本的人権が尊重され、自由で活力ある社会の発展をめざすとともに、国民の福祉の増進に努める。
日本国民は、民族の長い歴史と伝統を受け継ぎ、美しい国土や文化的遺産を守り、文化及び学術の向上を図る。
この憲法は、日本国の最高法規であり、国民はこれを遵守しなければならない。



すっきりするではないか!
実はこれ読売新聞社が1994年に提言した憲法改正試案の前文である。


本日の結論でありますが、


日本国憲法前文は正常な人が考えたことではなく、論理的でもなく、語っていることは事実でないことが分かりました。
やはり、改正が必要です。







尊敬するnotti様よりお便りを頂きました。(2004.03.19)

佐為様の憲法論、ついに前文登場ですね。
いろいろ言い尽くされているので、特に言う事もないのですが、前文は「見苦しい」の一言に尽きると思いますね。意味不明。理解不能。
「代表者を通じて行動」「自由のもたらす恵沢」「圧迫と偏狭」「関係を支配する」「権利を有するこ とを確認」。
意味の判らない単語を並べないでいただきたいですね。ま、憲法教信者の呪文ならそれでかまわないのですが、私はこんなのは拒否します。一国の最高法規に呪文は似合いません。
反対する以上は対案を出さねば。私の憲法前文試案は読売試案よりシンプルです。

「日本国の主権者は日本国民である。日本国民は日本国の歴史と伝統を尊重し、日本国の繁栄のために全力を尽くす。日本国民は世界の平和を願い、国際社会の発展のために努力する。」

これで十分でしょう。前文にごちゃごちゃ書いてもしかたないと思うのです。
notti師匠! 前文案ありがとうございます。
しかしながら、師匠の前文だってまだまだ冗長ではありませんか?
私の知っている憲法前文にはもっと短いものもありますよ
  • 大英帝国憲法
    前文どころか成文憲法がありません。
  • 大日本帝国憲法
    前文はありません。・・・・・あるのは告文と憲法発布勅語だけ
  • アメリカ合衆国憲法(大使館正式訳) 
    われら合衆国の人民は、より完全な連邦を形成し、正義を樹立し、国内の平穏を保障し、共同の防衛に備え、一般の福祉を増進し、われらとわれらの子孫のうえに自由のもたらす恵沢を確保する目的をもって、アメリカ合衆国のために、この憲法を制定する。
  • ドイツ基本法
    神と人間に対するみずからの弁明責任を自覚し、統合されたヨーロッパの中で平等の権利を有する一員として、世界平和に貢献しようとする決意に満ちて、ドイツ国民は、その憲法制定権力により、この基本法を制定した。

    ・・・・長いのが好みでしたら、
  • 大韓民国
    悠久の歴史と伝統に輝く我が大韓国民は、三・一運動により建立された大韓民国臨時政府の法統及び、不義に抗拒した四・一九民主理念を継承し、祖国の民主改革と平和的統一の使命に立脚して、正義、人道及び同胞愛により民族の団結を強固にし、すべての社会的弊習と不義を打破し、自律と調和を基礎として自由民主的基本秩序を一層確固にして、政治、経済、社会及び文化のすべての領域において各人の機会を均等にし、能力を最高度に発揮させ、自由及び権利に伴う責任と義務を完遂させ、内には国民生活の均等なる向上を期し、外には恒久的な世界平和と人類共栄に貢献することにより、我々と我々の子孫の安全と自由と幸福を永遠に確保することを誓いつつ、1948年7月12日に制定され、8次にわたって改正された憲法を、ここに国会の議決を経て、国民投票により改正する。
  • 朝鮮民主主義人民共和国
    朝鮮民主主義人民共和国は、偉大な領袖金日成同志の思想と領導を具現したチュチェの社会主義祖国である。
    偉大な領袖金日成同志は、朝鮮民主主義人民共和国の創建者であり、社会主義朝鮮の始祖である。
    金日成同志は、永生不滅のチュチェ思想を創始し、その旗じるしのもとに抗日革命闘争を組織・領導して、栄えある革命伝統を築き、祖国光復の歴史的偉業を成し遂げ、政治、経済、文化、軍事分野において自主独立国家建設の強固な土台を整えたうえで朝鮮民主主義人民共和国を創建した。
    金日成同志は、主体的な革命路線を示し、各段階の社会革命と建設事業を賢明に領導して、共和国を人民大衆中心の社会主義国家に、自主、自立、自衛の社会主義国家に強化・発展させた。
    金日成同志は、国家建設と国家活動の根本原則を明らかにし、最も優れた国家社会制度と政治方式、社会の管理体系と管理方法を確立し、社会主義祖国の富強・繁栄とチュチェ革命偉業の継承・完成のための確固たる土台を築いた。
    金日成伺志は、「以民為天」を座右の銘とし、常に人民とともにあって、人民のために生涯を捧げ、崇高な仁徳政治で人民を見守り導いて、全社会を1心団結した1つの大家庭に変えた。
    偉大な領袖金日成同志は、民族の太陽であり、祖国統一の救いの星である。金日成同志は、国の統一を民族至上の課題としてかかげ、その実現のためにあらゆる労苦と心血をすべて捧げた。金日成同志は、共和国を祖国統一の強力な堡塁として固める1方、祖国統一の根本原則と方途を提示し、祖国統一運動を全民族的な運動に発展させて、全民族の団結した力で祖国統一偉業を成就するための道を開いた。
    偉大な領袖金日成同志は、朝鮮民主主義人民共和国の対外政策の基本理念を明らかにし、それにもとづいて国の対外関係を拡大・発展させ、共和国の国際的権威を高くとどろかせた。金日成同志は、世界政治の元老として、自主の新時代を開拓し、社会主義運動と非同盟運動の強化・発展のために、世界の平和と人民との親善のために精力的に活動し、人類の自主偉業に不滅の貢献をした。
    金日成同志は、思想理論と領導芸術の天才であり、百戦百勝の鋼鉄の霊将であり、偉大な革命家、政治家であり、偉大な人間であった。
    金日成同志の偉大な思想と領導業績は、朝鮮革命の万年の財宝であり、朝鮮民主主義人民共和国の隆盛・発展のための基本保証である。
    朝鮮民主主義人民共和国と朝鮮人民は、朝鮮労働党の領導のもと偉大な領袖金日成同志を共和国の永遠の主席として高く戴き、金日成同志の思想と業績を擁護固守し、継承・発展させて、チュチェ革命偉業を最後まで完成していくであろう。
    朝鮮民主主義人民共和国社会主義憲法は、偉大な領袖、金日成同志の主体的な国家建設思想と国家建設業績を法化した金日成憲法である。

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