- 6 取材される側の人権の問題
- (一)はじめに
- 週刊ポスト1990年1月19日号は、大山友之さん(都子さんのお父さん)のこんな言葉を載せている。
- 「連日の報道には私たちの心臓を止める記事さえある」「『拉致された』坂本弁護士一家。その一族が告白する『地獄の日々』」と題して、「ある週刊誌など、六年前の娘の結婚式の写真を勝手に載せたりした。自分たちの利益のため、興味本位の読者につられて載せるのでしょうが、しかし、事件の参考にもならないでしょう。心外としか言いようがない。驚いたのは、サラ金が原因との報道です。まさか、あんなことを書くなんて・・・。書かれてみて初めて、書かれる側の痛みを身をもって知りましたよ」。
- 他方、ある夕刊紙がこの時期にイスタンブールでの弁護士の変死事件をわざわざ「弁護士は殺されていた」というタイトルで二段抜きの記事にした例などを紹介しながら、「率直に申し上げる。こうしたマスコミの逸脱した報道ぶりは、本誌にもその責任の一端があると思う。」と述べ、「今回の坂本弁護士失踪事件の中で、今も待っている家族に対する人権、失踪した一家の人権もある。そしてまた、こうした報道の中で、容疑者としてヤリ玉に上げられたオウム真理教という宗教団体にも人権はある。」「人権と報道、その二つの自由を追求してゆくことを求められるマスメディアは、報道にあたって常にその責任を自覚すべきだと、我々ももう一度、肝を据えたい。」と結んでいる。
- では、マスコミは、坂本弁護士一家の命、さちよさんや大山さんなど、取材される側に対してどの程度配慮してきたのであろうか。その人権をきちんと守ってきたのであろうか。