二 捜査方針の誤り
1 消去法による捜査
公開捜査後の捜査方針は消去法であった。それは、人命救助という大義を忘れ、ひたすら捜査の失敗を恐れた結果であり、大きな間違いであった。
この消去法による捜査は、事件性の有無、容疑者の割り出しの二つの捜査を通じて行われた。
事件当初、坂本弁護士一家と年賀状をやりとりしている友人宅にまで捜査官が聞き込みに入った。また、坂本弁護士一家の預金状況、坂本弁護士の蔵書についてまでも捜査が行われた。他方で、坂本弁護士一家が多額の借金のために家出をしたのではないかという根拠のない噂が県警サイドからマスコミに流されたことなどを考えると、県警は、事件性の有無についても、「事件性があるのではないか」という観点から捜査に入ったというより、「事件性がないことをまず潰す」つまり、事件性がない可能性をまず調べるということから捜査に入ったと考えるほかない。
容疑者の割り出しに関する捜査の消去法はもっとはっきりしている。県警の事情聴取を受けた人達は、坂本弁護士の友人の弁護士など多数に上ることは既に述べたとおりである。その一方で、オウム真理教に関する捜査は、オウム真理教そのものに対する事情聴取はもとより、オウム真理教に入信した子供の親たちや、オウム被害対策弁護団の他の弁護士からの事情聴取も極めて不十分であった。
坂本弁護士とオウム真理教との間の、事件に至るまでの交渉過程についても、当初は詳しい聞き取りなどはほとんど行われていない。
つまり、当初の県警の捜査は、「オウム真理教以外の可能性をまず潰してからオウム真理教の捜査を行う」というものだったのである。オウム真理教とはどんな宗教団体であるのか、坂本弁護士とオウム真理教との間の事件までの交渉過程はどのようなものであったのか等についても事件当初はほとんど捜査されていないということは、オウム真理教を最後に回しての捜査方針であったと言わざるを得ない。
つまり、事件性の有無といい、容疑者についてといい、オウム真理教との関係でいえば、いわば最も遠いところから捜査は開始されたのである。
しかし、当時の認識で、この事件が拉致事件であるとするなら、あるいはその可能性があるとするなら、一家3人の命が日々危惧される状況なのであるから、このような捜査方針をとるべきでなく、まずもってオウム真理教の疑惑を解明する方向で捜査が行われるべきであったことは明らかである。そして、120名もの捜査本部体制を敷いたのであるから、坂本弁護士一家と交友関係のあった人達にも捜査本部の人員の一部を割いて当たりつつ、捜査本部のエネルギーの大部分をオウム真理教に割くことは十分可能だったのである。そのような捜査方法をとっていれば、松本らが西ドイツに出国したことを事前に掴めたはずであるし、帰国時早川、村井らが不自然に手袋をしていること、早川のアリバイが事件当時なかったことなども判明していた可能性もあるのである。しかし、どのように贔屓目に見ても、当時のオウム真理教に対する捜査は、捜査対象が100あるとすると、そのうちの1つ、つまり100分の1しか力を割いていなかったと言わざるを得ない。
そして、捜査本部がこのような捜査方針をとった最も大きな原因は、事件性の認識が希薄であったこと、オウム真理教が攻撃的な「宗教団体」であったことに加え、「一家の生命」よりも「万が一にでも失敗をしない」ことを優先したからではないかとの疑いを禁じ得ない。もちろん、見込み・予断による強引な捜査がどんなに人権を侵害するかは明らかであるから、根拠のない強制捜査、マスコミへのリークなどは厳に慎まなければならないが、当時の状況からしてオウム真理教が最も容疑の濃い団体であったことは明らかであるから、オウム真理教に対する慎重かつ精力的な内偵捜査などがなされてしかるべきだったことは明らかである。
しかし事件発生当初の捜査方針は、オウムに関しては、他の可能性が否定されるまで、内偵や基礎的捜査すらなされず、事件とは一番関係のなさそうなところから当たっていくというものであったと言わざるを得ない。オウム真理教がこの後暴走を続け、ついにはサリン事件など重大犯罪を重ねたことからしても、このような捜査方針をとったことについて、坂本弁護士一家事件の捜査の当時の最高責任者であった古賀刑事部長(当時)を始め、事件捜査の責任者の責任は重いと言わざるを得ない。
2 坂本事件当時のオウム真理教の動きにしか注目しなかったこと
県警が、オウム真理教について捜査を行うようになって後も、県警は、オウム真理教のその都度の動きについてはほとんど無関心で、坂本弁護士一家事件当時の動向のみを追い続けた。つまり、県警は、坂本事件当時のオウム真理教関係者の動向についてはともかく、その後のオウム真理教には注目していなかったのである。
県警は、オウム真理教の元信者から事情聴取をしても、坂本弁護士一家事件について知っているかどうかを聞くだけであり、その他の事実については少なくとも95年までは聞こうともしなかった。
89年から95年までの間、オウム真理教被害対策弁護団や被害者らは、オウム真理教の数々の犯罪について、その都度所轄警察に被害届や告訴告発の形で訴え続けた。そして、その際には、坂本弁護士一家事件の捜査本部に対しても、オウム真理教被害対策弁護団は、告訴状、告発状の写しなどをその都度提出していた。
もちろん、各警察には管轄があるので、捜査本部に告訴・告発状の写しを提出したからといって、捜査本部がその件で具体的に捜査を行う等ということはあり得ないが、このようなオウム真理教の状況についての情報提供を受けても、事件当時のオウム真理教の状況のみを調べるという捜査本部のオウム真理教に対するスタンスには全く変わりがなかった。
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