六.警察の捜査について

(一)捜査本部発足と事件名
       警察は早くから公開捜査の方針を決めており、捜査の公開と同時に捜査本部が設置さ
      れると期待したが、その発表もなく歯痒い思いでした。十八日の新聞で捜査本部の設置
      を知り安堵したが、捜査本部名が「横浜市磯子区弁護士一家失踪事件捜査本部」と知っ
      たとき「公開捜査の同意を迫られてからの私たちの悩み、苦しみは、一体何であったの
      か、何のために同意したのか」自分自身に腹を立て、拳を握り、歯ぎしりを噛んで膝を
      力一杯叩きました。「失踪」と言う言葉は、一般的に「雲隠れ、行方を眩ます」の意味
      であり「自己の意思による行為」と言う印象を受けるのが通常です。公開捜査に同意し
      たことは「私の娘達は夜逃げしました。行方を眩ましました」と私自身で言ったに等し
      いと思えてなりませんでした。事件名を「拉致事件」または「誘拐事件」と何故しなか
      ったのか、これまでの現場検証、関係者の証言等で、自発的に家出をする要因はゼロに
      近く、事件性は限りなく強いことを察知出来た筈、察知していて「失踪事件」と位置付
      けたのは何故なのか理解できず、「意図的に失踪事件としたのではないか」「警察は真
      剣に捜査に当たる気があるのか」とさえ思えてなりませんでした。
       私たちを担当していたM刑事に尋ねたところ「拉致と言う法律用語はない、拉致され
      た証拠はない、話し合いで出ていったかもしれない、警察は行方が判らな場合い失踪と
      する」の説明でしたが、到底納得の出来るものではありませんでした。拉致の状況証拠
      (室内に残された形跡)からして「失踪」の不自然さは認識出来たはずであり、また、
      拉致の法律用語がなければ「誘拐事件」或いは「逮捕監禁事件」と出来たと思います。
      また、室内に残された多数の状況証拠を上回る任意の失踪を裏付ける証拠も無い筈ずで
      す。さらに、過去の誘拐事件で、行方が判らなくても「失踪事件」としてはいなかった。
       濁流に呑まれて「失踪」したと、警察が発表した経緯はかってないはずです。
       しかし、捜査初期の段階で警察との関係が悪化するのをおそれ、M刑事に反論するこ
      とを思い止まらざるを得ませんでした。

(二)事件名の影響
       事件発生以来五年余にわたるあいだ、生存救出を信じてひたすら走りつづけました。
      朝は「今日こそ手掛かりをつかみたい」夜になると「明日こそ光が見えてほしい」の繰
      り返し、今日と明日しか存在しない世界でもがいていた私たちは、この事件を「拉致事
      件」と捉え、その反社会性に激しい怒りを持った圧倒的多数の市民の力に強く支えられ
      ました。衷心から感謝しております。しかし「自らの意思で失踪した」と受け止めてい
      る人達の存在を忘れることも出来ません。「捜査体制の拡充強化」を求める署名に当た
      
      
      っても、また、地方議会に対し「厳正且つ迅速な捜査を要請する意見書」の提出を請願
      する際も、随所で「失踪」の言葉の怖を感じました。 
       平成二年一月末に始まった「捜査体制の拡充強化」を求める署名に私たちも同年二月
      上旬より真剣に取り組み、親族、友人知人等に署名をお願いしたところ、ある日、友人
      から「『警察で失踪としている、拉致とは思えない』と主張する者がいる」と伝えられ
      私は愕然としました。後にも数人の友人から「不祥事ゆえの家出と思っている人が以外
      と多い」「早い機会に集会を開いて『失踪事件』でないことを知って貰う必要がある」
      等意見が出され、この事件の真相を一人でも多くの人に理解して貰うことを最優先すべ
      きとの結論に達し、同年十月十四日の「坂本弁護士と家族を救う勝田市民集会」を持つ
      こととし、開催までの約五 カ月間全勢力を傾注せざるを得ませんでした。
       また、囲む会(坂本弁護士一家の両親を囲む会『勝田ファミリーO、B有志の会』)
      さがす会(坂本弁護士と家族をさがす茨城の会)等の救出支援団体が、平成二年春頃よ
      り平成七年春までの間に七十三回行われた街頭署名の殆どに私たちも参加すると共に、
      平成四年五月より同六年十二月までの間、袋田(五月〜十二月の観光シーズン中)及び
      笠間の陶炎祭(五月一〜五日)で観光客を対象として、妻と私(時には親族、友人等の
      の応援有り)で七十九回(一日四〜五時間)等、その他合わせて百七十回を越える街頭
      署名を行ってまいりました。この街頭署名でも「拉致事件」である由縁の説明に時間を
      費やすることがしばしばです。「初期捜査の段階で神奈川県警が厳正な判断を下してお
      れば、こんな誤解は生じない筈ず、この苛立たしさはなかった筈ず」とこみ上げる怒り
      を噛みしめたことは幾度もあります。
       地方議会の請願に際しても、同じ思いに悩まされました。請願が採択されなかった市
      町村議会から「警察で『失踪事件』としているのに、表題が『拉致事件』では議会審議
      に馴染まない」または「自分の意思で『失踪』した人間を捜すのに何故議会の意見書が
      必要なのか理解できない」との見解を示されました。請願書には拉致事件の概要を明記
      しさらに、日本弁護士連合会作成の「事実調査報告書」、救う会発行の「真相」、江川
      紹子の著書「横浜弁護士一家拉致事件」等の資料を添えて提出していたのですが、ご理
      解頂くまで数度伺った議会も数多く有ります。社会通念上「『失踪』は自己の意思によ
      るもの」と解釈するのは当然のことであり、その対応に苦慮した次第です。 
       事件当初現場に残っていた状況証拠を的確に判断し「拉致事件」または「誘拐事件」
      として適切な捜査の指揮がなされていたら、世界を震撼させた国辱的犯罪、松本、地下
      鉄サリン事件はあり得なかった筈です。「拉致事件」と訴え、「厳正かつ迅速な捜査」
      を強く要請してきた私たちのこの六年間は何であったのか、どう受け止めれば良いのか
      只々判断に迷うのみです。

(三)捜査の対応
       捜査全般通じて第一線に立つ刑事さん達の並ならぬご苦労は、私たちとしても痛い程
      感じております。事件当初の寒風の吹き抜ける街角で聞き込みをしている刑事に「警察
      の者です協力願います」と声を掛けられ、身分と行き先を伝えお礼を申し上げると、温
      かい励ましの言葉と「気をつけて行ってください」と気遣いの言葉に涙したこともあり
      ます。後に三人の遺体を執念で収容した警察官の方々も含め、深く感謝しております。
       しかし、残念なことに捜査の指揮に当たる立場の者の「認識」を疑わざるを得ない数
      々の事実は枚挙に遑がない程ありますが、ここでは差し控えます。
       国民に信頼される警察、安心して治安を委ねるに値する警察組織に建て直すには、警
      察自ずから組織を挙げてこの捜査を洗い直し、その経緯の総てを公表することが当然の
      義務であり、現在の警察組織にはそれを実行し得る自浄能力は充分に有ると信じたい、
      それなくして「何を以て警察の鼎などと言えるか」と叫びたい気持ちで一杯です

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