1990年4月から1994年12月まで
−ようやく「失踪」から「事件」へ−
1990年4月26日、神奈川県警の栗本刑事部長は、着任後の記者会見で、
「坂本事件は弁護士業務に関連した拉致事件である可能性が極めて高い」との見解を表明した。県警が弁護士業務関連性を公式に表明したのはこれが初めてのこと。
これを受け、新聞各紙も
「弁護活動に絡む拉致 坂本さん一家失踪 捜査本部が断定(4月27日読売朝刊)」
「弁護士一家拉致か神奈川県警の刑事部長示唆仕事絡みの線捜査(同日朝日)」
「業務トラブル濃厚栗本刑事部長明かす有力な手掛かり依然なし捜査態勢縮小せず(同日神奈川)」
等、大きく報道した。
−かろうじてイベント報道−

事件発生から半年を経て、「失跡?6ヶ月(上・中・下、毎日)」等、坂本事件を追った特集記事を組む新聞社もあった。これ以降の新聞の坂本事件の取り扱いは、事件そのものを扱った報道としては、概ね事件発生から1周年、2周年などを区切りとして、11月3日前後には毎年続けられたものの、それ以外の時期は、主に救う会の救出活動、さちよさんの活動など、坂本弁護士一家の救出に向けた活動(イベント)の報道が中心となった。
逆に言えば、これら救出活動・イベントがなければ、坂本事件に関する新聞報道はほとんどなくなっていたといっても過言ではない。
各新聞社の坂本一家救出活動に対する対応は概ね好意的で、署名、ビラまき、集会、懸賞金等々それぞれの活動に関して記者クラブなどに情報提供すると、そのほとんどは記事にしてもらっていた。
もっとも、その扱いが年々小さくなったことは否めず、次第に全国版ではなく横浜版での取り扱いとなる傾向は顕著であった。
その中で、1994年秋に取り組まれた坂本一家救出のためのキャラバン行動の際に、朝日新聞が救出活動に携わる人々を追った連載記事をかなりの期間載せてくれたことは救出活動にとって大きな励みとなった。
−「坂本」に飽きたテレビ−
一方、テレビの扱いは、1990年4月以降は、「初めての」署名提出など、比較的絵になる救出活動については若干ニュース枠で報道されたが、それ以外の報道はほとんどなくなっていった。
事件直後はあれほど殺到したワイドショーも、ほとんど取り上げなくなり、また、オウム真理教自体に関するワイドショーの報道も、1990年3月以降は、熊本県波野村の国土法違反事件など、いくつかの事件に絡む報道を除いてほとんどなくなっていった。
もっとも、この波野村の事件の際も、坂本事件に関する報道はほとんどなされなかった。
その中で出色だったのは、1990年9月19日に放映された
NHKドキュメント90「待ち続ける日々 坂本弁護士一家事件」
であった。これは坂本一家の帰りを待ちつつ救出活動を続けるさちよさんを長期にわたって取材したもので、「坂本弁護士一家を救え」との世論を高めることに役立った。
また、ワイドショーでは、フジテレビの「おはようナイスデイ」の担当者が、折に触れさちよさんに連絡を取り、様々な救出活動を意識的に報道してくれた。
しかし、それ以外の坂本事件に関するテレビ報道は、ほとんどが坂本事件を正面からとらえたものではなく、例えば超能力者を紹介する番組の中で、その超能力者が坂本事件を推理し、一家の所在場所を当てる(実際には当たりはしないが)など、単なる興味本位の番組がほとんどであった。
週刊誌
週刊誌など雑誌の分野では、時折坂本事件、あるいはオウム真理教を追った記事が載り、特に坂本事件後オウム真理教を追い続ける江川紹子氏の記事が、週刊文春などに掲載され、坂本事件、そしてオウム真理教への追求が続いた。