早川供述調書(7)甲A145
平成元年一部出家信者と家族との間にトラブル。
出家問題の派生というか、 の についてもインチキ、詐欺、麻原の超能力はインチキとして攻撃。
宗教法人の認証も妨害。法人化は麻原の夢。
北川(平田の記 所)が知事に圧力をかけたが、受理を拒否された。
多数の 、都に圧力をかける、政治的力をつけること。橋本、青山らも。平成2年2月頃国会議員にも圧力をかける。
平成3年8月、真理党旗上げ。一部親の都への圧力も認識。 事由と都政問題。
親とオウムの間に深い溝がある。しかし、認証にある程度応じた。
山本貴子は坂本弁護士が担当していて、会うことになった。青山を窓口にした。会うことは麻原が判断すると。
そのとき早川と新実が同席。これは麻原の指示。
教義、制度などを説明。連れ戻しを阻止。
平成元年8月頃、市内の富士文化センター。
山本が戻らないと宣言。坂本が無理に連れ帰る。
そのとき坂本は宗教を信じていないと印象を持った。
坂本は山本問題のみの担当と思った。
平成元年8月25日認証。麻原が非常に喜んだ。
しかし、新実から1年以内取り消し可とわかったらしい。
平成2年2月に向けて準備。早川に麻原 。
選挙に勝つため25人を要した。
10月になってサンデー毎日の連載が始まった。
麻原が個人攻撃され、麻原自らが抗議。しかし喧嘩別れとなる。
一層記事が過激になる。
毎日新聞に攻撃新聞を印刷、創価学会とカモフラージュ。
毎日新聞爆破の下見をした。
坂本弁護士事件の後なので、マスコミも取り上げ、教団というだろう。
しかし、徹底して反論。
上祐、佐伯、私プラス青山。
大師は同席を許さない。
マスコミに抗議、訂正を要求。元信者にも訂正させた。
この中で坂本が親達と を知った。
10月24日サティアンで10月21日発足と のころ知った。
(平成元年10月手帳から)
10月26日高山正明に水中クンバカをさせた。
TBSのビデオの件は夜中聞いた。
麻原に言ったところ、中止させろと指示。
TBSに連絡してスタジオへ。放映の確認。 と教える。
TBSも被害者の問題からビデオを見せた。
永岡、牧、坂本が映っていた。
坂本がそこで、信者に帰るようにと、教団は詐欺商法だ。麻原なんか超能力者ではないと言っていた。
TBSに変更を要求した。オウムの意向をきいて放映は待つ含み。
TBSに他言しないよう要請した。
麻原、上祐 でマスコミ対策を話しあった。
TBSに今後も放映させない。
坂本や岡山のカワダに連絡して意志確認。謝罪。
被害者の会の会合の様子も連絡させた。
TBS、牧への攻撃は今後も。
それで10月31日に上祐、私、青山が行くことになった。
事前交渉は青山。
午後6時頃週刊大衆へ。認証報道について 載せることに抗議したが反論を載せると言うことで妥協。
それから横浜法律事務所へ。
車をおいて電車でいった。
午後8時過ぎ頃着いた。坂本に青山一人のはずと言われ、上祐と待たされる。
2人でパンフなどを見ながら待っていた。その間は聞き耳を立てていた。
青山が戻ってきてDNAやイニシエーションについて上祐が入った。
待っている間パンフを見たりして、共産党系法律事務所であること、霊感商法のことなどを知った。
(25周年パンフ・誰かが持って帰っている)情報として持ち帰った。
上祐と青山が出て、「私でも 」。坂本が「そうだ帰れ 」。「歓迎 」。「人を不幸に 」。
帰り道、交渉内容を聞いた。
こちらの妥協 し状態で 。
麻原に報告。
10月31日夜〜11月1日になっていた。
麻原に週刊大衆のことを私が話す。
青山が坂本弁護士のことを報告。
被害者の会の目的。イニシエーションへの批判。被害者の告訴等を報告。上祐も と非難。
早川に法律事務所や坂本弁護士のプロ を報告。
パンフで上祐か青山で麻原に坂本弁護士のことを報告。
麻原から殺せと言われたとき「何故 」と思ったのが、「 ーーー」といわれて納得(将来を見ていろと麻原からいわれたので)。 麻原は殺意が (想像)。
ーー法律でなくマスコミを利用したたこと。
被害者の会を作り、色々と画策したこと。無関係のものの攻撃に許したいと。
後悔してもしきれない。
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