事件から2年が過ぎて
30代女性
平成7年3月20日当時勤めていた会社(経理事務)へ通勤途中 で事件に巻き込まれてしまった。
前の週に風邪で1週間入院してい た為に病み上がりで、体調もあまりよくなかった。会社は丸の内線 の南阿佐ケ谷にあったので、荻窪から乗車していた。
私の乗った電 車は、中野坂上付近でまいたと思われる。折り返し運転してしまっ たのだ。
初めに駅員の方がモップにて下(床)の汚れを拭き始める と乗客は咳きこみだした。私も鼻がツ−ンとし苦しくなった。
次の 駅にて下車し、地上へ出て少し歩くと急にひどい頭痛、吐き気、目 の痛み、心臓の苦しさ、よだれ、鼻水が出て、目の前が真っ暗にな り、しばらく歩けず休んでいた。
会社は徒歩1分のため何とか会社 にたどり着き、吐いてしまった。事務員は1人のため30分位横に なり、目がうす暗い中自宅に電話をし、タクシ−にて入院していた 病院に行くように言われた(タクシ−の中で事件を知った)。しか しその病院では治療できないと言われ、河北総合病院へ行った(午 前11:30頃)。そこでは、同じ乗車していたと思われる患者さ んが20人位いて手当てを受けていた。私はあまり良い状態ではな かったが、夕方頃帰宅した。
目の暗さも治らずだったが、夜入浴し 毒素を出そうと思ったが逆に苦しくなり(心臓が)夜11:30頃 両親と共に車で河北病院へ行った。少し休み、薬をもらい帰宅した。 会社は事務員1人で勤めていたため休むことができず(3月は欠 勤)3月末にて退社した。その後河北病院で解毒剤を打ってもらっ たが、よくならずだった。
5月に行った際には医師より、「今も症 状が悪いのはあなたぐらいです。気のせいです。」と強く言われて しまい通院を終了してしまった。しかし、目の痛み、頭痛、目の暗 さ、苦しさ、食欲不振(味が全くしない)は治らず、体重も28キ ログラムまで落ち、家で寝たままの状態だった。年が明け(体調が 悪く1日だけ)事務のアルバイトを行ったが、かえって悪くなって しまった。
また、その会社では事件の内容を話したのに、「オウム の信者だ」と間違えられ、大変嫌な思いをした。
その後はサリン被害者の会に入り、担当の弁護士の先生より「聖 路加病院へ行ってみては」と言って頂き、あきらめていた病状だっ たが、昨年5月末より通院し薬を投与している。
しかし、病状はよ くない。以前(事件前)は、月〜金に会社で勤務し、土、日にアルバイトをしていても健康だったのに、サリンの被害を受けてからは体の抵抗力が落ちてしまい、歯も弱く、すぐに風邪をひくようになってしまった。精神的にも始めの1年は健康な時の自分と今の自分を比べ「生きていても…」とまで思う日もあったが、家族の励ましで今では「ゆっくりと静養しよう」と思えるようになった。病院の先生にもカウンセリング治療して頂き、他にも後遺症で苦しんでいる方々のお話を伺うと、「自分もがんばろう」と思えるようになった。今まで(約10年間)がんばって働いたから、ゆっくりと自分への休暇だと思えるようになるまで大変辛かった。
今最も気になる事は左半分のしびれと(頭痛、目の痛みなどは今も続く)、感覚が少しマヒしている事だ(耳の左右の聞こえ、顔面を水で洗った時の冷たさの違い、臭い)。
事件への恐怖はそれほどないが、今でも電車に乗る時は、少し怖く、入口の所や窓の開いている所に乗るようにしている。又、未婚であるため、これからの将来への不安もある(現在は家族に扶養してもらっている)。 体重の方は、32キログラムになり、事件当時に比べれば良いため、今後も治療を続けていこうと思い、前向きに考えている。 弁護士の先生が言って下さったので通院し始めて良かった(1年 半は全く医者にはかからずだった)。
良い方に考えて3月20日の 朝(事件の時)脳卒中かと思い死を感じた私でしたので、今は命の 大切さを実感している。 本人でしかわからない後遺症の苦しさを(河北病院では検査の数 値のみで判断された)感じている。 簡単ではありますが、以上が事件からの過程です。
以上
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