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2003/6/23 『蚤の歌』

イザベラ・バードという英国人女性がいた。48歳のときに明治11年の日本を東京から北海道まで1人旅をした肝っ玉の太すぎるおばさんである。
平凡社『日本奥地紀行』によると、19世紀末のイギリス人の衛生観念は現代人に近いものがあるので、当時の日本人の生活レベルが現代の感覚でわかって面白い。
SARS騒動で、衛生環境の優秀さを示した現代の日本だが、明治11年当時、東京を一歩出るとほとんど江戸時代と変わらない。多くの人々はちょんまげをして、夏ともなれば男はほとんど素っ裸、女性は洗濯もろくしない着物を腰まではだけ、皮膚病だらけの体で汚れきった生活を送っていた。
ことに最初から最後までバード女史が悩まされるのは、蚤、しらみ、蚊の異常な多さで、全編が旅の見聞そっちのけでそれらの害虫への怨嗟にみちているといっても過言ではない。

考えてみると、気象史的に寒暖の差こそあれ日本はおおむね湿潤温暖、害虫の繁殖条件はそろっている。明治初期でさえそうなのだから、源氏物語の桐壺の女御の十二単の中はしらみだらけだったろうし、草履を抱いた木下藤吉郎の懐は蚤だらけだったろうし、宮本武蔵を待つ佐々木小次郎は蚊の大群に包まれていたことであろう。

だが最近は蚊は減ったし、蝿を見なくなった。しらみや蚤にいたっては一生見ない人もいるだろう。
近頃は珍しくなったが、停電の時ろうそくを付けるとその暗さに驚く。明るいというより、周りの闇がもっと深くなる感じだ。しかも炎はぶるぶると震えて、四方の影は魑魅魍魎となって躍りだす。

われわれのこの快適すぎる現代生活の歴史はたかだか50年だが、音楽の歴史は、ほぼ人類の歴史に近いことを再認識しなければなるまい。
ローソクの暗さ、蚤やしらみの痒さを忘れ切ってしまった無菌培養の現代人の奏でる音楽は古人から聞いてどう聞こえるのだろうか。

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