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2004/3/24「追悼・・・いかりや長介」
なぜか宜保愛子への追悼から始まった本コラムだが、いかりや長介の訃報には驚くとともに本当に悲しかった。
いかりやのベーシストとしての経歴、ガンコなワンマンぶりや、人情家ぶり、コント職人としての才能、さらには英語を流暢に話す意外な一面など、元全員集合プロデューサー居作昌果氏の著作に詳しいので一読をお勧めする。
ドリフといえば初期の脱退加入劇や、成功を危ぶまれた中での全員集合始動、渡辺プロとの確執や加藤茶の交通事故、荒井注の脱退、志村、仲本の逮捕、そして全国のPTAからの常連ワースト番組の指定など数え切れないほどの出来事に見舞われながら、いかりやの決断力と男気で乗り切ってきた感がある。
日本中の子供たちにとっても、いかりやは恐い先生だったり、口うるさいお袋だったり、いかめしい道場主だったり、頼もしい隊長だったりしたのだ。
後年、性格俳優として高い評価を得ていたのも、あのひょうひょうとした芸の年輪と、にじみ出る苦労人の渋みが嫌味なく調和していたからだろう。
何よりも日本人ならいかりやを嫌いな人は誰も居なかったろう。
われわれの世代ならずとも、いかりやの人柄、あの濁声は一生忘れないとおもう。
小学生のころ土曜8時は、可笑しくて腹を抱えて呼吸困難になるまで笑い転げたものだ。あんなに笑ったことが最近あるだろうか?
そしてそれは家族と一緒にすごした楽しい時間でもあった。幸せな時間を有難うと心から言いたい。
青山葬儀場で出棺する霊柩車に「オイッス」と集まった一般参列者が口々に叫んだという。きっと毎週土曜、やはり胸を躍らせてTVに見入っていた世代に違いない。
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