SF新世代と新本格


SF界・推理小説界の変容

 一九八〇年代後半、日本の読書界で目についた現象としてSF小説と推理小説の変容が
あった。この時期、SF界では専門誌の売れ行きがのきなみ低調となり、いくつもの雑誌
が廃刊に追い込まれた。ところが新書や文庫の売れ行きは好調で、かえってそれ以前より
もはるかに大衆的定着は進んでいたのである。これはSFの主流がファンを対象としてい
かにもSFらしいSFから、文学趣味を伴った作品もしくは新書ノベルズや文庫ジュブナ
イルに見られるような気楽な読み物に移ったためである。

 また、一九八〇年代前半から見られる現象ではあったが、それまでSFと不倶戴天の関
係にあったファンタジーや純文学とのフュージョンが進み、中間的な作品がよく見掛けら
れるようになった。純文学畑の作家がSF的な題材を好んでとりあげるようになったのも
一九八〇年代に入ってからであり、筒井康隆のようにSF畑から純文学の方にとりこまれ
る作家まで現れた。それまでにも安部公房や大江健三郎、福永武彦などがSFにとりくん
だことはあるが、そうした試みは純文学の世界では広く受け入れられるものとならなかっ
たのである。

 こうした変化は当然、SFというジャンルの内実そのものの変化につながっていく。S
F評論家の巽孝之氏は『ジャパノイド宣言』(早川書房)でこの状況を次のようにまとめ
る。戦後、日本SFの草創期にたずさわったのは、一九六〇年代デビューの福島正美、小
松左京、星新一、筒井康隆各氏らSF第一世代だった。彼らはまだSFが海のものとも山
のものともつかない時代、「SFを書く」こと自体を急務とした。続く一九七〇年代デビ
ューのSF第二世代は「SFで書く」ことを試みる人たちだった。

 そして、一九七〇年代末から八〇年代初頭にかけて、第三世代作家として新井素子、野
阿梓、神林長平、大原まり子、岬兄悟、火浦功、水見稜、谷甲州、中原涼、菅浩江、難波
弘之らがデビューする。彼らにとって、SFは改めて意識すべき対象ではなくなった。「
SFする」ことはすでに八〇年代の日常的様式となっており、あえてSF作家たらんとす
るのは、もはや「SFについてのSFを書く」ことに等しかった。さらに一九八〇年代後
半には、第四世代として中井紀夫や大場惑、柾悟郎や松尾由美、東野司、草上仁、狩野あ
ざみらが登場。彼らにとっては、英米SFを意識することよりも以前に、高度資本主義下
で「日本を書く」ことそのものがSFとなったのだという。

 SFを前にして肩をいからせることなく、日常として受け入れることのできる人々、そ
の出現がSFというジャンルを変えていった。巽氏が挙げるSF第三世代、第四世代の作
家がいずれも昭和三〇年代、もしくはその前後の生まれであることは注目すべき事実だろ
う。その中では年長者に属する人も、せいぜいゴジラよりやや上というくらいなのである
(東宝映画『ゴジラ』の封切は昭和二九年)。

 一方、推理小説の世界では、それまで社会派推理に押しつぶされていた本格派がようや
く息をふきかえし、「新本格派」とよばれる作家が続々と世に出た。すでに一九八〇年代
前半から泡坂妻夫、島田荘司らによる本格推理の立て直しは進んでいたが、それにしても
八〇年代後半の新人ラッシュぶりには目をみはるものがあった。そして彼らはいずれも昭
和三〇年代生まれ、もしくはそれ以降の世代に属しているのである。

 ちなみに新本格なる名称は終戦直後の新人作家によっても唱えられ、また昭和四〇年頃
には何と松本清張が自らの作風をそのように定義づけたこともある。彼らは自らの立場と
戦前の探偵小説との間に一線をひくためにこの名を用いたわけだが、昨今の「新本格派」
はむしろ古典的な「本格」の復興を志し、あえて「新」を唱えたものである。もっとも出
版社側の商業的要請による「新本格派」の乱立で今やそのレッテルも無意味になってきた
感もあるが、ここでは一九八〇年代後半から九〇年代初頭、「新本格派」が自覚的な運動
として作家と読者の認識に共有されていた時期、その波に乗って現れた作家とその活動相
対という意味でこの語を用いたい。

 さて、なぜ、一九八〇年代後半から、このような傾向が顕著になったのだろうか。SF
についていえば、一九七〇年代後半から八〇年代初頭にかけて、映画『スター・ウォーズ
』『未知との遭遇』『エイリアン』『ブレード・ランナー』やアニメの『宇宙戦艦ヤマト
』『機動戦士ガンダム』などのヒットによるSFの大衆化が影響している。

 また、本格推理についていえば、一九七〇年代における横溝正史、高木彬光、鮎川哲也
らのリバイバルがあり、また出版界に宇山秀雄(講談社)、戸川安宣(東京創元社)ら理
解ある編集者が現れたということが重要である。

 SFと本格推理、そして純文学の世界には共通した特徴がある。それはいずれも活動の
主流となっているのが同人誌活動だということである。そのため、作家や編集者、評論家
の多くは同人誌で鍛えられてから世に出ており、さらに彼らの中にはプロになっても同人
誌活動から足を洗わないものが少なくない。いや、中にはプロとしての世間の評価よりも
、同人誌仲間の評価の方に気にするような作家さえいる。

 したがってこれらのジャンルで専門誌を作る場合、たとえ商業出版であっても内容はフ
ァンジン的なものにならざるを得ない。これがSFの場合には裏目に出た。つまりファン
ジン的な雑誌はしばしば閉鎖性をともない勝ちである。つまり、外部の人には面白くもな
い楽屋オチや身内だけの独善的な評価がはばをきかすことになるのだ。

 そのためジャンルが大衆化するにつれて、新しく増えたファンも専門誌の読者としては
長続きできない。その上、SF大衆化と平行して専門誌そのものの数も増えていたため、
読者をとりあって共倒れになっていったというわけである(『SFマガジン』のように古
くから固定ファンをつかんでいた雑誌は現在でも存続している)。

 そこでSF専門誌乱立の中で世に出た才能の多くは従来のSF界の外に活動の場を求め
るようになった。たとえば文庫ジュブナイルやアニメ、ゲームの世界などだ。かくして、
SF専門誌は衰退したが、SF界の裾野はかえって広くなったというわけである。

 本格推理の場合には、昭和三〇年代以来、推理小説界を席巻していた社会派の猛威のた
め、商業出版の世界ではファンジン的なものが形成できなかった。そのため、新たに受け
皿をつくろうとした時、在野の遺賢をそこに集めることができたのである。

 このSF界、推理小説界の変動によって昭和三〇年代生まれの世代がこの時期、作家と
して次々と名乗りを挙げることになる。そして、彼らによるジャンル内世代交替がやがて
はそのジャンルの方向性そのものを変えていくことになったのである。

新井素子と綾辻行人

 さて、SFにおける世代交替を代表する人物として筆頭に挙げられるべきは、新井素子
氏だろう。彼女のデビュー作「あたしの中の・・・」が掲載されたのはSF誌『奇想天外
』一九七八年二月号であり、その意味では彼女を世に出したのは「従来の」専門誌だとい
うことになる。しかし、その心理の流れをそのまま話し言葉で追う独特の文体で、その実
、重いテーマを語る独特の作風はSF専門誌以外の場(文庫ジュブナイルなど)でファン
を獲得し、結果として一九八〇年代のSF界を代表する作家の一人になってしまった。

 その新井氏と漫画家・夢野一子氏との対談にこのような一節がある。

新井「『ウルトラQ』はオープニングがすごいよかった!墨絵が流れるみたいの。」

夢野「モノクロのころの。」

新井「そうそう。不気味で怖そうな音楽が流れて、墨みたいのがグジグジグジってなって
、それがウルトラQというタイトルになる。そこしか覚えていないんだけど、すごく印象
が強かった。それが流れてくるとザブトンを丸めてつかんで見てた。恐くなるとキャーッ
っていってザブトンにしがみつくの(笑)」

(『ネバーランド・パーティー−新井素子と十五人の漫画家』新書館、一九八五年)

 実は新井氏は怪獣ファンとしても知られており、一九八四年七月四日の作家生活七周年
記念パーティーではX星人(東宝映画『怪獣大戦争』に登場する宇宙人)の紛争で壇上に
立ったこともある。またその前年の十一月にはNHK教育テレビの『YOU』「怪獣熱中
時代」に出演、東宝映画やウルトラ・シリーズの怪獣たちへの「愛」を熱っぽく語ってく
れたものだ。その彼女の原風景の一つに『ウルトラQ』オープニングがあるというのはう
なづける。

 一方、『ウルトラQ』といえば、こう断言してはばからない人物もいる。

 「『江戸川乱歩』は僕の三大原体験の一つ。あとの二つは『ウルトラQ』と楳図かずお
」(『創元推理』一九九四年春号、アンケート特集「乱歩私観」)

 これは乱歩像を問うアンケートへの解答のため、『ウルトラQ』の扱いはとってつけた
ようなものになっているが、それでもこの解答者はそれを自らの原体験の一つに数えてい
るのである。この解答者の名は綾辻行人。一九八七年、『十角館の殺人』(講談社)でデ
ビューし、島田荘司から「綾辻行人君のような作家は、めったに出るものではない。それ
は一つには、時代の流れを徐々に変えていけるかもしれない資質を秘めるという点におい
てである」(『十角館の殺人』推薦文)と評せられた偉才である。「新本格派」を代表す
る作家の一人、というよりも、「新本格派」を象徴する作家といった方が適切かも知れな
い。なにしろ出版界の一部には、「新本格派とは綾辻行人的な作風の新人作家のこと」と
いう誤解さえあったといわれているのである。

 ちなみに綾辻氏が『ウルトラQ』と共に名を挙げる楳図かずお氏の業績の一つには『ウ
ルトラマン』のコミック化がある。

 綾辻氏は原体験としての『ウルトラQ』について次のように述べている。

「(現実に恐い思いをしたか、という質問に応えて)現実の恐怖体験というのは、ほとん
どないんじゃないでしょうか。たとえば超常的な体験をしたことは皆無だし、誰かに襲わ
れたとか襲われそうになったとかいう現実的な体験もないし。これは僕たちの世代の特色
なんじゃないかと思うんですけれどね、ほとんどがメディアを通しての恐怖体験だという
。(中略)だから本当に一番恐かったのは、幼稚園のときに、状況まではっきり覚えてま
すけど、冬、炬燵に入って、白黒テレビで『ウルトラQ』のケムール人を見て、もう怖く
て怖くて、という。そういう種類の記憶が断然多いですから(笑)」(『幻想文学』第四
一号、インタビュー「人外のものの恐怖」)

「(ミステリーやホラーにひかれたキッカケは、という質問に応えて)ミステリーに関し
てははっきりしていて、初めて読んだものがとんでもなく面白かったから、です。江戸川
乱歩とモーリス・ルブランでしたけどね。でも、それ以前に『ウルトラQ』と『楳図かず
お』、この二大体験がありました。幼稚園の頃なんですけど、その時の興奮が大いに影響
しています。怖いんだけれど楽しんじゃう、という。すべての始まりは、だからその辺に
あったんじゃないかと。僕らの世代、やっぱりテレビとまんがの力は大きいですね。」(
『別冊ぱふ・活字倶楽部Special』「作家interview 綾辻行人」)

 SF第三世代の旗手といわれた新井素子氏と、新本格派の魁となった綾辻行人氏、この
両者が原風景を共有しているという事実は興味深い。

 一九六六年、『ウルトラQ』『ウルトラマン』の大ヒットは未曾有の怪獣ブームを巻き
起こした。当時、このシリーズはTBS系で日曜午後七時、武田薬品の提供で放映されて
おり、全盛時には毎週三十パーセント以上の試聴率を確保していた(もちろん地方によっ
て放送時間の違いはあることだろうが)。さらにTBS系ではこの時間枠に続けて午後七
時三十分から藤子不二夫原作のアニメ『オバケのQ太郎』を放映していた。怪獣とオバケ
が相手では、裏番組の試聴率を稼げるわけはない。かくして、日曜午後七時台は「魔のQ
Qタイム」と呼ばれ、他局から恐れられたのである。

 ウルトラ・シリーズはその後も幾度か間をおきながらも製作が続けられ、また、再放送
も全国各局でくりかえし行われた。それを全部通してみると、一九六六年から現在まで、
毎週一回は日本のどこかでウルトラ・シリーズが放映されていたことになるという。

 この浸透力を考えれば、一九三〇年代、あるいはそれ以降の生まれの人は多かれ少なか
れ、幼少時にウルトラ・シリーズの影響を受けたものと推定できる。

 島田荘司氏が綾辻氏をはじめ我孫子武丸氏、歌野晶午氏、法月綸太郎氏ら「新本格派」
の旗手たちと行った座談会では、次のようなやりとりが見られる。

島田「名犯人っていうのもいた方がいいんですか。シリーズ犯人っていうのが・・・」

我孫子「いやいや(笑)。シリーズ犯人という意味じゃないです。優れた、きわめて知的
にずるがしこくて悪魔的なのがいたら、やっぱり盛りあがるでしょうね。シリーズじゃな
いですよ、だから」

島田「名探偵よりもむしろ、そっちの方が重要だということですか、でもない?」

我孫子「いたら映えるわけですよね、探偵が。探偵がいかに賢いかというものを引き立て
る、だから言ったら、ヒーロー物で、怪獣がめちゃくちゃ強いと。もうこれは地球が破壊
されてしまうなあ、というぐらいの怪獣が出てきたところに、ヒーローが出てきて倒した
ら、あいつはなんて強いんだ、と。実はヒーローが出てきたとたんに弱くなっているんだ
けれども、それを気づかせないと。だから、僕が以前、本格というか、名探偵というのは
スーパーヒーローなんだという説をたてたんですけど、つまりカッコイイもんですよ。そ
ういう意味ではシャーロック・ホームズから続いてくるわけですけれども、スーパーマン
は超能力というか、すごい力によって敵をやっつけるけれども、推理小説では知力によっ
て相手を討つわけです」

島田「よく解りますね」(「座談会/「新」本格推理の可能性PARTII」島田『本格ミ
ステリー宣言』講談社文庫、所収)。

 探偵をヒーローに、犯人を怪獣にたとえるという発想は、社会派全盛時代の推理作家か
らは先ず出てこなかったのではないか。名探偵をウルトラマンとすれば、さしずめ「名犯
人」の代表はバルタン星人というところかも知れない。

 また、SFと本格推理にまたがった仕事をしている井上雅彦氏にも、『ウルトラマン』
へのオマージュというべき掌篇「レッドキングの復讐」がある。その作品を収めた短編集
『異形博覧会』(角川文庫)には菊池秀行氏が解説をよせているが、その中で菊池氏は次
のように指摘した。

「私が五〇年代SFや怪奇映画を糧にして育ってきたように、井上雅彦の血の中に流れて
いるものは、六〇年代以降の超現実的オブジェであると断言していいだろう。昭和二〇〜
三〇年代とは比較にならないほど多量のそれらは、映画やTV、翻訳小説、或いは我が国
のミステリ、SF、怪奇小説等に姿を変えて井上雅彦の体内を滔々と流れる〔怪奇の血〕
に吸収されていった」

 ここで菊池氏の指摘する「六〇年代以降の超現実的オブジェ」、その筆頭にあげられる
べきものこそ、本書のテーマたる「ウルトラQシリーズ」なのである。

 ひょっとするとSF第三世代・第四世代、あるいは推理小説界の新本格派といわれる作
家たちにはウルトラQシリーズを原風景とする人が多く、それが彼らの創作にも何らかの
影を落としているのではないか。最近の若手によるSFや推理小説を読む時、私はこうし
た思いを禁じることができないのである。

ゴシックの末裔

 ウルトラQシリーズの現代日本SF、推理小説への影響を考えるにあたって、まず押さ
えておきたいことがある。それはSFおよび推理小説というジャンルそのものの起源とい
う問題である。

 SF、推理小説ともその起源をめぐっては諸説が乱立している。まず、SFについてい
うならば、ジャック=サトゥールは次のように述べる。

「ある種の貪欲なSF研究者にかかっては、SFの領域に組みこまれずに済むものはほと
んどないといってよい。『聖書』はもちろんのこと、もっと前の『ギルガメシュ叙事詩』
もSFであり、さらに遡れば、間違って角が三本も描かれている野牛の洞窟画もおそらく
数のうちに入るだろう」(サトゥール『現代SFの歴史』鹿島茂・鈴木秀治訳、早川書房)

 これを我が国であてはめていえば、さしずめ『古事記』も『竹取物語』もSFだという
類の説になるだろうか。前者は「神」という超人的存在の活躍を語っており(日本の「神
」はキリスト教などの神と違って絶対的なものではない)、後者は月という異世界からの
来訪者を主人公にしているというわけである。

 一方、「SF」という用語がはじめて用いられるようになったのは、一九二〇年代後半
のアメリカであり、正確には世界初のSF専門誌『アメージング=ストーリー』創刊(一
九二六年)の前後のことである。この時期における「SF」はあくまでサイエンティ・フ
ィクションの意味であり、スペキュレイティヴ・フィクションやサイエンス・ファンタジ
ーの意味にとるような多様な定義は生じていない。

『アメージング=ストーリー』創設者で初代編集長であるヒューゴー=ガーンズバックは
まだSFという用語さえなかった一九一一年、未来小説『ラルフ124C41+』をすで
に発表している。それは後にガーンズバック自身が定義したSF、すなわち「小説的興味
が科学的事実および未来の予言的ヴィジョンと混ざり合った物語」の具体例となるものだ
った。そこで、SFの起源をもっとも新しくみる論者にとっては、この一九一一年こそS
F誕生の年だったということになる。サトゥールもそのSF史を著すにあたっては、一九
一一年から筆を起こしているのである。

 もっとも、ガーンズバックは一方で、SFを「ジュール=ヴェルヌ、H=G=ウェルズ
、エドガー=アラン=ポーが書いたような物語」とも規定している。つまりガーンズバッ
ク自身、SFの歴史には先駆者がいたことを認めていたというわけである。

 また、科学のもたらす驚異をはじめてテーマにすえた作品だということで、メアリ=シ
ェリーの『フランケンシュタイン』(一八一八年)をSFの起源とする説もある。それは
ブライアン=オールディスが大著『十億年の宴』(浅倉久志他訳、東京創元社)で説いた
もので、現在では有力な説の一つとなっている。もっとも、サドゥールはこの説について
「私の見るところ、『フランケンシュタイン』はSFの血統につながるものではあっても
、それ以上のものでは決してない」と断じている。たしかにこの立場にも一理はある。と
いうのは、『フランケンシュタイン』にはたしかに科学者が登場するが、その所業は中世
以来のロマンスにおける黒魔術師や練金術師に通じるものだからである。そのため、『フ
ランケンシュタイン』は科学を扱っていながらも、当時流行したゴシック=ロマンスの一
つとみなされるべき作品にしあがっているのである。

 さて、推理小説の起源の方に目を映すと、そこにはSFの起源と同様のやっかいな問題
が潜んでいる。推理小説の起源をどこまでも遡れば、その行く手には神話と伝説のジャン
グルが広がっているだけである。エラリー=クィーンは『聖書』やギリシャ神話の世界に
すでに推理小説の萌芽があることを指摘した。すなわち、『聖書』外典の「ベルと竜」「
スザンナ」、古代ローマの叙事詩『アエネイアス』(ヴェルギリウス)にあるヘラクレス
のエピソード、ヘロドトスの『歴史』にある「ランプシニトス王の宝蔵」のエピソードな
どである(『クィーンの定員』解説)。

 この考え方が許されるのなら、東洋にも西洋とは独自に、推理小説の先祖となりうる物
語群が古代から存在していたことになる。たとえば「ランプシニトス王の宝蔵」とまった
く同じ話は仏教経典の中にもある(拙著『黄金伝説と仏陀伝』参照)。仏典や漢籍から、
犯罪や推理にまつわる話をひろっていけば枚挙にいとまがないだろう。

 一方、そうした見解に対して、探偵小説の生まれた時期まで特定してみせる見解がある
。ハワード=ヘイクラフトは次のように述べる。

「探偵小説の起源について奇妙な誤りがちかごろ信じられてきた。そのおもな原因は、古
代文学にいくつかの推理的で分析的な物語があったということにある。・・・推理という
ものは探偵事件の一要素にすぎないのに、部分を全体ととりちがえたこの誤りは、媒名辞
不周延のあやまちといわざるをえない」(ヘイクラフト『娯楽としての殺人』林峻一郎訳
、国書刊行会)。

 ヘイクラフトは推理小説の本質的テーマを、「犯罪を専門的に探偵する」ことに求める
。そして、その立場からポーの「モルグ街の殺人」こそ、世界最初の推理小説であるとみ
なし、それが雑誌『グレアムズ=マガジン』に初出した一八四一年四月を推理小説誕生の
時とみなすのである。

 むろん、この二つの極端に対して、その両方に意義を唱える論者もある。たとえば、イ
ーアン=ウーズビーは、「探偵行為というテーマに一貫した興味を示し、続けた最初のイ
ギリス小説」として、ウィリアム=ゴドウィンの『ケイレブ=ウィリアムズ』をあげる(
ウーズビー『天の猟犬』小池滋・村田靖子訳、東京書籍)。『ケイレブ=ウィリアムズ』
は一七九四年刊だから「モルグ街の殺人」に先立つこと四七年も前の作品である。また、
ゴドィンは『フランケンシュタイン』の著者の父親でもあった。

 フランスの作家ロベール=ドゥルーズは、「モルグ街の殺人」起源説に対して次のよう
に述べる。

「なぜミステリー特有の先史がないがしろにされなければならないのか、私たちにはよく
理解できない。その先史は、およそギリシャ悲劇からシェイクスピア劇にまで拡がってい
る。同様に、なぜミステリーの前史がないがしろにされているのかも理解できない。この
前史時代は、だいたいヴォルテールの『ザディグ』からポーの『モルグ街の殺人事件』ま
でであり、ウォルポールの『オトラント城綺譚』、アン=ラドクリフの『ユードルフォー
の秘密』、ルイスの『僧侶』、シェリー夫人の『フランケンシュタイン』などがふくまれ
ている。確実な日付を確定しようとするマニアや、仔細に検討する批評家にとっては気に
入らないだろうが」(ドゥルゥーズ『世界ミステリー百科』小潟昭夫監訳、JIKK)

 ここで挙げられた『オトラント城綺譚』『ユードルフォーの秘密』『僧侶』『フランケ
ンシュタイン』、さらに『ケイレブ=ウィリアムズ』はいずれもゴシック=ロマンスに分
類される作品群である。

 ゴシック=ロマンスはもともと重厚で威圧感のあるゴシック建築を文学の世界に再現し
ようとしたもので、ホレス=ウォルポールの『オトラント城綺譚』(一七六四)に始まる
。このように総称される作品群はいずれも謎めいた発端を持ち、しかも物語の進展と共に
その謎は錯綜していく。そして、その謎の解明は読者に恐怖と戦慄をもたらすのである。
かつて江戸川乱歩は、本格推理小説の三大要素として、発端の異常性、中段の調査の興味
、結末の意外性をあげた。言い換えると、発端で異常かつ魅力的な謎が提示され、結末で
読者に驚きがなくては、本格推理たりえないということである。この両者なしで、推理の
展開がいかに論理的であっても、それは小説以前のパズルでしかない。そして、ゴシック
=ロマンスは発端の謎と意外な解決という要素をすでに孕んでいたのである。

 また、ゴシック=ロマンスはその謎を支えるために、作品中に独自の世界観と論理を導
入する必要があった(中世的因習、心霊、擬似科学など)。そうした世界観の構築はSF
と相通ずるものがある。

 もちろんゴシック=ロマンスはSFあるいは推理小説そのものではない。しかし、謎の
解明がもたらすカタルシス、その楽しみをゴシック=ロマンスは小説の世界に持ち込んだ
。そして、その楽しみなくしては、SFも推理小説も登場することはなかったはずなので
ある。その意味ではSFも推理小説もゴシックの末裔なのだ。

ミステリーと怪獣映画

 ゴシック=ロマンスは後の怪奇小説の元祖だが、推理小説というジャンルはもともと怪
奇小説の一変種として生まれた。オールディスによって世界最初のSF小説に位置付けら
れた『フランケンシュタイン』の中にも、怪物が偽の証拠を残し、無実の女に殺人の冤罪
をかぶせるくだりがある。

 また、「モルグ街の殺人」などで本格推理小説の祖となったポーは、「アッシャー家の
惨劇」をはじめとするゴシック調怪奇小説の大家でもあった。ポーの作風において、推理
小説と怪奇小説をわかつものは、事件の解決が探偵役の論理的推理によるか、事件の展開
そのものがもたらす破局によるかであり、その雰囲気は共通しているのである。

 ポー以降においても、推理小説と怪奇小説は長らく未分化の状況が続いた。ポーととも
に本格推理小説の元祖のようにいわれるドイルのシャーロック=ホームズ譚全六〇話にし
ても、現代の目でみると怪奇小説的な作品が多い。その中でも特に四つの長編、すなわち
『緋色の研究』『四つの署名』『バスカーヴィル家の犬』『恐怖の谷』は昨今でいうとこ
ろの伝奇ロマンに属する作品群である(ちなみに『バスカーヴィル家の犬』の山中峯太郎
訳、ポプラ社版ジュブナイルの表題は『夜行怪獣』という)。

 推理小説の草創期にはこんな遊びも行われた。一九〇七年、イギリスの『サタディ・イ
ヴニング・ポスト』誌に「嗤う神像」という怪奇小説が掲載された。作者はメイ=フット
レル、推理作家ジャック=フットレルの妻である。

 彼女はその作品をプロットを練る時、編集者に、純然たる怪奇小説に合理的な結末をつ
けることはできないか、と相談した。しかし、邪教の神像をめぐる怪異譚として完結した
作品に、別の解決などあるものだろうか。編集者はこの難題をジャック=フットレルに押
しつけることにした。ジャックもまた、これに応え、自慢の名探偵、思考機械ことヴァン
=ドゥーゼン教授にその解決をまかせることにした。かくして書かれた解決編が「家あり
き」である。この試みは読者に好評をもって迎えられた。

 このような遊びができたのも、この当時、怪奇小説と推理小説の境界がまだ不明確だっ
たからである。怪奇小説から独立したジャンルとしての本格推理が登場するには、欧米で
は第一次世界大戦以降を待たなければならない。日本ではその分化がさらに遅れたこと、
たとえば江戸川乱歩の作風などを見ていただければ一目瞭然だろう。

 日本で推理小説の独立を見るには、昭和三〇年代、松本清張の登場をまたなければなら
ない。一九五一年(昭和二六)、松本は「西郷礼」でデビューして以来、気鋭の歴史小説
家としての道を歩んでいた。ところが五四年の「張込み」を皮切りに犯罪小説、推理小説
にも手を染めはじめ、五八年には『点と線』『眼の壁』のベストセラーで「社会派推理小
説」ブームを巻き起こすのである。もっともデビュー作の「西郷礼」自体、昨今でいう歴
史推理に属するタイプの作品であったから、推理小説家への転身もそれほど意外なもので
はなかった。

 松本の登場により、日本の推理小説界は一時代を画することになる。それは動機におけ
る社会的リアリティの重視である。もちろん、それ以前の推理小説でも動機には常にリア
リティが求められていた。クリスティら黄金時代(大戦間時代)の英米の作家に、富豪の
遺産をめぐる殺人という作例が多いのは、当時、それが殺人の動機としてきわめてリアル
なものだったからである。また、江戸川乱歩ら戦前の日本の作家に異常心理を扱う作例が
多いのは、それが当時の暗い世相を反映させていたからである。しかし、昭和二〇年代ま
で日本の推理小説界はこと動機に関する限り、戦前の作家たちの遺産に頼ったままであっ
た。そこに松本が現れ、高度経済成長の世相を背景とした、新しい動機設定を開拓してい
ったのである。

 ドゥルーズの『世界ミステリー百科』では、日本の作家としては松本清張、江戸川乱歩
、夏樹静子の三者のみがとりあげられている。松本が国内ばかりではなく、国際的にも高
い評価を得ていることは、これからも察することができる。

 しかし、本書において重要なのは、松本の活躍により、怪奇小説風の作品を書いていた
旧世代の作家が、推理小説界の面舞台から駆逐されてしまったということなのだ。

 ところが松本の活躍と平行して、戦前および終戦直後デビューの推理作家の一部が面白
い流れを起こしている。怪獣映画の原案・原作である。

『ゴジラ』(五四)『ゴジラの逆襲』(五五)『獣人雪男』(五五)の香山滋、『空の大
怪獣ラドン』(五六)『大怪獣バラン』(五八)の黒沼健、『地球防衛軍』(五七)『宇
宙大戦争』(五九)『妖星ゴラス』(六二)『宇宙大怪獣ドゴラ』(六四)の丘美丈二郎
など、怪獣映画黄金時代の作品には、推理小説畑の多くの作家がアイデアを提供した。

 また、『モスラ』の原作小説は純文学畑の三人の作家、中村真一郎・福永武彦・堀田善
衛の連作だが、その内の福永が加田伶太郎という筆名で推理小説にも手を染めていること
は有名である。ちなみに鮎川哲也氏の短編「冷凍人間」では、探偵の相棒役を務める女カ
メラマンがかつて「東京があの巨大なイモムシの襲撃をうけて壊滅にひんしたとき、身を
ていして撮った記録映画が、世界の各地で上映されて絶賛を博し」たという一節がある。
これは怪獣映画に関わった同業者たちへの挨拶代わりなのだろうか。なお、「冷凍人間」
は内容的には、いかにも鮎川氏らしい本格推理なのだが、そのタイトルが東宝の恐怖人間
シリーズ(『透明人間』『獣人雪男』『美女と液体人間』『電送人間』『ガス人間第1号
』『マタンゴ』の六作品)を連想させるのは興味深い。

 推理小説と怪獣映画ではちょっと見には水と油のようだが、怪奇小説と推理小説が未分
化だった時代を知っている作家には、このような試みもそれほど不自然なことではなかっ
たのだろう。ただし、その後の推理小説界は彼らに対し冷淡だった。

 香山は推理・SF双方の本流から取り残され、マイナーな作家として生涯を終える。丘
美は本業(航空自衛隊)の多忙を直接の理由に創作の筆をおり、黒沼は怪奇実話へと転身
を遂げる。そして怪獣映画の流れは推理作家たちの手を離れ、専業のシナリオ=ライター
に委ねられることになるのである。『ウルトラQ』をはじめとするTVの怪獣特撮番組で
は、もはやプロの作家に原作を求めることはなかった。

 しかし根から切り離された花は枯れていかざるを得ない。『ウルトラマン』以降、TV
の怪獣特撮番組はその世界観を急激に変貌させていった。

 さて、同じことは小説の側にも言えよう。SFや推理小説が新しい花を咲かせ続けるた
めには、ふたたびゴシック=ロマンスにみられるような幻想と怪奇の土壌に根をのばす必
要があるのではなかろうか。

 私たちは今、SFと推理小説の誕生にまつわる流れを、追体験しつつあるのかも知れな
い。そして、かつてゴシック=ロマンスが果たした役割を現代に置いて果たしたのが、怪
獣映画およびウルトラQシリーズをはじめとする一九六〇年代のTV特撮であるように思
えてならないのである。第三・第四世代SFの興隆と新本格派の登場は私にそうした感慨
を抱かせる。

 なるほど、ウルトラQシリーズは、ミステリーの要素はあるにしても、本格推理小説と
はその世界観を異にしている。また、SFとしても不徹底だ。しかし、そのテーマに内在
する自然の神秘への畏敬や、謎解きへの指向が、子供心に刻印され、後年の作家たちをつ
き動かしたように思われるのだ。

 さて、SFや本格推理を子供の読み物としてバカにする声は日本では根強い。たしかに
SFと本格推理は書き手にも読み手にも雅気を要求するジャンルではある。SF新世代や
新本格の根に『ウルトラQ』があるなどといえば、それがいっそう子供じみて見えるかも
知れない。

 しかし、そうした子供じみた、バカにされるようなものこそ日本人が本来、得意とする
ものなのではないか。近世日本美術の代表たる浮世絵も、同時代の日本人にとっては読み
捨ての紙きれにすぎなかった。それが高い評価を得るようになったのは、輸出用陶器の包
装紙や詰物に浮世絵が使われ、偶然、海外の美術愛好家の目に触れたためである。

 現代でも日本のソフトで、世界に誇れる分野といえば、何と言っても特撮、アニメ、マ
ンガ、ゲーム、カラオケの類ではないか。それらが日本文化の精華であることを認めなけ
れば、日本の文化上の国際貢献はえらく寂しいものになってしまうだろう。

 その伝でいけば、SFと本格推理からこそ、今後、日本が世界に誇りうるような代表的
文学作品が生まれるかも知れないのである。

 新井氏や綾辻氏のような作家が現れ、SFや推理小説というジャンル、ひいては純文学
、大衆文学をひっくるめた文学状況全体が様代わりしていく。私たちは面白い時代に生ま
れあわせたものである。


第三章 科学特捜隊



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