「胃がん」の発見から退院までの記録

(注)手術の日以降の経過日数(手術前は()付きで手術の日までの日数)


日(曜日) 日数(注) 記事1 記事2 参考図書、URLへのリンク
8月 28日(火) 1日 5:30 起床、排便、検温、など
9:00 着替えの後手術室へ

15:30 手術室から出る。 9FA棟 931号室(個室)へ移動。
16:00 ころ意識が戻る。
点滴による痛みどめが投与されていたが、のどの渇き、鼻につけられたドレインのせいでのどが痛い、ふくらはぎにセットされた(血栓予防用の)電動マットの動き、などが気になり眠れない。

29日(水) 2日 酸素マスクが外れる。
ベッドの上でレントゲン撮影。(腹部、背中)
午後上体起こし、ベッドに腰掛ける。
エアコンを頻繁に調整依頼。のどが痛い。相変わらず眠れない。

30日(木) 3日 鼻から入れていたドレインが除去された。
ベッド上で起き上がる練習。ベッドに腰掛ける練習。病室内で歩行練習。
水差しから口ゆすぎの水を口に含めるようになった。(まだ飲み込みは禁止。)
携帯電話でネットアクセス、mixiのチェック、などにトライ、成功。
ドレイン(byウイキペディア)
mixi(byウイキペディア)

31日(金) 4日 歩行練習 午前、mixiに携帯電話からの書き込みにトライ、成功。
午後、一時的にむかつき、嘔吐感、があり不快だった。歩行練習の副作用か?
病室からです
9月 1日(土) 5日 背中から入れていた(痛みどめ用)点滴管除去。尿道からだしていた小水用ドレインの除去。おナラが出た。 自身による排尿(しビン使用)成功。

2日(日) 6日 足につけられていた(血栓防止用)電動マット除去。 歩行練習午前、午後2回。 血栓(byウイキペディア)
病室からです2

3日(月) 7日 CT造影検査 前夜嘔吐感あり、眠れなかった。前日の歩行練習のせいか?
午前中に気分回復した。夕方家族来院。


4日(火) 8日 開腹手術で縫合した皮膚層をとめているホチキス状の縫合材(金属?)の除去(抜孔)。 前日のCT造影検査パス。 早朝少々嘔吐。血糖値が上がる、インスリン投与。

5日(水) 9日 食道、小腸の状況を検査するためにバリウム服用により腹部をレントゲン撮影。パス。 水飲みが許可される。 翌日から開始されることになった流動食について栄養士から説明を聞く。 午後から水飲み開始。午後院長回診。血糖値が下がらず、インスリン投与。夕方家族来院。 病室からです3

6日(木) 10日 開腹手術で縫合した糸の除去(抜糸)。 朝から嘔吐感あり。洗髪、着替え。

7日(金) 11日 抜糸後の状況の確認、消毒、ガーゼ除去。 午後嘔吐感あり。歩行練習。排便あり。 病室からです4

8日(土) 12日 首から痛みどめを投与していた点滴用管の除去。 早朝に急激な寒気、発熱。筋肉注射で薬の投与。採血。午後歩行練習。

9日(日) 13日
術後では一番よく眠れた。体重測定41.2kg。1日5食の食事摂取、摂取できる量は30%程度。10時、3時はおやつ程度。
ジャズバンドのメンバーがお見舞いにきてくれた。図書の差し入れをいただいた。




「Swing Unlimited」
参考図書:「Tomorrow」 著者 Bradley Trevor Greieve 訳者 石田 亨 竹書房
病室からです5

10日(月) 14日 レントゲン検査 ハワイアンバンド(AFM)のリーダ、学生時代の友人、が見舞にきてくれた。 お見舞い
ハワイアンのバンド「AFM」

11日(火) 15日
排便あり。倦怠感があり、むかつきも。

12日(水) 16日 左横隔膜下のドレンが除去された。 眠れない。深夜1時間がなかなか進まない。朝の4時がなかなかこない。
食事の摂取を控え目にする。→午後のむかつき、嘔吐感が減少する。
ネットワークの「メロウ倶楽部」の会員がお見舞いにこられた。
お見舞い2
メロウ倶楽部

13日(木) 17日 シャンプー 母校同窓会の副会長がお見舞いにこられた。(恐縮)
ハワイアンバンド(AFM)のリーダ夫妻とメンバーお1人が見舞にきてくれた。
お見舞い3
学習院桜友会
お見舞い4
ハワイアンのバンド「AFM」

14日(金) 18日 血液検査でアミラーゼ、リパーゼの数値が高いことが検知された。栄養剤と流動食摂取の相乗効果による副作用が原因。明日から流動食の摂取が一旦中止されることになった。 SNS(mixi)のマイミクの方がお1人お見舞いにこられた。 お見舞い5
ミクシィ(byウイキペディア)