早川供述調書(5)甲A141
11月4日午前8時頃、車3台で出発。
昼頃、松本インターを下り、作業着、長靴などを購入。長靴を買う時、目立たぬように子ども用も買おうといった。
ワゴン車は駐車場に停め、買い物。
黒部ダム方面に向かった。
途中3体を一緒に埋めるべきかどうか相談。分けて埋めることに。
3体を別々の県に埋めれば、見つけても警察も動きにくいということになった。
最初に坂本を埋めるべきだと思っていた。しかし、穴を掘っても水が沸き出し、深く掘れなかったため、最初は子どもを埋めた。
大町ダムの方へも。夜埋めることにして近くの駐車場で待機。黒部観光ホテル内の公衆電話(裏手から入る。)で、村井が麻原に電話。遺体を別々に埋めることを報告。
私が電話に出ると「今マンジュシュリと話したが、おかしくなっていないか。」。
「おかしいんですよ。一旦ここにしようといった次に別なところにしようと言い出して」
「それじゃぁティローパ、マンジュシュリをよく補佐してやってくれ」。
佐伯を除く5人が穴を掘り(1m弱),水を出し、そこから横穴を掘って子どもを埋めた。
遺体は中川が持ってきた。
2人で仰向けにして埋めた。穴の上に枯れ葉、倒木等をかける。
10時〜11時頃埋め終った。ー図面添付ー
次に村井の先導で新潟へ向かった。
坂本を埋めた。大町から糸魚川に沿ってR8で行った。
ドライブイン「マリンドームのう」で車を停め仮眠。
11月5日、朝起きて食事を取ったと思うがはっきりしない。
ツルハシ等を購入(ホームセンターキンエイ )。スコップも買い足した。
大毛無山へ向かう。
ワゴン車は駐車場に残し、ブルーバードとビックホーンで場所を探しに行った。
場所を決めた後、中川、端本を残して、穴を掘り始めるように指示。
佐伯、村井、私はワゴン車に戻り、途中で蟹を購入。
新実と共に山に登る。
午後5時頃ワゴン車に乗り戻った。
中川逹はほとんど穴を掘っていなかったので、ひどく怒った。
掘り始めた。掘りやすかったので2m以上深く掘って、穴の中に仰向けに横たえた。
村井「歯を壊そう」と言い出し、皆でツルハシで坂本の歯を折った。万が一を思って、顔面を叩いていた。
「もういいんじゃないか」と言って、土をかけて埋め戻した。
11月5日の午後10時から11時頃になっていた。
再び山をおり、ドライブイン「マリンドーム」の駐車場に戻り、高山に向かった。
途中サービスエリアで仮眠を取った。
11月6日午前、魚津市方面へ。
市内で食糧等を買って休憩。佐伯がビックホーンで立体駐車場に入ったことがあった。
村井が選んだ山にあがって言った。急な坂道で崖っぷちだった。2台で行ったように思う。
ワゴンは山の麓に停め、ドラム缶をビツクホーンに積み替えた。
行き止まりまで登り、戻りながら場所を探した。
大きな石があり、なかなか掘れず全員で交替しながら掘った。
休む時は寝ていた。皆疲れていて、指示ほど深く掘れなかった。
ドラム缶を持ってきて、中川、村井が穴へ埋めた。腐敗が進んでいて、中川が顔を背けた。
横向きに顔を下ろし、膝をついた姿勢に。遺体を傷つける活でなかった。
穴が予定より浅く、砂利や、石で埋め戻した。ー図ー
埋め終ったのは、明るさの感じから、夕方だった。
山を下り、スコップやツルハシ等は海に捨てた。近くに人気の無い海岸でドラム缶を捨てた。布団や衣類等もそこで燃やした。
麻原に私と村井で終了報告をした。麻原が皆に食事を取らせろといった。
6日夜。片山津温泉に泊った。
2人ずつ別々のホテルに入るはずが、2組同じホテルになってしまった。私は端本と2人だった。
使った偽名は覚えていない。佐伯と村井は宿に泊らなかった。
7日朝、待ち合わせ場所で合流し、車を捨てることを決め、出発した。
早川供述調書(6)
車を海にということに。サティアンで麻原から指示されたが、場所は決めず。
片山津で合流。朝、村井が「山陰が都合が良い」と言い出し、戻った。
作業着も燃やすことになった。かなり疲れていた。
京都、大阪、兵庫、岡山、鳥取、島根と通った。釣り糸ど重りを購入(深さを測るために)。
村井に「近くにキャンプ場がある」。大阪か兵庫。そこで作業着を燃やした。車の車体番号もナイフで削った。
11月8日海づたいに鳥取県へ。
車を沈める適当なところを探した。観光地などでは見つかってしまう。鏡港もダメ。
「瀬戸内海でにごったところは」という話しになり、米子から津山へ。
津山で麻原に電話。
「なにをやっているんだ。いつまでかかっているんだ。」
「海が決められない」
「8日ごろから弁護士がお前を探している」
何故自分が探されているのか解らなかった。
「誰かプルシャを落としたのか」
プルシャのことは知らなかった。
「聞いてみます。」
中川「私かもしれません」
「中川が落としたと言っています」
「中川に代われ」中川と村井が電話に出た後、「ドジな3人はすぐ帰れと言われましたよ。」
中川、村井、私が帰ることになった。
明るいうちに津山を出て、すぐに富士へ向かった。
「車のシートをはずして、残りを佐伯に処分してもらおう」と言うことになり、シートをはずして、ブルーバードのトランクに入れ、富士へ。
11月9日か10日には富士に帰った。
「車の色を塗り替えるか、ぶつけてこいと」と言われた。
何時言われたたのかは、はっきりしない。
ブルーバードをポールにこすりつけるよう、傷つける。思ったより傷が小さく、カッターで傷をつける。
車輛班にブルーバードの色を塗り替えるよう指示。
富士に戻り、麻原に帰路の報告。このとき麻原はプルシャのことなど言わなかった。
麻原が「ティローパは修行に入っていることになっている。他の信者と修行をしておくように」と言われた。
やがて佐伯が帰って来た。
佐伯が帰ってから実行犯がサティアンの4階に集められ、麻原に「3人殺したら死刑間違いなし。指示した者も同罪だ。」と言われた。
実行犯を落ち着かせるためたと思っていた。
麻原が「真理を妨害した金で雇われているのも悪徳だ。坂本は地獄へ。息子は飢餓 。妻は動物 。
サティアンで修行をしている時、「弁護士が早川宛てに事務所に来たが追い返した」と聞いたこともある。
ドイツ(ボン)へ行ったのはマスコミの捜査の矛先をかわすため。
西ドイツに行かなければならないが、理由が無かった。
麻原からボンで指紋を焼いて消すように直接指示される。焼けた鉄板に押しつけることに。村井は一気に。自分はあまりの熱さと痛さに、何時間もかかった。両手に手袋をした。カモフラージュのため、周りの人間も手袋をした。
ー図・ボン支部ー
再び指紋が浮き上がって来た。
逮捕の噂があったので、中川に手術を受けさせられた。1月中旬ころ。