- 5 マスコミによる冤罪事件を起こさないこと
マスコミによる冤罪事件を起こさないという点については、特に坂本事件とオウム真理教の関係ではマスコミは何ら問題を起こさなかった。しかしこれを単に立派なことと片づけてよいかは大いに問題である。
マスコミ(特に週刊誌とワイドショーなどのテレビ)は、あの三浦和義疑惑の時は、それこそオウムと坂本事件との関連ほどの疑惑があるのかどうかわからない時点でも「使命感」に燃えて追求した。少なくとも、他のマスコミの報道に乗って、自分の社で独自に調査していなくても報道したところがあるのは否定できないのではないか。 坂本事件の後にも、松本サリン事件では河野さんに対してマスコミは重大な人権侵害を犯している。
結局共通するのは、三浦和義や河野さんの時は、相手が単なる個人であり、あまり怖くない、うるさくないということである。オウム真理教を相手とする時はすぐに抗議が来るから慎重にし(むしろ慎重すぎるくらいに対応し)、相手が個人であるなど、抗議を受けてもあまり怖くない相手の時は平気で「追求」するというのは問題である。
また、もう一点指摘しておかなければならないのは、河野さん事件の時は、警察が河野さんを犯人であるとほとんど断定して捜査し、かつ情報を報道陣にリークしていたが、坂本弁護士一家事件の時は警察がオウム真理教の疑惑に対して、当初極めて消極的だったことである。
もしも坂本事件の際にも警察からオウム真理教が犯人だと思うという「リーク情報」が当初から流れていたら、恐らくマスコミの報道は全く違ったものになっていたであろう。その意味で、「警察情報に寄りかかった報道」という、本来独自取材の観点からすれば克服すべきマスコミの問題点が、こと坂本事件に関しては皮肉にも「慎重な報道」という結果となったという見方もできる。
なお、1995年3月22日のオウム真理教に対する強制捜査開始以後は、反対に「オウムに関する記事なら何でも解禁」という状況が現出した。これも、警察というオウム真理教よりもっと強い存在が味方についたということで、いわば「安心して報道した」のは否定できないであろう。
結局、「強い者に弱く、弱い者に強い」「警察情報は基本的に信頼してすぐに依拠する」という問題を、新聞、テレビなどを問わず、今のマスコミは相変わらず抱えているのではないかと言わざるを得ない。