90年4月から90年末まで
この時期は、栗本県警刑事部長が、就任の記者会見で、初めて公式に、坂本弁護士一家事件を業務に関連した拉致事件の可能性が高いと表明してから、オウム真理教に対する国土法違反等による強制捜査が行われるまでの時期である。
また、この間には、前記のように、オウム真理教から逃亡した岡崎に対して、捜査本部による事情聴取が繰り返し行われている。すなわち、この時期は、事件後初めて警察によるオウム真理教及びその関係者に対する具体的な動きがあった(坂本弁護士一家事件によるものではないが)時期であるといえる。
この期間中に捜査本部から事情聴取を受けた岡崎は、まさに坂本弁護士一家事件の実行犯だったのであり、国土法違反事件で逮捕・起訴された早川も、坂本弁護士一家事件の実行犯だったのである。しかもこの2人は実行犯の中でも村井とともに中心的な役割を果たしていたのであって、この時期は、警察の捜査は、客観的には坂本弁護士一家事件の核心に肉薄していたのである。
しかし、結局、この時期の捜査本部の捜査によっては、あるいは国土法違反事件の中では、坂本弁護士一家事件に関する情報を得ることはできなかった。初動捜査の遅れと捜査方針の誤りによる、岡崎・早川・オウム真理教に関する情報の不足・捜査の材料の不足が、この機会を逃したことに影を落としていることは明らかである。
1.栗本捜査本部長発言
90年3月22日に捜査一課長(副本部長)が磯子署長(副本部長)に、捜査4課長が捜査一課長(副本部長)にそれぞれ就任し、90年4月3日には古賀刑事部長(捜査本部長)が県警本部長に、栗本警察庁捜査一課広域捜査指導官室長が県警刑事部長(捜査本部長)にそれぞれ就任した。
4月26日には、栗本県警刑事部長(捜査本部長)が記者会見し、「弁護士業務に関連して何らかの事件に巻き込まれた疑いが強い」と述べて、業務関連性を明らかにした。
加えて、栗本着任直後に、横山、岡田、武井が着任挨拶に赴いた際、暗黙のうちにオウム真理教を前提にした話の中で、栗本は「動機に説得力が欲しい」と述べた。その後、栗本と岡田は2人きりで小1時間非公式に話をしたが、この中ではオウム真理教以外の話は出ず、栗本は、岡田に対して、「今のままでは動機が説明できない。何かないか。」としつこく聞いた。つまり、栗本はこの時点で、オウム以外に坂本と家族を拉致する者はいないという認識を有していたと評価できる。
いずれにせよ、対外的にはこの栗本捜査本部長の記者会見により、はじめて警察の公式見解として本件が単なる失踪事件ではなく犯罪行為による事件なのだという認識が世間に発表されたが、遅きに失した感は否めない。
2 岡崎に対する事情聴取
県警捜査本部と横浜法律事務所に龍彦ちゃんの遺体の場所について手紙を出した岡崎は、90年の9月頃、県警から、ポリグラフまで使用した執拗な事情聴取を受けた。しかし、岡崎を追及する材料の不足もあって、県警は、この事情聴取を通じて岡崎に真実を語らせることはできなかった。
3.波野村強制捜査
90年10月22日、オウム真理教に強制捜査が入った。オウム真理教は90年3月に熊本県波野村の土地を買収して以来、住民の不安を煽り続け、6月29日にはオウム真理教が波野村に対し住民票転入拒否は不当であるとして訴訟を提起し、8月23日には住民と衝突して信者2名が公務執行妨害罪で逮捕されるなど、緊張の度合いを強めていっていた。
この強制捜査は、国土法違反と道路運送車両法違反で全国14カ所のオウム関連施設に対して行われた。救う会は、坂本一家に関する何らかの情報が出てくるのではないかとこの捜査を見守った。実際、このとき逮捕された早川は、まさに坂本一家殺害の実行犯の中心人物であり、道路運送車両法違反で山梨県警に逮捕された当時のオウム真理教信者は、坂本事件の際実行犯に車を提供していた人物(オウム真理教車両班班長)であることが後日判明している。
ところが、このときの強制捜査は事前にオウム真理教に知れ渡っていた。事実、前日である10月21日には、オウム真理教は「信教の自由を守る会」という名義で代々木公園で大集会を行い、翌日強制捜査が行われることを「予言」するとともに、これは宗教弾圧であるという批判を開始した。もちろん、証拠の隠滅も行ったであろうことは想像に難くない。このように捜査の秘密がオウム真理教側に筒抜けであったことは、本強制捜査の重大な問題点であった。後に、当時熊本県警にオウム真理教信者がいたことが判明しているが、このような警察の情報管理の甘さをオウム真理教に巧みにつかれていたことは、その後の一連のオウム真理教に対する捜査にも現れている。
しかも、この情報管理の甘さは、坂本弁護士一家事件の解明にも現実の支障を生じさせた。この強制捜査によって国土法違反で逮捕された教団幹部Mは、取調の際、坂本事件に関する話を匂わせていた。しかし、取り調べに関する情報管理の甘さのため、このことがオウム真理教に伝わって、教団信者らが警察に押しかけ、拡声器でその幹部に対し圧力をかけた。その結果、それ以上の供述は得られなかったのである。この時にこの幹部が坂本弁護士一家事件についてどのような話をしようとしていたのかは、今となっては知る由もないが、この時に事件に関する供述が得られていれば、坂本弁護士一家事件は、発生後一年で解明された可能性もあるのである。
他方、この強制捜査を宗教弾圧とするオウム真理教のキャンペーンは一定成功し、警察はますますオウム真理教に対して弱腰になっていった。
4 広域捜査について
オウム真理教に対する疑いが濃厚ならば、広域捜査の必要性も認識されていくはずであり、実際に、90年6月5日には警察庁広報局長は「この事件のことを知らない警察官は全国にいないし、警察庁の連絡網はしっかりしている。だから広域捜査してるのと効果は同じである。この事件は日本警察の鼎の軽重が問われている事件だと認識している。」とまで発言している。
しかし、実際に各都道府県警察の連携の状況に照らせば、この広報局長の言葉どおりには受け取ることはできない。むしろ、坂本事件はあくまで神奈川県警のやるべきこととされ、さらにはオウム真理教に対しても全国の警察が挙げて取り組むという姿勢は全く窺えなかった。
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