- 2 大きく(広く)報道することについて
(一)
坂本弁護士一家事件をできるだけ大きく、広く報道するという点については、我々自身の希望レベルはともかく、他の事件との比較で見た場合には、マスコミは協力的であった。但し、記者の方々からよく言われたところであるが、「何か具体的なものがないと記事にできない」ということで、我々の側も「どうしたら記事にしてもらえるか、どうしたらテレビ放映してもらえるか」ということを常に考えていた。
具体的には、例えば坂本弁護士救出のための捜査態勢強化の要請署名に取り組むときは、「署名を始めることを決めた」という段階で記事にしてもらい、「署名活動を行った」ところを記事にしてもらい、「磯子署に初めて署名を提出した」ところを記事にしてもらった。そして次の署名提出は二度目ということで「ニュース価値」が減るため、今度は「警察庁に署名を初めて提出」して記事にしてもらい、次に警察庁に行くときは「さちよさんが初めて同行した」、その次は「日弁連会長が初めて署名提出に同行した」というように、とにかく「初めて」の取り組みを何か付け加えて記事にしてもらった。
また、テレビ報道の関係でも、磯子署に初めて署名提出するときはそれなりにカメラが来たが、警察庁に提出するときは画になりやすいようにと、日弁連から署名用紙の入った段ボール箱を台車数台に乗せて警察庁まで数百メートルガラガラと運んでいくなどした。
坂本キャラバンに際しては、広告宣伝会社のご厚意によってSL自動車を使用できたことも、坂本キャラバンをテレビ報道してもらう上で大きな力を発揮した。
また、救う会などが全国の各地域で集会を開催したり、あるいは全国一斉街頭署名・宣伝行動を行うときは、それぞれの地域で地元のマスコミに前もって宣伝してもらい、取材に来てもらうようにした。特にさちよさんや大山さん夫妻がそれぞれの地域に訴えに行ったときは、地元紙を中心にかなり大きなスペースをとって報道してもらい、これらも坂本事件の風化を防止することに大きな力を発揮したと言える。
このような意味で、坂本事件に関する報道は、報道の材料を提供する我々の取り組みと、これを基本的には好意的に取り上げてくれたマスコミとの共同作業であったということが言えよう。
(二)
しかし、懸賞金実行委員会の記事が半年毎の発表の度に全体として扱いが小さくなっていき、最後には地方版のベタ記事にしか載らなかったこともあるように(しかし情報提供を求めるということからすると、全国の市民が懸賞金実行委員会の活動を知っている必要がある)、読者・視聴者の興味を引きやすいネタがないとなかなか我々が期待するような取り上げ方がされないというもどかしさは常に感じていた。