早川供述調書(4)甲A140
11月4日午前4時頃、殺害後ビックホーンに乗せて富士のサティアンに帰った。
ブルーバードには自分と新実が乗った。
途中で村井が電話をし、「午前7時(6時か6時30分かも)に戻れ」と言う麻原の指示を村井から聞いた記憶がある。
持ち帰りは指示されていなかったが、当然遺体を持ち帰るものと思っていた。
ブルーバードは東名を使い富士へ。ビックホーンは一般道へ。検問を恐れた。
ビックホーンは富士近辺で待機。 ー図(帰路)ー
麻原専用車庫に戻った。山田カズタカが車庫に車を誘導。麻原の指示だと思った。
ビックホーンは車庫の中へ。ブルーバードも同じだと思う。シャッターを閉めた後、車を下りて、玄関の入口へ行くと、麻原に「よくやった、御苦労様。これが終ったら説法するんだ。皆を集めている。皆と顔を合わせない用に。
4階の瞑想室へ行く。
村井が麻原に「カツラを落としてきた。戻って取って来なければ」 「カツラですか、私が拾って来ましたよ」 「さすがティローパ。マンジュシュリの欠点を補う 」 。
村井が手袋を忘れたといっているので、自分だげではなかったと知り、報告。
「自分も落とした 。」 「ただ指を 」 「大丈夫か」 「たぶん。」。
麻原は初め「床下に埋めようか」などと言った。
富士の樹海も考えたがダメで。「それなら遠くの山に埋めろ」「2m以上掘れば大丈夫だ。」 「雪のあるところがいいですか」
村井「北アルプスがいいですね」 。
麻原「それがいい」。
「埋めるのは早川、山 は村井」。 「車は海に、遺体はドラム缶に入れて運べ」
遺体をドラム缶に入れ、車庫へ。白っぽいワゴン車にドラム缶を乗せた。
ビックホーンから降ろした時、遺体からパジャマを脱がせた(脱がせることは自然に決まった。)。
下着は不明。都子さんと子どもは一緒に入れた。布団をかぶせたかも知れない。
衣服等は残った別のドラム缶に入れた。
ワゴン車の荷台に村井が用意したスコップを2本位積んだ。
戻ってから出発するまでは全体として1時間位でやった。
ブルーバードに私と端本。ワゴン車には新実と中川。
途中いろいろ出し入れをし、中央高速で松本方面へ。
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