林郁夫被告無期懲役について思う
−岡崎被告も無期!?−
1998/5/28
判決要旨を読むと、裁判官の悩みがよく現れており、限りなく死刑に近い無期懲役という感じです。
新聞などでも賛否両論ですが、概ね納得的な扱いが多いようです。
しかし、私個人の意見としては、今ひとつ収まりが悪いところです。
全く通りすがりの12人を無惨にも殺害した無差別殺人であり、世界的に注目を浴びた凶悪なテロ事件の実行犯です。結果の重大さや過去の判例を見たら、当然「死刑」相当の事案です。検察の無期求刑にかかわらず、裁判所が「死刑」を宣告しても、きっと多くの人は納得したでしょう。
近代国家は、犯罪の被害者から「復讐権」を剥奪し、国家が「刑事司法手続」によって公的に懲らしめることでそれに代えようとしました。その司法判断に様々な要素が加味されてくることは避けられませんが、その根底にある「被害感情」「応報」という理念があまりにも満たされないとき、「司法」そして「国家」は国民の信頼を失うことになるでしょう。
この判決について米国のような「司法取引」を実質的に認めたもの、との評価もありますが、そうだとすると余計に国民の司法への信頼は弱まっていくことになるでしょう。
さらに心配なのは、一連のオウム裁判において今後続々と「大物」たちの判決が下されることになりますが、それへの影響です。どんなに大きな被害が出ていても、「尊師」松本被告は悪いが、それに盲目的に従った弟子たちはさほど悪くない、事後的に捜査に協力した弟子は許してやろう、という安易な発想で見られることがないか、ということです。
ことに、「坂本事件」で言うと、岡崎一明被告が「自首」を主張し、検察も岡崎供述を全面的に採用し、それを柱に公訴事実を構築しています。裏「司法取引」によって、全面供述させ、その見返りとして無期懲役を求刑するなど言うことも十分考えられるところです。私はちょっとそれは納得できませんね。
岡崎公判もだいぶ審理が進んでいます。精神鑑定などの結果を待って近い将来結審し、論告求刑そして判決となるでしょう。ちょっと、不安ですが、注目して見守りましょう。
「自 首」
刑法第42条は「罪を犯した者が捜査機関に発覚する前に自首した時は刑を減軽することができる」として、裁量的減軽事由としています。判例によると、捜査段階であっても、犯罪事実が具体的に判明する前の自発的な自白であれば、「自首」に当るすると判断しています。
なお、刑法第68条は、死刑を減軽する時は、無期懲役または10年以上の懲役、禁固とする、と定めており、今回はこれにより「死刑」から「無期懲役」に減軽したものです。