- TBSが事後的に通報しなかったことの問題
坂本事件が発生して以降も、今回問題が表面化するまで、TBSから横浜法律事務所、救う会に対しては、なんの通報もされなかった。 捜査機関は、早川がこの件について供述をした95年の9月段階で、10月26日の出来事を初めて知る。
- (一) TBSが事実を秘匿した理由
- TBSは最初の「調査結果の概要」では、通報せず、事実を秘匿した理由として、「オウムの来訪は番組制作上の通常のトラブルと認識していた。当時の社会情勢から言ってオウムが凶悪な犯罪を犯す集団とは思わなかった」としていた。
- しかし、その後の事態の進展で、特別調査人調査報告書は、「これらの一連の事実を前提にすると、E、A両プロデューサーが坂本事件における坂本テープの重要性及び坂本事件とオウムとの関連性について強く認識していたことは明らかであると言うべきであり、延いてはテープ事件と坂本事件とに何らかの関連があり得るということは当然に認識し得たはずである。従って、斯かる状況のもとでEプロデューサーらテープ事件関係者が、テープ事件又は、少なくとも10月31日横浜法律事務所を訪れたオウムの3人が10月26日夜千代田分室に来た事実を、公表はともかく、少なくとも『坂本弁護士と家族を救う全国弁護士の会』ないしは横浜法律事務所等に通報することは可能であったと言うべきである。」と断定した。
- そして今日に至るまで秘匿し続けた理由は、「彼らの心情を敢えて推測すれば、これは、テープ事件という職業倫理に悖る失敗を犯したとの思いのあるテープ事件関係者が、テープ事件の約1週間後の11月3日に坂本一家が行方不明になったという報道に接し、しかも千代田分室に現れた早川ら同じ三人のメンバーが、坂本弁護士の事務所を10月31日の夜に訪れ坂本弁護士と激しい議論をしていた事実などを聞くに及んで、ことのあまりに重大な進展に驚愕したため、自らの失策を公表する勇気を欠いたまま、真実を語ることを拒否しているとしか考えられない。」としたのである。
- (二) 事件の「早期解決」「真相解明」とTBSによる事実の秘匿
- 事件発生当初横浜法律事務所は本件直前の緊張、対立関係及び室内からオウムのバッジ(プルシャ)が発見されたこと等から、オウムを最も疑わしい存在と考え、警察にはもちろん、その他にも非公式には場面によって、そのことを正直に伝えることもしていた。
- 11月7日に事件発生を覚知し、磯子署に捜索願を提出した際もオウムを名指しし、翌8日に青山が事務所を訪れた際もオウム関与を前提にした対応をとり、九日にはオウムの東京本部、12日には富士宮市の富士山総本部に交渉に赴いた。 事件発生当初、オウムに対する捜査は全く進展しなかった。その最大のネックはいわゆる「動機論」であった。宗教法人なるが故の「腰の引き」もあったが、それ以上に、「こんな程度でオウムがやるわけがない」すなわち動機が不明確というものであった。
- 1990年4月着任したばかりで、「本件は弁護士の業務に絡んだ拉致事件であるとの疑いが濃い」とのコメントを発表した栗本県警刑事部長(坂本事件捜査本部長)も、横浜法律事務所の弁護士に対し「動機が弱い。何かもっとないか。坂本弁護士はオウムの致命的な弱点をつかんでいたのではないか」と執拗に尋ねていたくらいである。
- 従って、事件発生当初、10月26日の出来事が、捜査機関、そうでなくても横浜法律事務所、救う会に通報があれば、最大のネックであった「動機論」に大きな影響を与えたことは間違いない。10月26日、10月31日、11月4日と続く事実の連関の中で、動機形成に関わる一定の納得を得られる事態を迎えることができたはずである。そして、捜査のオウムへの絞り込みも、もっと早く、もっと強くできたはずである。
- 救う会の活動が、5年10ヶ月もの長きを要さずに済んだかもしれない。
- TBSの秘匿行為は、事件解決を遅らせたことの大きな要素であると言っても言い過ぎではない。