中川智正供述調書(甲A145)
麻原の指示。佐伯は3番目に成就。
佐伯、新実、村井、早川の順番で成就。
村井、早川、新実、佐伯の順で麻原の信頼が熱い。早川、佐伯、新実が一緒。
村井は4人の中で突出している。
昭和63年2月に入信。
6月研修医で大阪へ通っていたときに、麻原から出家を進められた。
8月31日出家。修行開始。(退職)11月3日までの間、修行と選挙準備。
10月下旬水中クンバカ。の公開実演。 ー塩ビ化力の資料添付ー
10月26日か、その頃村井から「人を殺せる薬ないか」と言ってきた。
「テトロドキシン、ストリキニーネなどがあります」と言った。
村井は「短時間眠らせる薬でもいい」と言った。
チオペンタールの話しもした。村井から調達を頼まれた。
特殊な体験をした。非常に驚き、 を離れて生きていけないと思っていた。
10月29日に大阪鉄道病院へ行った。
ナースステーションから持ち出そうと思っていた(インシュリン、塩化カリウム、チオペンタール)。
しかし、守衛に挨拶された。ナースからも挨拶された。血液ガスの検査器のある部屋から塩化カリウムのアンプル(前に自分が持ち込んだもの)4〜5本を持ち出した。
帰ってアンプルを持ち帰ったと報告。麻原が「帰って来て良かった」と言っていた。
平成元年11月5日頃、村井が怖い顔で「塩化カリウムを持ってこれるだろう」と言った。村井に預けた。
11月2日夜麻原のところへ。
11月3日朝、村井から「坂本の住所が分かった。もういくぞ。」と言われた。
塩化カリウムの粉末を準備し、飽和溶液を約1000cc作った。
それから出発。杉並道場で注射器(5ccのもの)を約10本用意し3本に塩化カリウムを入れた。
杉並道場にお参りしようと思って、プルシャを取り出し、ポケットに入れた。
新宿で服や靴を買った。時間が無く、ズボンの裾上げをしてもらぇず、安全ピンを買った。
ゴルフショップで手袋を買った。
端本が5〜6万円のものを買った。早川が怒り、村井がたしなめた。
裾上げをしていない者もいたので、安全ピンを渡した。
村井と新実がカツラを着けた。
自分がもっていたたのは1個のみ。出家前にセミナーに出て貰った。大阪道場で。
直径2cm、白い色のもの。安全ピンで着けるもの。
ビックホーンの中で半袖シャツの胸の中央部にプルシャを着けた。
見せてもらったプルシャが自分のつけたものと断定できないが、色や形は同じ。
午後5時30分〜6時頃新宿を出発した。厳密には 新宿発のとき同じような気がする。
このときの計画は車に連れ込み、注射して、殺して連れ去るというもの。
早川、新実は駅で見張り。出家者は曜日を忘れていたが、自分は当日休日であることを分かっていた。
しかし、言わなかった。言わずにもう十分。
6人のメンーバーは本当なら殺したいとは思っていなかった。
午後10時ころ新実に「祝日だから 」といったら、新実は手を叩いて、私を指さし、「賢い」と言った。
このあと坂本自宅に押し込む方法を話し込み始めた。
佐伯が「近くに神社があってよく見える。中に人がいるのではないか」と言ってきた。
佐伯が「行って来る、見て来るから」と出て行った。
真顔で「開いている。3人一緒だ」。
端本はやろう。
2人で「本当にやるのか。子供がいるんでしょ」。
村井と早川が「午前3時頃」と言った。
次へ