江川紹子の裁判報告
20/JUNE/1997
麻原の第42回公判
証人岡崎一明は余裕の笑い
麻原彰晃の42回公判は、本日から坂本一家殺害事件実行犯に対するの弁護団からの反対尋問に入った。
教団トップの岡崎は、事件後に教団を脱走し、麻原を脅迫するために龍彦ちゃんの遺体の場所を示す地図を送り、まんまとカネをせしめた人物。そのうえ、オウムに対する強制捜査が始まるや、マスコミに情報を売ってさらに金儲けをし、神奈川県警に「自首」してポイントを稼いだはいいが、自分が坂本堤弁護士の首を絞めたことは最後の最後までシラを切っていた男でもある。
にもかかわらず、本日のメイン尋問者は、早川公判での岡崎証言をなぞるだけ。最後は岡崎のお絵かき大会となり、傍聴席の半分以上は完全に瞑想状態に入っていた。
岡崎は、宅急便で友人宅に送った3億円をオウムに取り戻された後、龍彦ちゃんの遺体を埋めた場所のすぐ近くまで行き、目印の写真を撮った。雪が40センチも降り積もった中を、長靴を履いてスケールで距離を測りながら現場近くまで歩いた、という。坂本弁護士と妻都子さんの遺体の現場は、あまりに雪が深くて山の麓までしか行けず、役場で地図を貰っただけで終わった。
龍彦ちゃんの地図が警察と横浜法律事務所に届いてから、麻原の態度が軟化し、830万円を支払う約束をしたため、いったん投函した坂本弁護士と都子さんの現場地図は、岡崎が横浜の郵便局に行って取り戻した、という。
その後、神奈川県警の事情聴取を受けたが、彼はごまかし切り、その後も県警と自分の方から接触している。その一方で、オウムの幹部とも接触をし、双方から情報を得たり、流したりしていた。
しかし、こうした話は早川公判の時にほとんど出ている。もっとディテールを(例えば、3カ所の遺体の現場以外にどういうところに立ち回ったのか、坂本夫妻の遺体に関してはどのような手紙をつけたのかとか、郵便局からどうやって手紙を取り戻したのかとか、当初の事情聴取の詳細とか、教団幹部とのやりとりとか)詳しく聞くのかと思っていたら、ほとんどなされない。
「自首」のいきさつに関する尋問など、こんな感じだ。
――全貌を警察に話す気になったのは?
「オウムを潰すためです」
――なぜそう思ったのかという動機ですが。
「サリン事件だけでなく、長官事件もあって、これ以上エスカレートさせないためです」
――いよいよ自分にとっても(オウムからの攻撃という)身の危険が現実的になったという恐怖心もあったのでしょう。
「それもありました」
動機に関しては、これでおしまい。
――供述内容についてですが、供述を始めた時と(事実が)違うというので訂正したことは、どんな点がありますか。
「遺体を埋める場所を私も掘ったこと。あと……直接坂本弁護士宅に行き、鍵が開いていることを確かめたこと。あと、坂本弁護士の歯を自分も砕いたんじゃないかと……」
――遺体を埋めに行く時、車2台で行ったという点もですね。
「最初2台と思いこんでいたんです」
たったこれだけ。岡崎は、『週刊現代』では「自分は現場に行ったが、殺害行為の時には部屋にいなかった」と言っていたが、その点はドーなのか。それに岡崎は坂本弁護士の首を絞めたことをなかなか喋らず、他の4人の実行犯ではないということが判明して渋々事実を認めたんじゃなかったのか?!
どーしてそういう肝心のことを聞かないの?!。お陰で岡崎は超余裕。時に笑いを浮かべたり、「(ある行動に関する)目的は言わなくていいんですか」と弁護人の手助けまでしたりしていた。
何の深まりも広がりもなく、岡崎の素顔に迫ることもなく、メリもハリもない尋問であった。
午後から、主任弁護士らが尋問に立ち、ようやくピリッとした雰囲気に。
岡崎がオウム入信前に、熊本で松野頼三氏の私設秘書的な立場として、不正入学などに関わったこと、そこを辞めた後ヤクザに追われたこと、オウムが選挙に出馬した際に野菜の訪問販売の事前運動やったのは岡崎の提案であったことなどを明らかにした。
これで事態が改善するかと傍聴人を期待させておきながら、主任らはいずれも短時間で座ってしまい、また元の弁護人のダラダラ尋問が続く。傍聴人はもう辟易。
午後の休廷の後3時15分からは、再び別の弁護人が立った。あーこれでやっと、と再び期待する傍聴人。ところが、富士山総本部道場やサティアンビルなどの地図、見取り図などの図面を10枚も描かせ、それについての説明を求めることに残りの時間の全てを費やした。
傍聴人の多くがぐっすり熟睡、否、瞑想状態に入った。最前列のオウム広報部副部長荒木君など、口からヨダレを出すほど、ふかーい瞑想修行に励んでいた。
そんな中、麻原はお絵かき大会の時には静かにしていたし、主任弁護人らの尋問中は大騒ぎ。やっぱり、彼は核心を突く話を聞きたくないために、不規則発言をしているということが、これでハッキリした。