- 二 問題の所在
TBSが、坂本弁護士のインタビュービデオをオウム側に見せたことに端を発する問題については、ジャーナリズムのあり方、放送倫理からの問題もあるが、救う会から見た場合の「TBS問題」は、TBSが坂本インタビュービデオを早川らに見せたことあるいは早川らが抗議に来た事実をこの時期まで秘匿していたことが「坂本事件の発生」「坂本弁護士一家救出」「真相解明」にとってどういう影響を与えたかということである。
- 1 TBSが坂本インタビュービデオを早川らに見せたことの問題
- (一) 事件との因果関係の有無
1989年10月26日、坂本インタビュービデオをTBSが早川、上祐、青山のオウム真理教幹部に見せたことはTBSもこれを認めた。
この見せた行為が、坂本殺害にとってどのような意味を有するかが問題とされねばならない。広い意義での因果関係の有無である。
この点の評価をなすにあたっては次の二点が問題となる。
第1は、10月26日のビデオを見る前の段階で坂本はオウムにどう映っていたか、認識されていたか、
第2は、坂本インタビュービデオの内容は、どのようなもので、それを早川らが見ることによって、坂本に対し、どのような認識を持ったか、 である。
- (二) ビデオを見る前のオウム側の坂本に対する認識
1989年10月26日、TBSがビデオを早川らに見せる直前までの坂本に対するオウムの認識は、オウムに対抗する人物であるとの認識はあっても、致命的なダメージを受ける相手との認識はなかったと思われる。むしろオウムにとって当時の攻撃すべき敵の最たるものはサンデー毎日であった。
オウムに対する、坂本の行動は、出家した信者の子供と、親との面会の交渉が中心であり、それは主に青山との弁護士同士の話し合いで推移している。
血のイニシエーションについて、京都大学医学部への照会をし、オウムのPR内容が事実に反する旨の回答を得ている。確かに青山も京都大学医学部で証明されたとしたことは事実と異なることを認め、坂本に謝罪の意を表している。しかしオウム側は、事実と異なったのは「京都大学医学部の証明」の点だけであり、肝心の「麻原のDNAには特別の力がある」との点は事実であるとして譲っていない。
従って、この点の追及のみで殺害まで即意図するとは思われない。
- (三) インタビュー内容がオウム側に与えた影響
10分あまりの坂本のインタビュー内容は、今にして思えば、坂本の慧眼ともいえる事態の認識を示している。信教の自由に対する慎重な配慮をしながら、しかし、それが社会のルールを外れ、人の生活や権利を侵害する場合は、当然のことながら社会的批判にさらされ、法的制裁を受けねばならない。坂本のスタンスは実に明快である。このスタンスに立って、未成年信者の出家、お布施、血のイニシエーション等のどこが問題であり、それはどのような方法によって解決されるべきかを、青年弁護士の正義感をあふれさせながらも、エキセントリックではなく冷静な指摘をしている。
8月に宗教法人の認証を受けたばかりのオウムにとって、お布施や修行形態という宗教団体の基本的な点を詐欺等の違法行為として裁判上争われることのマイナスは計り知れないとオウムが考えたとして不思議ではない。 坂本のインタビュー内容は、坂本がオウムに対し、いかなる情報を持ち、どう対抗しようとしていたのか、その全体像をオウムに知らしめたのである。
加えて、10月21日に「オウム真理教被害者の会」の発起人の集まりが開かれ、10月28日には第1回の総会が開催されている。被害者の会が、坂本の指導とイニシアティブのもとに結成されたことはオウムの知るところであった。
オウムの実態を把握し、事実でオウムを批判できる人達が組織を作り、これまでの個別対応から組織的対応へと質的に変化する動きと、その中心となっているのが弁護士であり、法的措置も含めた具体的な対応が準備されているということが、宗教法人の認証取り消しをおそれるオウムにとって、脅威の存在と映ったことは間違いない。もっとも、一般的感覚からいえば、これが即殺意の形成につながるものではない。これが殺意の形成につながるのが、オウムの異常性、短絡性と言うべきものであり、TBSにインタビュービデオを見せることが当時、殺意形成につながると予見すべきであったとまで主張するつもりはない。
しかし、10月26日の出来事がない限り、10月31日の早川、上祐、青山の幹部三名による横浜法律事務所訪問はなかった。
もともと10月31日午後3時、青山は岡山市の河田英正弁護士の事務所を訪問する約束をしていた。しかもその約束は以前になされたものではなく2日前の10月29日に合意されたものである。10月29日は日曜日である。初対面の弁護士が日曜日に自宅に電話して面会の約束を取り付けることそのものが通常ではあり得ない。河田弁護士への面会そのものもオウム側に急ぐ事情があった証左である。
河田弁護士への性急な面会要請の理由は、河田弁護士がサンデー毎日に寄せたコメントの訂正を求めることであり、また河田弁護士がオウム真理教被害者の会といかなる関係にあるかということを確かめるためであった(このことは、2日後の11月2日、上祐、青山が河田弁護士を訪れた際の面会内容によって確認されている)。
10月29日時点で、青山のレベルでは未だ坂本よりサンデー毎日の方が問題だったのである。恐らく松本智津夫(麻原彰晃)レベルでは、10月26日のインタビュービデオの内容、10月28日の被害者の会総会と続く中で、坂本重視の動きになっていたと思われる。
10月30日に事態は一変し、河田よりまず坂本に面会する方が優先する考えに変わる。
10月31日の早川、上祐、青山による横浜法律事務所訪問は、青山の強引とも思える坂本への面会要請にもとづく。それゆえに午後8時以降というこれまた弁護士同士の話し合いとしては、異例の遅い時間に設定されているのである。
しかも、坂本は当然青山との二人だけの話し合いと思っていたところ、約束に反し早川、上祐まで同行してきた。
以上の経緯を見ると、10月26日のTBSによる坂本インタビュービデオを見せるという行為がなければ、10月31日の訪問はなかったと言わざるを得ない。
そして、10月31日の交渉決裂がなければ、11月4日の殺害もなかったのである。
坂本インタビュービデオを見せたTBSに、殺害事件発生を予見せよとまでは言えない。しかし、事実は事実、因果関係は因果関係として厳しく確認しておく必要がある。