ある遺族の気持ち
50代女性
地下鉄サリン事件が起きてから2年、「もう2年」か「まだ2年」か、それはこの事件に関わっているか否か、被害者か否か、この事件に関心があるか否かでとらえ方は違うと思いますが、私にとっては「もう2年?」です。夫は明日にでも帰宅するような気がするし、傍聴しているオウム公判から知り得る被告たちの証言は、事件までの私の生活とはあまりにかけはなれていて、こんな事件が起きたという事実がまるで違う世界の話としか聞こえないからです。
日毎にオウム報道の枠も小さくなって風化の声も聞かれるようになってきたのとは反対に、東京地裁の中では嵐のような公判が続いています。傍聴して帰宅するとどっと疲れが出てきます。
私も夫も結構お人好しでのんびり暮らしていて、人を憎んだり疑ったりするようなことはありませんでしたが、事件後はいつもそのような人間としての醜い部分を持たざるを得なくなってしまったのは悲しいことです。
松本智津夫被告は視覚障害を利用して自分に有利に謀っているのではないだろうかとか、自らすすんで真実を明らかにしようとしている被告は死刑を免れたいがためではないだろうかとか、他の被告に罪をなすりつけようとしているのではないだろうかとか、警察の捜査にしてもこれほどの非難にも拘らずまだ何か隠しているように思えるし、行政も消極的で前向きな態度は少しも見えないし、何の罪も非もない被害者だけが悲痛な思いを味あわされているのです。
松本サリン事件と地下鉄サリン事件の被害者が被害者救済のために内閣に要請書を提出に出向いた昨年12月20日は、ちょうどペルーの大使館占拠事件が起きて3日目でしたから、記者会見に報道陣は数える程しかいませんでした。私はその時「ペルーで起きているようなテロ事件が日本で起きた時、政府は対応出来るのか」と言いました。
警察はオウム真理教が無差別大量殺人を起こすまで野放しにし、国は多くの犠牲者・被害者が出ても救済策一つ講じていないのです。 肝心の厚生省はエイズ事件や汚職事件を起こすし、国民の税金を使って誰のための行政でしょう。
最近になって犯罪被害者を組織的に援助する動きが出てきていますが、それとて民間のボランティア組織で、しかも実績がなければ国からの援助が得られないということです。考え方が逆転していると思いませんか?
遺族は、未然に防止出来たはずの事件で大事な家族の生命を奪われたために警察や国も同罪だと思っているし、サリン中毒の被害にあった人は、今すぐに援助の手をさしのべてほしいのです。
被害者はメディアを通じて被害の現状や救済を訴えることすら一般社会から阻害をうけています。確かに親類縁者や友人・同僚の中には、それを嫌がる人もいるでしょうし、被害者本人も社会的立場や信用を維持していくためにマスコミに知られることを避けたいと言う人もいることでしょう。こうして被害者は二次被害三次被害を受けているのです。
オウム真理教の一連の事件で裁かれるのは、数々の犯罪に手をそめた松本智津夫と実行犯とその犯罪を正当化している教団ですが、責任をとるべき人物・組織は他にもあり、そしてまた被害に遭わなかった人たちにも、あの時自分がサリンの置かれた電車に乗っていたらどうなったか、もう一度考えてほしいと思います。
以上
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