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2003/5/27「東村山音頭」
ドリフが大好きだ。特に志村が。
60年代のドリフ主演映画や70年代のドリ爆を、現在あらためて見ると、志村のブレイク以後のドリフがいかに爆発的に面白くなったかが良くわかる。志村以前のスター・加藤茶のたまらない愛嬌と、とぼけたテンポ感も実に素晴らしいが、いかんせん志村は飛び道具。戦国時代の火縄銃渡来を思わせるほどに破壊的面白さであった。だが、志村もレギュラーになった直後は鳴かず飛ばずで、高木ブーさえ歓声を浴びるのに、何をやっても観客が静かになってしまう残酷な時期がかなり続いたという。いいかげん限界に達していたそんな時、「合唱隊」の、お国自慢の民謡を歌うコーナーで、もう何も怖くなくなっていた志村の自暴自棄な「東村山音頭」が突如ウケた。幼い頃から町内の盆踊り大会で死ぬほど聞かされたという「東村山音頭」が、つい出てきたのであろう。この音頭、2番と3番はなんと志村のアドリブだという。ヤケクソというのは恐ろしいものである。自意識の殻が粉砕され、思わぬ力を出せる悟りに近い一瞬といえるのかもしれない。
ともあれ、このあと東村山音頭は一市町村の盆踊りとしては空前のヒットを飛ばす。これを皮切りに志村も快進撃を続けることになる。
げに恐ろしきは、幼児の頃の音楽環境である。
自分に引き換えると、一応、現在マンドリンオケの指揮をやらせていただき、クラシック曲などもっともらしく指揮させていただいているが、幼い頃から親しんだ音楽は猥歌卑謡の類が多く、中学時代は洋楽やヘビメタ、アニソン、高校時代はレゲエや日本のロックやアイドル歌謡曲に夢中で、大学に入ってから、現在愛好する音楽に出会ったようなものであった。実に怪しい音楽歴なのである。。。
人間最後の最後に出てくる音楽性が幼児体験に根ざすものとするなら私は限りなく自信が無い。
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