- 三 坂本弁護士一家事件とマスコミ報道
- 1 正確な報道について
- (1)
坂本弁護士一家を救出し、事件を解決するためには、その前提として、この事件が正確に報道されることが必要である。とりわけ、全国紙が誤った報道を行った場合のマイナス影響は極めて大きいと言わざるを得ない。そして、誤った報道は、事件が動いており、他の新聞、メディアと競争している状況の中で起きやすく、そのような状況の中でなされた誤った報道は、そうであるが故に、事件の解決に対して与えるマイナス影響も極めて大きいものがあるのである。 従って、誤った報道を行った場合に、それをきちんと読者にわかる形で訂正することは、メディアの最低の義務であるという事ができる。 このような、事件が動いている状況の中でなされた不正確な報道の典型的なものとしては、事件直後の東京新聞による「内ゲバ」報道の問題がある。
- (2) 東京新聞・中日新聞による「過激派内ゲバ説」報道
1989年11月18日、東京新聞朝刊は社会面トップに「活動家の内ゲバか 不明弁護士学生時代から接触 各地で査問、ら致、遺留品バッジ故意におく?」との見出しを掲げ、さらにリード部分に「(神奈川県警の)これまでの調べで坂本弁護士は新興宗教団体の入信勧誘に伴う被害救済活動によって、事件に引き込まれたとの見方があった、しかし同弁護士が学生時代から交渉のあった体制改革運動に内部対立があることが分かり、対立抗争に巻き込まれた可能性もあると見て活動家の捜査に重点を移していく構え」との記事を載せて、坂本弁護士が過激派の内ゲバに巻き込まれたのではないか、つまり坂本弁護士も過激派の一味だったのではないかという報道を行った。 同日、同系列の中日新聞にも、「背景に過激派の内紛? 不明の弁護士学生時代に交流」との見出しのもとに、東京新聞と同じ記事が載り、これを11月19日の夕刊フジが、「内ゲバに巻き込まれる?」「学生時代から交流」「各地で査問、ら致エスカレート」と見出しをつけて後追いした。
これは全く事実無根の記事であった。なぜこのような事実無根の記事が流されたのか。それはある県警幹部の話を記者が聞き(横浜事務所の東京新聞との交渉過程で判明した)、これを横浜事務所の弁護士あるいは関係者などへの確認をいっさい行わないままに「信用」したからであった。
しかし、この記事が出た11月18日は、まさに事件が公開捜査に移行した3日後であり、横浜法律事務所の弁護士らは、坂本一家救出のためのどんなに小さな情報でも必死になって呼びかけていた時期であった。「何だ内ゲバだったのか」このような声が広がっていっては、坂本一家救出などできなくなってしまう。この記事はなんとしても訂正させる必要があった。家族あるいは横浜法律事務所への単なる謝罪では済まない問題であった。 横浜法律事務所は、その当日から、東京新聞などに対して抗議文を送るとともに、訂正記事の掲載を求めて交渉を開始した。また、坂本弁護士を良く知る同期の弁護士達も抗議文を送るとともに、記事の訂正を強く申し入れた。これに対し、東京新聞は、当初は当事者への「お詫び」だけで済まそうとする姿勢が強く、訂正記事の掲載については強く抵抗した。しかし、横浜法律事務所は同期の弁護士らの応援も得ながら、また、マスコミ問題に詳しい弁護士の応援も頼みつつ不退転の姿勢で交渉し、ようやく東京新聞は11月24日、お詫びと取消訂正記事を「ナゾ深まる一方 体制変革運動とは無関係」との見出しで掲載した。また、中日新聞も「過激派とは無関係 坂本弁護士ナゾの失踪3週間」との見出しで東京新聞と同様の記事を載せた(但し中日新聞はお詫びの文言ははなかった)。夕刊フジは、横浜法律事務所に文書でお詫びを申し入れたが、訂正記事は載せなかった。 直ちに、かつ断固として訂正を求めた結果、ようやく訂正記事が載ったが、それでも当初の記事が出てから6日が経過していた。本来ならば、記事の事実に誤りがあったことが判明した以上、外から言われなくとも訂正記事を載せるべきであるのに、このような経過でようやく訂正記事が載ったことは問題といわざるをえない。但し、誤った報道を行った場合に当事者に謝罪するだけで済ませようとする傾向は、一人東京新聞のみではなく、他のメディアも多かれ少なかれ同じ傾向があるというのが、この間の救出活動を通じての実感である。
- (3) 誤報
事件直後の誤報の典型として東京新聞の例を挙げたが、坂本事件を通じてはそれ以外にもいくつか小さな「誤報」はあった。そしてそれは、特に事態が急転しているようなときに多く現れた。それはそのような事態のもとでは「裏をとっている暇がない。」ということと、「他社に抜かれるわけにはいかない。」という強迫観念に大きな原因があるように思われる。 このような原因に基づく不正確な報道は、平成7年5月以降の坂本報道合戦の時にも生じた。この報道合戦の時も、事件に関わった犯人の数、使用した自動車、犯行の態様、犯行後の行動などについて、小さな食い違いが、全国紙であっても新聞社によって見られた。これは、報道源が警察筋からのリークのみであるということから、なおさら事実の裏付けが取りにくい上に、他社が坂本事件について報道している以上、自分の社も報道しないわけにいかないということで、完全に裏付けがとれる前の段階で報道していることにその原因があるのではないだろうか。
- (4) 継続的取材体制の欠如
不正確な報道のもう1つの原因としては、坂本事件を継続的に追いかけ、取材する記者がどの社にもいなかったということがあげられよう。
全国紙レベルの新聞社に関しては、坂本弁護士一家事件は主として横浜の司法記者クラブの記者が取材を担当していた。従って、救う会も、救出のための様々な取り組み等を行うときには、横浜の司法記者クラブを中心に情報提供、訴えをしていた。ところが、横浜の司法記者は、各社とも、2〜3年で異動のために替わってしまう。かくして、事件発生後3年も経った頃には、坂本弁護士一家事件発生を直接知っており、取材をした経験のある記者はほとんどいなくなってしまうのである。どんなに個人的に坂本事件に関心や問題意識を持ち、取材したいと思っていても、異動で替わった先から取材を続けるのは不可能に近い。そのため、横浜法律事務所あるいは救う会は、異動で替わってきた記者に対し、一から説明しなければならないということを繰り返さざるをえなかった。 また、このように「2〜3年で他の部署に異動し、その後は取材には来ない」ということがわかっていると、取材される側としても、なかなか腹を割った本音のところまでは話しにくい。
他方、取材する側も、取材される側の心の動きや痛みを深く知ることが難しくなるのではないだろうか。例えば、 共同通信横浜支局の記者が、「坂本事件をやりたい」ということでかなり長期にわたって担当部署にとどまり、取材を続けた。そのような中でお互いの信頼関係も深まり、理解も深まった。1995年5月に坂本一家事件について共同通信が配信する際、この記者は「さちよさんや大山さんの気持ちを考えると本当に忍びないけれど、社として配信することが決まったので」と、事前に電話を入れてくれた。
このような配慮が、家族の気持ちを多少なりとも癒すのである。
坂本弁護士一家事件は、わずか1歳10ヶ月の子供を含めた一家3人を惨殺するという犯罪史上希有の凶悪な事件であるが、それだけではなく、弁護士業務に対する妨害という点からは民主主義・法治主義に対する重大な挑戦という側面を持った事件でもある。しかし、この観点からの報道がなされるためには、単に事象面のみを報道するのではなく、この事件の意味するところも含めて継続的な取材がなされることが不可欠であろう。 坂本弁護士一家事件に関しては、警察には捜査本部が設置され、かつ、その捜査本部を指揮する現場の指揮官もほとんど固定した体制が取られた。その中で情報の継続性、捜査の一貫性が保たれてきた。また、坂本弁護士一家を救出するための組織である救う会も事務局長始め中心メンバーは常に変わらず継続的に運動を進めてきた。坂本弁護士一家事件に深く関わった中で継続的な人員体制を取らなかったのはマスコミのみである。 普遍的な問題点を含む重大事件などの場合には、社として継続的取材の体制を取ることを今後検討してもよいのではないだろうか。
坂本事件に限らず、日本のマスコミは、継続的な取材を支える体制に関して極めて弱い面があるように思われる。