2004-9-25
山口文憲さんのエッセイ「団塊ひとりぼっち」(連載3)(文芸春秋社「本の話」8月号)の要約です。
朝日新聞社発行、梅森浩一著「クビ!」(団塊の世代についての評論)の一部内容の紹介
団塊の世代には一貫したポリシーがない。
左翼運動→猛烈サラリーマン→保身サラリーマン。
中身がないくせに自己主張は一人前。権力好き、権威好き。
「団塊の世代」と同世代の外国の著名人:
ジョージ・ブッシュ(米国大統領)1946年生まれ。
世界で最も「ハタ迷惑で有害な」団塊世代オヤジ。
ビル・クリントン(米国前大統領)1946年生まれ。
チャールズ皇太子(英国)1948年生まれ。
団塊の世代は皆「最強のDNA」保有者:
ブッシュ大統領はマッチョ指向。権力好き、権威好き、えばりん坊、の典型的な「団塊オヤジ」。
団塊の世代の父親たちは、日本も米国も皆太平洋戦争の「戦士」で生き残り(復員兵)。
ブッシュ大統領の父親のジョージ・ブッシュも米国海軍軍人として数々の戦功を立てた人。
1942年に18才で志願兵になり、初の出動命令に応じたときには最年少記録だった。
1944年の9月に小笠原の父島での戦闘で洋上に着水し、九死に一生を得た人。
息子の現大統領ブッシュは父親から数々の戦争体験を聞かされて育ったはず。
日本も米国も団塊の世代は皆「最強のDNA」保有者?
戦場で生き残るための条件:@心身ともにタフ Aコミュニケーション能力に長けている
B自立心が強い C機敏で要領がよい D運が強い
団塊の世代の母親たちは終戦時(「男1人に女トラック一杯」だった時代)に男を獲得できた女性たち。
団塊の世代の両親たちは皆強運の持ち主、勝ち組。現代よりも相当「濃い」夫婦関係の中で「団塊の世代」の
子供たちが誕生した。
団塊の世代は皆「戦争を知っている」子供たち
以前に団塊の世代は「戦争を知らない子供たち」という歌が流行したが、あれはウソ。
団塊の世代の子供たちはみな両親、親戚のオトナたちから戦争や空襲の話を「イヤというほど」聞かされて
育った。オトナたちの経験談は日米では(当然)話の内容が異なるはずだが・・・。
団塊の世代は戦場で「人殺し」を経験した父親をパパと呼んで育った世代。
「見ていないはず」の戦争、戦場、空襲、爆撃、などの様子を「克明に?」知っている世代。
著者自身も終戦直後の時代に「防空壕」を遊び場にして、機関砲の薬きょうを「宝物」にして遊んだ経験がある。
子供時代につちかった「偽の」戦争体験、観念としての戦争への「自己同化」をもつ世代。
もっと追求すれば団塊の世代が何故「猛烈」サラリーマンになったか、ブッシュ大統領は何故戦争をやりたがるのか、
などの疑問に答えが出せるかもしれない。
2004-9-18
山口文憲さんのエッセイ「団塊ひとりぼっち」(連載2)(文芸春秋社「本の話」7月号)の要約です。
1.「団塊の世代」という呼び方が定着した背景、要因、など:
この呼び方が登場した年は「オイルショック」が起こった年 →1973年(昭和48年)
その時「団塊の世代」の人たちはすでに20代になっていた。
「オイルショック」とは、その原因は:
第4次中東戦争勃発 →OPECによる原油の輸出、価格統制
→大手商社による物資の買占め →モノ不足 →トイレットペーパー騒ぎ
2.戦後の日本で起きた社会運動関係の歴史的な事件:
全共闘運動 東大安田講堂占拠(1969年1月) 新宿西口フォーク集会(69年夏)
大阪万博(1970) あさま山荘事件(1972) トイレットペーパー騒ぎ(1973)
この時代を「光と影」で象徴するできごとは「大阪万博」(光)の部分)と「オイルショック」(影の部分)
大阪万博は日本の戦後の高度成長の「集大成」として実現できた。オイルショックは日本の戦後の高度成長を「終焉」させた。
補足するならば「反体制」側の衰退(1970年〜72年)、オイルショック(1973)
3.関連する著作とその作家たちについて
小松左京が「日本沈没」を発表(1972−73) →日本経済の沈没することの象徴
堺屋太一が「油断!」を発表(1974) 「破断界」を発表(1976年4月) 「団塊の世代」を発表(1976年11月)
2004年に雑誌「ダカーポ」のインタビュで堺屋太一自身が「団塊の世代」の中で予測した
ことは「当たった」と述べている。
なぜ当たったか?との問いに対して、多くの企業で「有能な」管理者になった「団塊の世代」が
一生懸命仕事をした結果、日本経済に「バブルを引き起こしてしまった」から、と述べている。
つまり、日本経済にバブルが発生したのは日本に「団塊の世代」がいたからで「団塊の世代」は
「戦犯」というわけである。
2004-9-11
文芸春秋社の「本の話」6月号から1947年生まれで団塊の世代のエッセイスト
山口文憲さんのエッセイ「団塊ひとりぼっち」が連載されていることを、このページの
2004-7-24号 でご紹介しましたが、今週はこの連載の第1回分を再度読む機会が
ありましたので、その要約を掲載します。
1.団塊の世代の「世代観」について
@この世代の特性は:自分たちの世代のことを「語りたがる」。
自意識過剰の人、被害者意識が強い人、が多い。
その一方で、自分だけは同世代の他の人とは「違う」と思っている、思いたい、人も多い。
Aこの世代について「確かなこと」は少ないが強いて2点を挙げると:
・互いに強い「アイデンティティ」(同一性)を感じている。
・同世代について語る「団塊ばなし」が好きである。
2.「団塊ばなし」の新ネタ(「ひとりぼっち」であることの要因)
@この世代の人たちの人数が(集団として)、前後の世代に比べて「突出して」多いことが、
他の世代からこの世代を「孤立」させている。
A民主主義の「正しさ」を実感した世代。その実感度合いは前後の世代の人たちのレベルを
はるかに凌ぐ。素朴で純粋なリベラリスト、個人主義者、が断然多い。
Bマイホーム主義のパパ、ママが多い。その一方で、自ら望んで独身主義を通して独身生活を
満喫している人も多い。
3.団塊の世代の定義
狭義の定義:1947(昭和22)〜1949(昭和24)の3年間に生まれた人
広義の定義:1946(昭和21)〜1950(昭和25)の5年間に生まれた人
「団塊の世代」の命名者は作家の堺屋太一さん。1976年に出版された「団塊の世代」
(講談社)でつけられた。西暦2000年になると「団塊の世代」の人たちがこの国の
「お荷物」になり、やがて数々の社会的な危機の「要因になる」ことが予言されている。
2004-9-4
浅間山が9月1日の夜(20時ころに)噴火した。偶然ですが、私は当日の夕方まで
この夏3回目の軽井沢滞在から帰京したところでしたので、テレビのニュースを見て
大変びっくりしました。早速まだ滞在中の実妹の八村美世子に電話して現地の様子などを
確認したところ、やはり大きな音がしてガラス戸がゆれたそうです。また北軽井沢地区に
滞在中の栗田さん(学生時代の友人)のところでは、大きな音の後で火山灰が降ったとの
ことでした。下の写真は、台風一過で快晴になったこの日の朝に妹が案内してくれた、
軽井沢町大日向地区で撮影した(まったく穏やかな)浅間山の姿です。
2004-8-28
家内が1月28日に他界してから早くも7ケ月が過ぎましたが、まだ些細なことで突然新たな悲しみが
こみあげてくることがあります。
今年の夏の到来はとても早くて、それにことのほか暑い夏でした。7月のある日の朝いつものように
仏壇にお参りしながら、ふと遺影を見るとその前に「日傘」が置いてありました。夏になるといつも
家内が使っていた日傘を次女がいつのまにか供えてくれてました。
家内の葬式のときに開封したティッシュペーパーの箱がいつも遺影のそばにおいてありました。
お供えの花の始末などの際に2,3枚づつ使っていたのですが、先日この箱が「空に」なりました。
毎月28日にはお墓参りをしていますが、私よりも先にお参りをしてくださる方があって、今日もお墓が
きれいに清掃されていて、新しい花が供えられていました。心当たりには問い合わせてみましたが、まだ
どなたなのか判らずにいます。もしもこのページを読んでくださっている方でしたら、どうかご一報ください。
お待ちしてます。
2004-8-21
このページの6月5日号、4月10日号でご紹介しました
地元の洋楽ファンたちの愛好会『尾山台洋楽ファンクラブ』の8月の「公開練習」を開催しましたので
主な内容をご紹介します。
-------------------------------------------------------------------------------
前振り:尾山台洋楽ファンクラブのご紹介(田口)
第一部:ちょっと拝見「ウクレレ教室」の練習風景
「ウクレレ教室」会員によるハワイアン・ソングの演奏
「ハッピー・バースデイ」
「アロハ・オエ」「ブルー・ハワイ」「小さな竹の橋の下で」「南国の夜」
「グリーン・グリーン・グラス・オブ・ホーム」
第二部:みんなで歌おう洋楽ポップス
歌声喫茶モード(歌詞カード配布)で洋楽ポップスのなつメロを合唱しました。
「テネシー・ワルツ」「ラブ・ミー・テンダー」「好きにならずにいられない」
「イエスタデイ」「恋人と呼ばせて」
第三部:ピアノとビブラフォンによるミニ・ライブ演奏
「オールオブミー」「幸せはここに」「あいつ」
オリジナル曲「オールド・ファッションド・ジャズ」
第四部:ピアノ伴奏でのソロ歌唱
「イエスタデイ・ワンス・モア」「ドミノ」
「愛遥かに」「爪」「好きにならずにいられない」
「時の過ぎ行くままに」、など
------------------------------------------------------------------------------------
『尾山台洋楽ファンクラブ』は、私が昨年会社を定年退職したのを機会に自宅がある
世田谷区玉川地区の地域の同好の仲間を誘って結成した「洋楽を楽しむ」愛好会です。
世田谷区の公認団体として正式に登録しましたので、
玉川地区の会館の音楽室などを利用して”ウクレレ教室”や”洋楽ポップスの合唱” (歌声喫茶モード)
などを隔週で開催しています。
近在の方で上の活動にご関心がある方はお気軽に入会ください。ご連絡を下記にてお待ちしてます。
PBB00742@nifty.ne.jp
2004-8-14
先日友人たちと一緒に開催しました「フランスの文化を語る会」で、私の実妹の
八村美世子(3月に桐朋学園大学を定年退職)に『フランス・ブルゴーニュの旅』
と題してレポートしてもらいましたが、この時の録音データを編集しましたので
掲載します。
2004-8-7
約1ケ月ぶりに旧軽井沢の三笠地区にある「前田郷」にきました。ここは父が現役時代に会社の保養施設として
シーズンの借用契約をしたことがご縁で、その後個人での年間の借用契約を始めたところですが、父や母が
亡くなってからも引き続き30年以上も借用契約を更新していています。周囲は沢山の落葉樹に囲まれて閑静な静養地になっています。
昨年から親戚のいとこたちも当地を訪れるようになり「いとこ会」を開催しています。今年は素材の味を生かした調理と
地酒を中心に取り揃えた日本酒、管理の行き届いたワイン等を楽しめる
ことで評判のよい「川上庵」での会食を楽しみました。
ちなみに昨年は軽井沢銀座の「Ken's Dining」での会食でした。
2004-7-31
7月27日(火)に中延「ボナペティ」で私が所属しているジャズバンド「Swing
Unlimited」のライブがありました。
今回はなつかしいトラッドジャズや日本の歌謡曲のジャズバージョンを中心に演奏しました。
以前になつかしい日本の歌謡曲の中で「ジャズの香りが漂う」ビブラフォンの演奏録音を
マイページにアップしたことがありますのでこちらも再度ご紹介します。
|
2004-7-24
以前から「団塊の世代」に関心をもっていて、昨年は神田雑学大学の「土曜講座」でも
パネルディスカッション:『まもなく定年を迎える日本の団塊の世代の
「ライフスタイルと責任を考える」』を企画して開催した。
その動機は最近テレビにもよく出演されている団塊の世代の1人で 日本総合研究所 理事長の
寺島実郎さんの著書「団塊の世代の責任と使命」に述べられた3つの責任に賛同したからである。
寺島実郎さんの主張された「3つの責任」とは、
@1人前のオトナになっていない人が多い。→「公共」への参加意識が希薄である。
A日本は米国とは「距離を置いた交流」をすべきである。
B先の大戦以降にここまで「復興できた日本」を強く意識し、「守るべき日本の戦後」を
明確にして維持、継続していかなければならない。
家内が定期的に購読していた文芸春秋社の「本の話」が毎月定期的に送られてくるので、先日
も何気なくそれを手にして読んでいたところ、6月号から
1947年生まれで団塊の世代のエッセイスト山口文憲さんの「団塊ひとりぼっち」
が新しく連載されているのを見つけた。その中で山口さんが述べている「団塊でない団塊の世代」という
論調を読んで、上記のパネルディスカッションの出席者が主張されていたことと同意見であることを
再認識し、大変興味深く思った。
ちなみに、上記のパネルディスカッションの出席者たちはインターネットが世の中に普及する以前から
パソコン通信を使って交流されていた、昭和20年代生まれの方々である。
|
2004-7-17
家内が亡くなってから家事に?追われていますが(^_^)、 その中の1つに夕方の「戸締り」があります。
外出していてもこの時刻になると一旦帰宅して「戸締り」をしてから再度外出したりしています。
昨日は以前から理事で参加している東京都認可のNPO法人「神田雑学大学」で是非とも参加したい
講座 NO223「シャンソンを歌いましょう」があったのですが、定刻には間に合わずに終了時刻間際に
会場の千代田区立麹町小学校に駈けつけました。会員の有志の方々やゲストの先生たちによるシャンソンの
歌唱を聞かせていただいたあと、以前にも共演したことがあるピアニスト関かずえさんとの合奏でジャズのスタンダード曲「オール・オブ・
ミー」を飛び入りで演奏しました。
2次会では近所にあるステーキハウス「テキサス」でおいしいハンバーグやステーキを食べながら、久しぶりに
会員さんたちとの交流を深めることができました。
|
2004-7-10
以前からパソコン通信をやっているシニアの仲間たちと一緒に久しぶりでゴルフに行きました。ゴルフ場は
群馬県の「ロイヤルオーク・カントリー倶楽部」といところで、毎年夏に学生時代の友人たちと定期的にゴルフコンペを開催しているところです。
ショートホールで数年ぶりに?バーディがとれたりして前半は好調(スコアは49)でしたが、後半はスタミナ切れ?で不調(56)に終わりました。
終了してからものすごい雷雨になりましたが、プレーには支障なく快適なゴルフでした。(^_^)v
前日はインターネットのグルメ検索で探し当てた高崎の洋食レストランで洋食のフルコースを食べました。
こちらも久しぶりでおいしいステーキを食べることができて、同席のお仲間たちからも大好評でした。
|
2004-7-3
今年はこの時期としては好天が続いて関東地方も(早くも)梅雨明け?を思わせる天気です。
今年の3月に定年退職した妹と一緒にこの週末は軽井沢にきました。こちらも好天が続いて
快適な日々です。今日は妹の希望で佐久市立近代美術館の「平松礼二展」を目指してドライブにでかけましたが、
なんと駐車場がいっぱいで(近所にある役所か企業の通勤者が駐車するらしい)駐車できずに入場を
断念して、代わりに御代田にあるメルシャン軽井沢美術館に行ってきました。ここには美術館以外にワインの
蒸留所や、ワイン・ショップ、ミュージアム・ショップ、レストラン、喫茶、などが充実していてお勧めです。
帰路、5月の連休のときにも行ったのですが中軽井沢にある天然温泉の
「トンボの湯」にも寄って、久しぶりに「癒されて」きました。(^_^)
|