2004/8/1『素数ゼミとマンドリン団体』
江戸川区民センター最後の練習後、夕闇の木立の中を歩いていたら木の根元にセミの幼虫が歩いていた。あのよく見かける抜け殻の、中身がまだ入っているやつである。 夕方地中から出て来るので、見ようと思えば結構見られるはずなのだが、実物が歩いているのを見たのははじめてであった。これが木に上り、羽化するのであるが、白い成虫が出てくる羽化のシーンは何度か見ている。
日本のセミは最長七年も地中にいて、出てくると2・3週間の命というから、つい応援したくなる。こいつは自分が27歳のときの生まれか・・・などと、羽化を眺めるほうもなんとなく自分のいままでの7年の人生の集大成のような気がしてくる。
思えばオーケストラの活動もセミみたいなものである。半年に及ぶ長い練習期間(選曲などの準備期間をも入れると1年)があってお客さんの前に出てくる本番は2・3時間。せめてその間はセミのように命いっぱい鳴き続けたい。宴の後、照りつける路上に抜け殻となって転がるまで・・・
ところで今年はアメリカでは17年ゼミの当たり年らしい。つまり地中に17年いるセミであるが、他に13年ゼミというのもいる。なんで、13年とか17年(素数)かというと、氷河期前はいろいろな年に生まれたセミが毎年出てきたのであるが、生存競争や交雑による種の保存の危機を避けるため、他の年に生まれたセミとわざと周期をずらすために素数の年になったという。という話を団員としていて、ふと逆ではないかと思った。つまり、複数の種が大量にでてきてしまう年は生存競争で死に絶え、単一種が出る年は生き残ったのではないかと。で、それを何万年と繰り返しているうちに、結果として他の年と永遠に一致しない素数になったのではないかと。
そこまで考えたとき、ふと、(1年単位ではあるが)本番や練習日、メンバーを微妙に変えて生き残る、たくさんの社会人マンドリン団体のことが頭に浮かんで思わず苦笑してしまった。このブラックな笑いは社会人マンドリン団体に携わる人しかわからないだろう。
わがバッカスマンドリーノは次の17年ゼミの年までこの生存競争を行きぬいているのであろうか?
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