侵略者群像


空飛ぶ円盤と宇宙人

 一九四七年六月二四日、アメリカの実業家ケネス・アーノルドは自家用機でワシントン
州カスケード山の上空を飛んでいた。その時、彼は我が目を疑うような代物を目撃した。
雲一つない大空を往く九つの輝く飛行物体である。その速度は推定時速二七〇〇キロ。当
時の新聞はその物体をフライング・ソーサー(空飛ぶ円盤)と名付けた。この事件のため
、後に六月二二日は研究者の間でUFO記念日と呼ばれることになる。

 同年七月八日には、ニューメキシコ州のロズウェル空軍基地から、墜落した円盤を回収
したという発表がなされる。このニュースは数時間後に訂正され、空軍は気象観測気球の
残骸を回収したにすぎないと報じられるが、第一報の影響力は大きく、今もロズウェル空
軍基地に円盤と宇宙人の死体が保管されている、あるいは生きた宇宙人が捕らえられてい
るといったウワサが絶えない。

 この二つの事件の約半年後、一九四八年一月八日にはさらに奇怪な事件が起きた。ケン
タッキー州フォートノックスのゴッドマン空軍基地付近に、またもや円盤上の飛行物体が
現れたのである。その大きさは直径訳一五〇メートルと目算された。

 数機のP51ムスタング戦闘機がそれを追跡したが、その中でももっとも飛行物体に接近
したトーマス・マンテル大尉の機はとつぜん消息を絶ってしまった。米軍では、この事件
について調査を重ねたが、けっきょく彼らが発見したのは数キロ四方にわたって広がるマ
ンテル機のものとおぼしき破片のみだった。

 さらに同年七月二四日には、アラバマ州モントゴメリ付近を飛行中のイースタン航空D
C−3が、光輝く高速飛行物体とすれちがった。同機機長チャイルズと副操縦士ホワイテ
ッドの証言では、その飛行物体の形は葉巻状で全長九〇メートルほど、後ろからは長い光
の尾を引いていたという。

 また、やはり同年十月一日には、ノースダコダ州ファーゴ空軍基地上空でF−91戦闘機
が小型の飛行物体と遭遇、操縦者ジョージ=ゴーマン中尉は接近を試みたが、その物体は
機敏にかわし、えんえん三〇分近くも空中で鬼ごっこをする羽目になった。

 これらの事件は単に未知の飛行物体の存在を示すものに過ぎない。いや、ひょっとする
とこれらの飛行機の操縦者は既知の飛行物体(鳥、星、風船など)を見間違えただけだっ
たのかも知れない。現に米空軍の調査報告では、マンテル事件とゴーマン事件は気球、イ
ースタン航空機事件は隕石の見間違えとして、それぞれ片づけられている。しかし、大衆
は、これを宇宙人と結びつけて解釈することを好んだ。そして、後にそれらの不可解な飛
行物体はUFO(未確認飛行物体)と総称されるようになるのである。

 当時のアメリカ人の間には宇宙人に関するウワサを受け入れるだけの準備が整っていた
。というより、「宇宙からの侵略」という物語はもともとアメリカ人の心性が紡ぎあげた
新たなる神話だったのである。そもそも、あの有名な火星人侵略事件が起きたのは、マン
テル事件に先立つこと十年前の一九三八年のことだった。

 その年の秋も深まった十月三十日の午後八時過ぎ、ニューヨークから発信された電波が
アメリカ全土にパニックを引き起こした。CBS局系列のラジオがニュース速報として、
「火を噴く物体」に乗って飛来した「未知の生物」がアメリカ各地で暴れ回っていると告
げたのである。

 それは実はH=G=ウェルズのSF小説『宇宙戦争』のラジオドラマに過ぎなかったの
だが、それを聞いた聴衆、特に途中から聞いた人々の多くはたちまち何らかのパニックに
陥った。その数は三百万人とも六百万人とも言われている。

 駅にかけこみ、車をとばして避難する人々、教会に集まって最後の祈りを捧げる人々、
ショックやヒステリーで病院にかつぎこまれる人・・・警察とラジオ局は一晩中、問い合
わせの対応におわれた。最初の宇宙船飛来地とされたニュージャージー州では、州兵部隊
本部に集合場所確認の電話が相次いだ。

 一夜が明けて、CBSは今度は釈明におわれることになった。ドラマの主演・脚本・演
出を担当したオーソン=ウェルズは「漫画や多くのベストセラー小説、冒険小説を通して
子供たちにおなじみの物語が、聴取者にこれほど迅速に大きな影響を与えるとは思わなか
った」とコメントし、陳謝の意を表した。若干二二歳のオーソン=ウェルズはこれを機に
その才を表しはじめる(『第三の男』!そして『市民ケーン』!)。

 もっとも火星人の襲来などは信じないという人だって多かった。ドラマを本物のニュー
スと思った人々の中にも、火星人を装ったナチス=ドイツの襲来だと推理した人が少なく
なかったのである。しかし、そうした人々もパニックに陥ることは避けられなかった。一
九三八年とは、そういう時代だった。

 火星人襲来のニュースに逃げ惑った人々が漠然と感じていたように、戦争は起こり、そ
して終わった。頭上から直接の脅威は去った。しかし、戦争の記憶はそれに代わる恐怖を
もたらしつつあった。第二次大戦で出会った無表情な日本兵、何を考えているか判らない
ドイツ兵、そして戦後、急激に成長した不気味なイデオロギー共産主義、そうした不可解
な連中への恐怖はやがて天空へと投影された。かくして、「宇宙からの侵略」という物語
はアメリカ人の無意識にまで刻印されることになる。

 世界最初の侵略テーマSFはイギリス人H=G=ウェルズが著した『宇宙戦争』(一八
九八)だった。そして、オーソン=ウェルズが指摘したように、多くの作家たちがそのテ
ーマに基づいて小説を書いてきた。しかし、それをもっとも切実なものとして受け入れた
のは、合衆国建国以来、現実問題としては一度も他者の征服を受けたことのないアメリカ
人だったのである。

 一九五〇年代のアメリカでは、宇宙人が地球侵略をもくろむというB級映画が山ほど作
られた。『遊星よりの物体X』(五一)『宇宙戦争』(五三)『惑星アドベンチャー』(
五三)『それは外宇宙から来た』(五三)『宇宙水爆戦』(五五)『空飛ぶ円盤地球を襲
撃す』(五六)『金星人地球を征服』(五六)『暗闇の悪魔』(五七)・・・それらの映
画にはいずれも第二次世界大戦の記憶や、冷戦と赤狩りの緊張感が投影されている。たと
えば『金星人地球を征服』(製作AIP)では、金星のカニ人間を地球に呼び寄せようと
する科学者や、脳波コントロールを受けてカニ人間に協力しようとする人々が登場する。
そしてカニ人間を倒す過程で、その協力者たちもことごとく殺されてしまうのである。カ
ニ人間を共産主義に置き換えれば、この作品の暗喩するところは明らかだろう。

 一方、一九五〇年代になると、友好的な宇宙人と接触したと称する人物も現れる。その
筆頭にあげられるのは、ジョージ=アダムスキーだろう。アダムスキーは一九五二年十月
二十日、カリフォルニア砂漠で円盤と出会い、そこから降りたった金星人オーソンと会話
した。オーソンの外見は地球の白人美女のようだが実は青年だったという。アダムスキー
の会見記はベストセラーになり、日本でも早くから紹介された。この成功に気をよくした
彼は第二、第三の会見記を発表し続けた。それによると、人類は地球と金星のみならず、
太陽系のすべての惑星、さらには月にまで住んでいる。また、地球を除く星々はすでに一
つの連盟に加盟しており、その連絡員は地球にも住んでいる。アダムスキーはロサンゼル
ス在住の火星人、土星人の導きで円盤に乗り、太陽系の「マスター」に引き合わされたば
かりか、月の裏側の都市まで案内してもらったという!

 もっとも一九五一年の映画『地球の静止する日』(製作20世紀FOX)では、円盤で飛
来した「忠告者」クラートゥが世界平和を説いているのだから、アダムスキーのアイデア
もめずらしい者ではない。驚くべきは、三十余年を経た現在でもアダムスキーの信者があ
とを絶たないということだろう(山本弘「目にウロコが飛び込んだ人たち」『オカルト徹
底批判』朝日新聞社、所収、参照)。

 さて、アメリカで形成された「宇宙からの侵略」という神話は、B級映画やSF小説、
テレビドラマなどを通じて日本にも移入された。日本の特撮やアニメにも、その神話は色
濃く影を落としている。そこで本章では、ウルトラQシリーズにおける侵略者たちの特質
を分析し、その神話の日本的受容の有り方を考えてみたい。

ガラダマ

 ウルトラQシリーズにみける最初の侵略テーマ作品、それは『ウルトラQ』第三話「宇
宙からの贈りもの」である。火星に打ち上げられ、そこでデータを収集するはずだった無
人探査カプセルが突然、地球に戻ってくる。中から発見されたのは、不気味な生物の一部
と思われる写真と小さな金の玉二つ。

 金の玉は宇宙開発局の金庫に保管されたが、その計画資金を狙った二人組の強盗により
、現金もろとも持ち出されてしまう。賊はむりやり万城目のセスナ機に乗り込むと、洋上
の孤島・大蔵島(伊豆の大島もしくは御蔵島がモデルか)へのコースをとらせた。

 万城目を解放した賊は島の洞窟で現金の山分けとしゃれこむ。ところが、その時、金の
玉の一つが温泉に落ちてしまった。見る見る大きくなる金の玉、そしてその中から現れた
のは、ナメクジのような頭部とアザラシのような胴体を持つ巨大な怪物だった。現金に目
がくらんだ賊どもは怪物の犠牲となり、洞窟にかけつけた万城目たちは洞窟から這い出し
た怪物と遭遇することになる。金の玉は何者かが、人類の無秩序な宇宙開発に警告するた
めの、とんだ贈り物だったらしいのである。

 この作品では、怪物(ナメゴン)を地球に送り込んだものの正体は明らかにはされない
。無人探査カプセルを海上に不時着させているところからみて、知的生物(火星人?)の
介入が推測できるだけである。「人類への警告」という理由付けも登場人物による憶測に
すぎない。

 一九五〇年代のアメリカB級映画や、後の『ウルトラセブン』以降のウルトラ・シリー
ズに見られるような、明確な行動原理を持つ侵略者と地球人との戦いという図式、それを
「宇宙からの贈り物」にあてはまることはできない。しかし、こうした謎めいた性格はウ
ルトラQシリーズの侵略者を一貫するものとなっているのである。

『ウルトラQ』第十三話「ガラダマ」は、三国山脈は弓ケ岳の一角、ガラダマの谷への隕
石飛来で始まる。その地方は昔から落雷や隕石のメッカといわれていた。そもそもガラダ
マとは、この地の方言で隕石を意味するという。おりしもその頃、世界各地では太陽の黒
点と関係のない原因不明のデリンジャー現象が起こっていた。

 隕石はすぐに東南大学物理学研究所で保管され、厳重な調査を受けることになった。一
の谷博士はそれが地球上に存在しない珪酸アルミニウム合金「チルソナイト」でできてい
ることを発見する(これはもちろん架空の物質。なおチルソナイト製の隕石は『ウルトラ
Q』のみならず『ウルトラセブン』第二話「緑の恐怖」にも登場する)。

 やがてガラダマの谷には第一の隕石に引き寄せられるかのように、巨大な隕石が落下し
てきた。天空より襲いかかる巨大な火の玉、ダムはたちまち干上がり、その底をさらして
しまう!巨大隕石の方もダムの水に冷やされ、無数のヒビが走る。そして、その中からは
全身、細かいトゲに覆われたモンスターが出現したのである。ガラダマ・モンスターは体
当たりでダムを打ち砕くと、最初の隕石のある場所−東京の方を睨みすえる・・・

 ガラダマ・モンスター略してガラモンは、第十六話「ガラモンの逆襲」で再登場する。
チルソナイト製の隕石、実はガラモン操縦用の小型電子頭脳は第一の事件の後、天体物理
学研究所に保管されていた。ところがある夜、黒づくめのバイセクシャルな美青年が現れ
、不可思議な手段でその電子頭脳を盗みとってしまう。

 電波監視所の捜索で、電子頭脳は甲信地方にあることが突き止められ、万城目たちはそ
の行方を追って現地に向かう。しかし、ちょうどその頃、ガラダマの編隊が次々と東京に
襲来、幾体ものガラモンがいっせいに暴れ始めていたのだ・・・

 さて、ガラモンはナメゴンに続いて『ウルトラQ』に登場した侵略用生物兵器?の第二
号である。しかし、生理的な嫌悪をそそるナメゴンと違って、ギョロ目に大きな口、短い
手足のガラモンは結果として、かわいい印象になってしまった。特にエッチラオッチラと
ダムに体当たりする場面や、東京タワーの覗き込む場面などは脅威というよりも、ただた
だいとおしいばかりなのである(その姿にはB級映画『暗闇の悪魔』のマヌケな宇宙人を
ほうふつとさせるものがある)。これは製作者にとっては誤算だったらしい。しかし、お
かげでガラモンは『ウルトラマン』において、友好珍獣ピグモンに生まれ代わり、子供た
ちのアイドルとなっていくのである。

 なお、ガラモンは電子頭脳で操縦されるところを見ると一種のロボットらしいのだが、
外見にも動きにもまったく機械らしいところは見られない。電波を遮断された時、口から
体液めいた液体を吐いて動かなくなるところをみても、生物的である。

『ウルトラセブン』はキングジョー、ユートム、クレイジーゴン、アイアンロックス、恐
竜戦車、第四惑星人など多くのロボットの傑作を生んだ。それ以後のウルトラシリーズに
もロボット怪獣の出番は多いが、ウルトラQシリーズにはまったくといっていいほどロボ
ットらしいロボットは出てこない。これはウルトラQシリーズの特徴の一つといってもよ
いだろう(ただし、いくつかの怪獣図鑑には内部に機械のつまったガラモンの解剖想像図
が掲載されている)。

 また、電子頭脳を盗んだ美青年は、第十六話の最後でセミ人間の正体を現し、突然出現
した円盤によって焼き殺されてしまう。セミ人間も、円盤も人類に対しては沈黙を守った
ままである。彼らと人類との間にはコミュニケートが成立しない。愛嬌のあるガラモンよ
りも、その操縦者たちの方が人類にとってははるかに不気味な存在なのである。そして、
このセミ人間と円盤もまた後に思わぬ形で再登場することになる。

「2020年の挑戦」

 さて、話は戻って第十九話「2020年の挑戦」、この物語は、円盤による航空自衛隊
哨戒機撃墜、そして続発する人間消失事件という謎の提示から始まる。自衛隊の天野二佐
と由利子から、この二つの事件について聞いた一平は、その展開が神田博士なる人物の著
書『2020年の挑戦』にそっくりだということに気付く。一方、哨戒機撃墜の現場にお
もむいた万城目は、天野の目の前で、人間消失事件の被害者の列に加わってしまった。

 由利子の写した人間消失の現場写真には、謎めいた液体が写っていた。由利子もまたそ
の液体に狙われるが、老刑事・宇田川のおかげで危機をまぬがれる。

『2020年の挑戦』によると、人間消失事件の犯人はケムール人という名の異星人であ
るという。彼らは現代の地球からみて二千二十年の未来の住人であり、医学の驚異的発達
で五百年もの長寿を得るにいたっている。しかし、寿命は伸びても肉体の衰えを防ぐこと
はできない。そこで地球人の若い肉体を求めてはるばるやってきたのである。

 神田博士は行方不明になっていたが(ケムール人に消失させられた?)、彼が残したK
ミニオードはさっそく東京タワーに設置され、ケムール人にとって致命的なXチャンネル
光波を放射する。夜の遊園地に追い詰められ、Xチャンネル光波を浴びたケムール人は自
らの体に例の液体を注ぎ、異次元へと消えた。ケムール人に消された人々は無事帰ってき
た。ただ一人、ケムール人が消えた後を踏みしめ、液体の最後の被害者となった宇田川を
除いては・・・

 神田博士の著書『2020年の挑戦』は今ならばSF小説に分類される本だろう。この
物語はSFに、科学知識の啓蒙という意義が求められた時代の雰囲気をよく伝えている。
パトカーに追われて深夜の路上を駆けるケムール人の不気味さ、あるいは夜の遊園地が醸
し出す独特の雰囲気は子供心にも忘れ難い印象を残した。また、ケムール人はラスト近く
が観覧車を持ち上げるほどの巨人となり、暴れ出すが、これは巨大化する宇宙人というパ
ターンの最初の例である。おかげでこの後、地球人は巨大化もできなければ光線も出せな
い、宇宙で最も情け無い種族だという説が生ずるにいたるのだが。

 とはいえケムール人は本当に異星人なのだろうか?まったく体の構造の異なる知的生物
が地球人の肉体を欲しがるということがあるだろうか。それを考えると、ケムール人は他
の惑星からではなく、この地球の未来からやってきたと考えた方が筋が通る。

 衰弱した未来人が過去の地球人の若い健康な肉体を奪いとろうとする・・・この不気味
なアイデアは、ロバート=シェクリィの『不死販売株式会社』(一九五九)の一エピソー
ドとして現れる。この小説は、最近、SFアクションとしてジョフ=マーフィー監督によ
って映画化され、『フリージャック』というタイトルで封切られた。聞くところによると
、シェクリィはこの映画を自らノベライゼーションしたいと映画会社にもちかけたという
(結局、その案は実現されなかったが)。私はその映画の基本プロットと「2020年の
挑戦」の基本プロットの類似に驚かざるをえなかった。ちなみにその映画で、ケムール人
に当たる役所を演じたのはあのローリング・ストーンズのリーダー、ミック=ジャガーで
ある。もちろん、ミックは巨大化まではしなかったのだが。

 ケムール人は私たちの未来の姿なのだろうか。その結論は当時のTVで放送するには恐
ろしすぎたのだろう。当時のスタッフによる無意識的、あるいは意識的な検閲が、ケムー
ル人の故郷をあいまいにしてしまったように思われる。しかし、ケムール人の素性にまつ
わるあいまいさが、その不気味さをいっそう盛り上げているのも事実である。

 なお、シェクリィには短編の傑作も多いが、その一つに、あらゆるエネルギーを食う宇
宙生物の恐怖を描いた「ひる」がある。この作品はどうやら『ウルトラQ』の一篇に影響
を与えているらしい。すなわち第十六話「バルンガ」である。

「宇宙指令M774」と『美しい星』

 さて、第二一話「宇宙指令M774」で私たちはようやく地球に好意的な宇宙人と出会
うことになる。

 由利子、万城目、一平の三人はルパーツ星人ゼミを名乗る声の警告を受ける。「地球人
に警告します。地球に怪獣ボスタングが侵入しました。とても危険です」

 彼らはその声に導かれ、中央図書館に職員の一条貴世美を訪ねていった。貴世美は自分
こそゼミだと名乗り、地球征服を企むキール星の尖兵ボスタングが、宇宙指令M774を
受け、すでに地球の海中に潜伏していると告げる。

 巨大なエイの姿となったボスタングは、すでに運行する船を次々と沈めていた。万城目
らの通報で海上保安庁はボスタングの潜む海域に出動する。巡視船と空挺隊の連携プレイ
で海の藻屑と消えるボスタング。

 事件が解決した後、万城目たちはゼミと花咲く公園を散歩する。ゼミの話では地球を守
るために住み着いた異星人は少なくないのだという。そして、ゼミもまた、使命を終えて
からも地球人として、この星に住み続けることを告げる。

 地球に友好的な異星人がすでに数多く移住してきている、この発想はあのアダムスキー
の主張にすでに現れたところである。

 さらにそうした友好的な移住者と侵略者との暗闘が人知れず続いているというテーマは
、すでに三島由紀夫が『美しい星』(一九六二)で描いていた。三島は日本最初のUFO
研究団体「日本空飛ぶ円盤研究会」の草創当初からのメンバーであり、東山魁夷への書簡
に「空飛ぶ円盤が存在することは、東山さんの絵や小生の小説が存在するのと同じ程度に
は、確実なことではないでしょうか」と明言するほどのUFO信者だった。

「宇宙指令M774」におけるゼミの描写には、『美しい星』の影響しているのではない
か。ちなみに、この話の脚本(上原正三氏による)の初稿タイトルは「狙われた星」であ
る。

 また、凶悪な怪獣と、人間世界に潜伏する友好的な宇宙人というテーマが、後の『ウル
トラマン』第一話につながっていくことは改めて言うまでもあるまい。

バルタン星人

『ウルトラマン』第二話で、私たちは『ウルトラマン』のみならずウルトラ・シリーズ最
高の人気を誇る侵略者と遭遇する。宇宙忍者バルタン星人である。また、この回はウルト
ラマンの必殺技が作中「スペシウム光線」と命名された記念すべき回でもあった。

 ある夜、強力な電波を発する物体が東京に飛来し、御殿山の科学センター上空でレーダ
ーから消えた。調査に向かった科学特捜隊はそこで硬直した人々と宇宙人らしき姿を見る
。防衛隊ではムラマツ隊長を交えて対策会議を招集する。防衛隊内部では、小型核ミサイ
ル「ハゲタカ」による実力行使という意見が強かったが、ムラマツの進言で攻撃の前に一
応、話し合いの機会を作ろうということになる。科学センターでは、アラシ隊員の頭脳を
借りた宇宙人と、ハヤタ、イデ両隊員の話し合いが始まる。

 彼らバルタン星人は、宇宙旅行中、母星を発狂した科学者の核実験で失い、流浪を重ね
る内に地球を見つけたのだった。その話し合いの中で、バルタン星人には「生命」という
概念がないことがわかる。宇宙船内に眠るバルタン星人は二十億、地球の人口よりも多い
(六〇年代当時)。地球への受け入れを拒否されたバルタン星人は地球征服を宣言し、話
し合いを打ち切った。巨大化したバルタン星人の前には「ハゲタカ」も効果はない。地球
はバルタン星人の手に落ちてしまうのか?

 バルタン星人は『ウルトラマン』だけで三度、その後のシリーズでの登場回数を合わせ
ると計七回も地球侵略を試みている。その原形となったのは、『ウルトラQ』「ガラモン
の逆襲」に登場したセミ人間で、円盤も同一機種を使用している。それは特撮番組によく
ある小道具再利用の結果なのだが、円盤の一致は『ウルトラQ』と『ウルトラマン』の世
界観に一貫性を与えることになり、後世の同人誌作家たちに興味深い研究対象を与えるこ
とになった。

 ちなみに『ウルトラQ』のセミ人間は、「ウルトラQ絵物語/SOS富士山」(『ぼく
ら』一九六六年二月号)では、地球人に友好的なジグリ星人として登場し、凶暴な地底怪
獣ゴルゴスと闘っている。どうやらセミ人間はもともとルパーツ星人と同様、友好的な異
星人として設定されていたらしい。その友好的な側面がウルトラマンに受け継がれ、セミ
に似た姿と円盤がバルタン星人に受け継がれたとすれば、ウルトラマンとバルタン星人は
同じ原形から分かれた兄弟だったということになる(このことは竹書房刊『ウルトラマン
ベストブック』の「ウルトラ前史」にも示唆されたところである)。

 さらにいえば、バルタン星人とウルトラマンは、シャーロック=ホームズとモリアティ
教授のような表裏一体の分身ともいいうる。この両者に浅からざる因縁が生じるのも、こ
うなると当然のことだったといえよう。

 ちなみにバルタン星人という名について、かつてはフランスの歌手シルヴィー=バルタ
ンの名を借りたなどといわれていたが、最近、「侵略者を撃て」の脚本・監督を担当した
千束北男こと飯島敏宏氏がその命名の真相を明らかにした。飯島氏によると、「バルタン
星」とはロシア民謡「バルカンの星の下に」をもじったものであり、「地球の火薬庫と言
われて、いつも世界的な紛争の発生源にあるバルカン半島の上に輝く星」というつもりで
命名したものだという(飯島「いま明かされるバルタン出生の秘密」『ウルトラマン科特
隊奮戦記』朝日ソノラマ、一九九三年所収)。ちなみに『ウルトラマン特撮研究』(勁文
社、一九九二年)もバルタン星人命名の由来を「バルカンの星の人間」からとしている。
つまり、飯島氏がもしも本来の命名の由来をもじろうとしなければ、バルタン星人はあの
ミスター・スポックと同郷になっていたかも知れないというわけである。

発明家の神話

 バルタン星人は第十六話「科特隊宇宙へ」で再登場する。ウルトラマンによる円盤破壊
で二十億の同胞を虐殺されたバルタン星人、そのわずかな生き残りはアール惑星を仮の住
まいとして復讐の機を狙っていた。

 その頃、地球からは毛利博士の発明した金星ロケット「オオトリ」が打ち上げられる。
ホシノ君は、金星征服競争で科学特捜隊顧問・岩本博士がライバルの毛利博士に遅れをと
ったとくやしがる。

 ところが、「オオトリ」はバルタン星人に占拠され、毛利博士もその肉体を乗っ取られ
てしまう。全宇宙語翻訳機で解読されたバルタン星人の挑戦を受け、毛利博士救出のため
に宇宙へ飛び立つ科学特捜隊。だが、そのころバルタン星人の本隊はウルトラマン(ハヤ
タ隊員)不在の地球に侵攻を開始していた・・・

 この物語においては、宇宙開発競争が岩本博士と毛利博士という個人レベルの対立とし
て展開されている。これはアポロ計画やスカイラヴ、スペースシャトルなどを見てしまっ
た私たちの目にはいささか奇異に映る。

 しかし、十九世紀末のSF草創期から一九五〇年代までのSFの主人公には発明家タイ
プの科学者が多かった。かれらは現在ならば、国家や大企業によってしか成しえないよう
な事業を、しばしば個人の力でやりとげてしまう。宇宙開発もまた、例外ではなかったの
である。これは十九世紀に生まれた発明家神話のなごりであった。

「南北戦争終了から十九世紀末までの三十五年間はフロンティア英雄を生み出す一方で、
アメリカは発明の黄金時代を築いた。十九世紀後半のアメリカは発明の時代でもあったの
だ。たとえば、現在、あまり顧みられることのなくなったエジソンだが、一八四七年に生
れ、八十四歳の生涯を閉じるまで、印字電信機、炭素電話機、蓄音機、白熱電球、活動写
真法、X線用透視鏡、アルカリ電池、キネトフォンなどを世に送り出し、巨万の富を築き
上げた。彼は頭の中に常に三十から四十のアイデアを持ち、生涯に千を越える特許の申請
をしたという。エジソンと同時代に、ベルが電話を、イーストマンが簡易カメラを、ライ
ト兄弟が飛行機を発明し、その他にもミシン、タイプライターなど日常生活を一新するテ
クノロジー・ガジェットが続々と生み出されたのである。やがてエジソンは神話的存在と
なり、発明家という新しいヒーロー像が誕生するのである。二十世紀はこうした発明家の
黄金時代を解体したが(設備の整った実験室で専門の技術者のチームによる研究開発の時
代になった)、発明家はSFの中にヒーローとして呼び戻されたのである」(志賀隆生「
ジャンルの確立」笠井潔編『SFとは何か』日本放送協会、所収)

 しかし、発明家神話の原形となったエジソンは、一面ではメンロパーク研究所での共同
研究システムを確立し、発明を個人の営為から集団の事業に変えていった人物でもあった
。そこに歴史の皮肉をみることもできるだろう。

 すでに米ソによる宇宙開発競争が進み、人類の月到着も目前となった一九六六年、かく
ものどかな話が映像化されたというのも不思議なくらいだが、当時のスタッフは宇宙にま
で地上の生臭い国家対立を持ち込みたくなかったのかも知れない。

 さて、先に述べたようにバルタン星人には「生命」という概念がなかった。それどころ
か、彼らの場合、大きさも決まっていなければ、個体というものがあるのかさえはっきり
しない。なにしろ彼らは宇宙船内ではバクテリアほどの大きさになって眠っているし、巨
大化することもできる。それどころか、一体からいくつにも分身したり、複数の者が集ま
って一体となることさえ可能だ。そして異星人たる地球人の脳髄の情報を読み取ったり、
肉体や人格を乗っ取ることもできるのである。こうした特性は個体にこだわる地球人には
、とても理解しうるものではない。

「侵略者を撃て」「科特隊宇宙へ」は地球人の側からみればハッピーエンドだが、バルタ
ン星人の側からみれば、まぎれもない悲劇だ。そして、その悲劇をもたらしたのは、地球
人とバルタン星人の生物としての異質性なのである。バルタン星人は人類の前に永遠の他
者として対峙する。そして、この異質性がまたバルタン星人の魅力の源になっていること
も間違いないのである。

「遊星から来た兄弟」

 第十八話「遊星から来た兄弟」では、バルタン星人出現の場となった科学センターが再
登場する。東京にふりそそぐ、致死量の放射能を含む赤い霧。科学センターの森田博士は
、その霧が宇宙から降ってきたものだという。ゴーグル状の放射能防御バリアで身を守り
つつ、無人の街をパトロールする科学特捜隊は、そこで黒いマントをまとう怪人物を見た
。ちなみに、ゴーグルで放射能を遮蔽するという発想は、現代では信じられないほどずさ
んなものだが、当時では米軍などが大真面目を研究を進めていたものである。核競争時代
のアメリカ政府広報を編集した映画『アトミック・カフェ』でも、このゴーグルの実験風
景を収められており、不気味なユーモアさえ感じさせる。

 さて、話を戻すと、マントの怪人は科学特捜隊の通信に割り込み、自らザラブ星人を名
乗った。彼の説明によると、ザラブとは彼らの言葉で兄弟という意味だという。ザラブ星
人は、兄たる自分が弟たる地球人を救うのは当たり前だとして、事故で木星を回っていた
有人土星ロケットを地球に誘導してきたという。彼はさらに友好のしるしとして、赤い霧
を宇宙に消し飛ばしてみせた。

 宇宙局では、首脳会議を招集して、ザラブ星人を迎える準備をする。科学特捜隊の賓客
扱いだったザラブ星人も、自ら携帯用の宇宙語翻訳機を造り、宇宙局に居を移した。

 だが、宇宙パトロール中のハヤタ隊員はザラブ星人が土星ロケットの乗組員をロボット
のようにあやつる光景を見てしまう。ハヤタのビートル機に乗り込むザラブ星人。

「いままで私が狙った星は皆互いに闘い、滅びていった。私はそのために生まれてきた。
それが私の仕事なのだ」

 一方、地上ではウルトラマンが出現し、街を破壊し始める。ザラブ星人は科学局の緊急
会議に現れ、「ウルトラマンこそ侵略者ではないか、そして科学特捜隊はその協力者だ」
と告発する。ウルトラマンと科学特捜隊の信用はどうなるか・・・

 この作品でザラブ星人を演じたのは、後に『宇宙戦艦ヤマト』の真田四郎役で有名とな
る青野武氏である。青野氏はザラブ星人の声ばかりではなく、ぬいぐるみの中に入って熱
演しておられる。

 たしかにザラブ星人は侵略者だった。しかし、その目的には政治的あるいは経済的意味
はないという。ただ、知的生物のいる星を自滅に導くためだけに生まれてきた者、ハヤタ
相手の述懐には、なにやらペーソスさえ漂っている。宇宙が生命の場だとすれば、ザラブ
星人はその中で転移を続けるガン細胞である。そして、ガン細胞と正常の細胞が紙一重で
あるように、ザラブ星人は宇宙のあらゆる知的生命にとっての、おぞましい兄弟なのだ。
ザラブ星人の最大の武器は、人類自身の持つ猜疑心である。その意味では、彼は人類に内
在する自滅性の象徴なのだ。

 また、ザラブ星人は最初、放射能の霧の街で人間を装って現れ、その真の姿を見せてか
らも、地球人の味方を称し続ける。それは、ハヤタに自らの命を与え、そのまま人間を装
って暮らし続けるウルトラマンの陰画でもある。ザラブ星人はムラマツ隊長から地球に来
た目的を問われた時、「フフフ、今にわかる」とうそぶいた。このセリフは実は、『ウル
トラマン』第一話、赤い球の中で、ハヤタからベータカプセルを使うと何が起こるのか問
われたウルトラマンが答えた言葉と同じである。ザラブ星人が街を破壊する時、ウルトラ
マンの姿を借りたのは、その意味でも象徴的だった。「遊星から来た兄弟」において、ウ
ルトラマンはまさに自らの影と戦っていたのである。

 かくも魅力的なキャラクターを生み出した『ウルトラマン』スタッフの方々をあらため
て慶賀したい。

「故郷は地球」

『ウルトラマン』第二三話「故郷は地球」で、私たちはいままで出会ったことのないタイ
プの侵略者と出会う。人間にして怪獣、そして最も痛ましい侵略者ジャミラだ。

 東京で開催される国際平和会議の各国代表を乗せた旅客機や船舶が次々と爆発、科学特
捜隊パリ本部では、原因究明のためにアラン隊員を日本に送り込む。

 警視庁で得た不思議な衝突事故のデータから、何者かが見えない壁のようなものを作っ
ていることが判るが、相手が透明とあってはなかなか手が出ない。イデ隊員は光のスペク
トル分解を利用して見えない敵を可視化する新兵器を発明した。

 科学特捜隊の攻撃で爆発する見えない円盤、その中から立ち上がる巨大な怪獣、その容
貌はどこか人間に似ている。その顔を見たアラン隊員は「ジャミラ・・・」とつぶやいた
。「ジャミラ」とは、宇宙開発競争華やかなりしころ、消息を絶った某国有人衛星の乗員
の名だった。宇宙での過酷な生活は彼の体を激変させた。地球に復讐を誓った彼は、乗っ
てきたロケットを改造し、ふたたび帰ってきたらしい。

 アラン隊員は、パリ本部からの極秘命令を日本支部一同に伝える。

「国際平和会議を成功させるため、ジャミラの正体は秘密にしておかなければならない。
あくまで宇宙からやってきた一匹の怪獣として、これを葬り去れ」

 自分たちの先輩ともいうべきジャミラと闘うことへのためらい、そして人間の心を失っ
たかのごとく山村を焼き尽くすジャミラの暴虐ぶりに、イデは苦悩する。

 そして、国際平和会議会場で科学特捜隊とジャミラの決戦が始まった。人工降雨弾が容
赦なくジャミラの体を打つ。水のない惑星で生き延びたジャミラにとっては、地球人の生
存には欠かせない水がかえって猛毒となるのだ。

 苦しみつつもなお、ジャミラは前進し続ける。各国の国旗を踏みにじり、握りつづすジ
ャミラ、迎え撃つウルトラマンのウルトラ水流。水に濡れ、泥にまみれたジャミラの咆哮
が次第にか細くなっていく・・・

 会議の開催当日、科学特捜隊の手により、会場のかたわらに小さな墓碑が置かれた。

「人類の夢と科学の発展のために死んだ戦士の魂ここに眠る 一九六〇−一九九二」

 ムラマツ隊長は地球の土になったジャミラのために追悼の辞を述べ、一同は散開する。
しかし、イデだけは動かず、他の隊員たちが呼び掛ける声にもふりむくことはない。

「犠牲者はいつもこうだ。文句だけは美しいけれど・・・」

「故郷は地球」は『ウルトラマン』全話の中でもっとも重い印象を与える話である。本放
送当時、ウルトラマンや科学特捜隊の活躍に声援を送っていた子供たちの多くも、成長す
るにつれ、回想の中で次第にこの話のウェートが大きくなっていくのを実感したことだろ
う。そして、この話を思いおこすごとに、ジャミラ、あるいはイデに共感する自分を見出
していたはずである。ジャミラは一九六〇年代生まれ、いわば本放送を見ていた子供たち
と同世代なのだ。

「ジャミラ」とは、もともとアルジェリア解放戦争(一九五四〜一九六二)の最中、フラ
ンス軍に虐殺された少女の名であった。「ジャミラ」は植民地宗主国の威信などという愚
かしいもののために殺された。フランス国家はそれによって「ジャミラ」と彼女を虐殺し
た軍人たち双方の人間としての尊厳を踏みにじったのである。「故郷は地球」の脚本を担
当した佐々木守氏は、その少女の名を、国家の威信とやらのために、その人間性そのもの
を否定された人物に与えたのだ。

 あるいは、「一九六〇」とは、変身のきっかけとなった有人衛星実験の年なのだろうか
(この立場をとると、この年は人間ジャミラ誕生ではなく、棲星怪獣ジャミラ誕生の年と
いうことになる)。だとすると、ジャミラを宇宙に送り出したのはド=ゴール強権下のフ
ランスではないか。科学特捜隊パリ本部のアラン隊員がジャミラの名を知っていたことか
らみて、この可能性は無視できない。一九五〇年代〜六〇年代前半、フランスはさかんに
国威発揚に努めており、アルジェリアでの残虐行為もその一つの帰結としてもたらされた
ものだった。「ジャミラ」とは、フランスという国家の横暴に押しつぶされた者の総体か
も知れない。その呪詛がいかに深いものであろうとも、いや、それが深いからこそ、治安
維持を宗とする科学特捜隊とウルトラマンは「ジャミラ」に対抗し、それに二度めの死を
与えなければならない。

「故郷は地球」は『ウルトラマン』の中で唯一、絶対年代が特定できる話である。また、
東京での国際平和会議という設定は、東京サミットの予言といえなくもない。

 そもそもサミットは一九七五年、当時のフランス大統領ジスカールデスタンの発案で開
催された(第一回開催都市はパリ)。しかし、実現して確認されたことは、「頂上」(サ
ミット)同志の話し合いなど、結局は大国の威信を競い合うだけの場に他ならないという
ことだった。ジャミラによる「世界平和」の偽善の告発は今なお有効である。

 そして「故郷は地球」が問い掛けた問題は、日本がふたたび大国の仲間入りをしたがっ
ている現在、あらためて深刻なものになろうとしているのである。

「人間標本5・6」

 山田正弘氏の脚本による第二八話「人間標本5・6」は、サスペンス豊かな作品である
。奥多摩日向峠の路線バス連続転落事故、事件捜査中、自らも事故に巻き込まれるムラマ
ツ隊長ら、事件現場に現れた謎の美女、無人になった宇宙線研究所、病院にかつぎこまれ
た瀕死の男、様々な伏線と目まぐるしいストーリー展開は、むしろ刑事ものかスパイ・ス
リラーを連想させる。サスペンスやスリラーを広義の推理ものと見なす立場からいえば、
「人間兵法5・6」は、「ウルトラQシリーズ」の中でも、もっとも推理ドラマとしての
性格が現れている作品の一つである。

 犯人ともいうべきダダ二七一号の正体が明かされてから、その緊張感はいっそう高まっ
ていく。ムラマツは謎の女、実は中央宇宙原子力研究所の秋川技官とともに、ダダの人間
標本候補とされ、迷路のような研究所内で眩惑される羽目になる。視聴者は今度は、ムラ
マツらと追われる者のスリルを共有するのだ。

 この作品で面白いのはダダのキャラクターだろう。三つの顔を付け替えて一体を三体い
るように見せ掛け、追跡中に壁をすりぬけるなどして人間たちを惑わせるダダも、通信機
の前ではまことにだらしない。通信機の画面に現れた、上司とおぼしきダダから地球人の
標本を集めるようにせかされ、もう一歩というところまでムラマツらを追い詰めながら通
信機に呼び出されてチャンスを逃してしまう。最後には、ウルトラマンと一戦の後、「だ
めだ、ウルトラマンは強い」という通信を送るが、標本の頭数がそろうまで母星に帰るこ
とを禁じられ、あえない最期をとげるのである。その有り様はさしずめ単身赴任で田舎に
とばされたサラリーマンか、ノルマ達成まで帰社を禁じられた営業マンにも似ている。

 大人になってから見直すと、ダダの方に同情してしまう人が少なくないのではないだろ
うか。そういう意味でも「人間標本5・6」は『ウルトラマン』中異色の一話である。

「禁じられた言葉」

 第三三話「禁じられた言葉」に登場する侵略者は地球に物理的、軍事的に地球を制圧し
ようとはしない。彼が求めているのは、地球人の「心」である。

 フジ隊員とその弟のサトルはハヤタ隊員とともに航空ショーを見物していた。その時、
サトルに何者かの声が語りかける−「飛行機が空を飛ぶ、それは当たり前じゃないか」

 航空ショーの観衆は息を呑んだ。大空を往く戦闘機にまざって、とつぜんタンカーが現
れ、しかもそれが空中で爆発したのである。その帰路、ハヤタたち三人は自動車ごと空中
に連れ去られ、消息を絶った。

 巨大な姿になったフジ隊員が街角に現れる。驚くムラマツ隊長、イデ、アラシ。そのこ
ろ、サトルはメフィラス星人と名乗る宇宙人と向かい合っていた。メフィラス星人は、暴
力をふるうのが嫌いだという。だから地球人の代表としてサトルを選び、地球を譲っても
らうことにしたというのだ。

「地球をあなたにあげますよ、と一言いえばいいんだよ」

 サトルがメフィラス星人の誘惑をしりぞけるや、フジ隊員は暴れ出した。魂をぬかれた
ような虚ろな目でビルに手をふりおろすフジ隊員、彼女の姿がとつぜんバルタン星人に変
わる。街並みの他の角からは、ザラブ星人とケムール人が−メフィラス星人はかつて地球
人に敗れた他の侵略者を呼び寄せることができるのだ。こうしたメフィラス星人はその実
力を地球人、特にサトルに見せつけようとする。

 メフィラス星人に捕らわれたハヤタはウルトラマンに変身することができない。はたし
て地球はどうなるのか・・・

 メフィラス星人はバルタン星人らを呼び寄せながらも、彼らに地球を攻撃させようとは
しない。そのため、後にファンの間で、彼らはメフィラス星人が見せた立体映像ではない
かという説も生じた。しかし、その解釈は「禁じられた言葉」そのもので語られたもので
はない。第一、バルタン星人らの助けなしでも、メフィラス星人をタンカーを宙に飛ばす
ほどの科学力を持っているのだから、物理的攻撃だって不得意ではないだろう。

 しかし、メフィラス星人は、あくまでサトルを誘惑することにこだわり、地球を去る時
にも、ふたたび人間の心に挑戦し、地球をあげますといわせてやる、との捨てセリフを残
している。たとえ物理的に地球を制圧したところで、メフィラス星人は満足できない。彼
は地球を奪うこと自体よりも、地球に住む人間の心を試したがっているのである。

 メフィラス星人の名は、『ファウスト』の悪魔メフィストフェレスに由来するという。
旧約聖書『ヨブ記』以来、悪魔には人間を心を試す誘惑者としての属性がつきまとう。メ
フィラス星人はいちおう宇宙人とはされているが、その行動は古典的な悪魔のパターンに
のってっているのだ。もっとも、円盤があっけなく科学特捜隊に見つかり、右往左往する
あたり悪魔としては情け無いのだが。

「ウルトラQ」的世界の終焉

『ウルトラマン』第三九話「さらばウルトラマン」、この作品は『ウルトラマン』の最終
話である。そして、それはまた『ウルトラQ』的な世界観の終焉を告げる作でもあった。
大宇宙の彼方から飛来してくる無数の空飛ぶ円盤、岩本博士はその円盤群の規模から、こ
れが地球総攻撃のためのものと推定する。

 岩本博士によると、円盤は一九三〇年から四〇年間にわたって目撃されてきたものだと
いう。そして、今、彼らは偵察期間を終え、ようやく地球侵略に本腰を入れたというのだ
。ちなみにこの計算でいくと、「さらばウルトラマン」は一九七〇年ごろの事件というこ
とになる(それは第二六話、第二七話が大阪万博直前の事件とされているのとも符節が合
う)。これでは、第二三話と計算が合わないが、それをむりやりツジツマ合わせするのは
野暮というものだろう。

 緊急警戒体制下の世界各国を尻目に円盤群は日本に向かう。彼らは科学特捜隊日本支部
、そしてウルトラマンを最初の目標にすえてきたのだ。ムラマツは隊員たちを叱咤する。
「我々の敗北は地球全体の敗北につながる」

 だが、円盤群と科学特捜隊が交戦に入った頃、基地は内部に侵入した何者かに荒らされ
つつあった。犯人の岩本博士?は、宇宙人の正体を現し、「ゼットン・・・」の声を残し
て絶命する(その姿はなぜかケムール人そっくり)。

 宇宙人の声に誘われたかのように現れる巨大円盤、その中から現れた宇宙恐竜は、なん
とウルトラマンを倒してしまう・・・

 この後、宇宙恐龍ゼットンは本物の岩本博士が発明した新兵器「無重力弾」で粉砕され
る。つまり、人類はウルトラマンを倒したほどの怪獣を破るだけの力を得たことになる。
すなわち、それ以降は人類が自力で地球を守っていかなければならないことが示唆されて
いるのだ。人類のウルトラマンへの依存で成り立っていた作品世界はここでようやく一段
落する。

 また、かつてザラブ星人やケロニアの侵入を許し、ブルトンに占拠されながらも打撃を
受けることはなかった科学特捜隊本部が、この話では見事に火の海にされてしまう。これ
は科学特捜隊という組織そのものの解体を暗示するものである。さらに地球が長期的に宇
宙人の侵略にさらされるとすれば、従来の科学特捜隊とは別の軍事的組織が必要とされる
だろう。敵が宇宙からの侵略者だと最初から判っていれば、事件へのアプローチも変わら
ざるを得ない。かくして、人間が自然界の、あるいは内宇宙のアンバランス・ゾーンと対
峙するという「ウルトラQシリーズ」の世界観は終わりを迎える。そして、ウルトラ・シ
リーズはその世界観を異にする『ウルトラセブン』以降の展開を迎えるのである。

「ウルトラQ」シリーズに現れる侵略者は、科学力や軍事力よりも、むしろ自らの特異な
能力で脅威を覚えさせる。そもそも彼らを私たちと同じ「生物」という枠でくくってしま
ってよいかどうかも判らない。なにしろ彼らの中には、生命の概念を持たないものや、宇
宙の知的生命を滅ぼすことに存在理由を求める者もいるのだ。

 追い詰められた宇宙人が巨大化して暴れ回るというパターンは彼らが作ったものだが、
しかし、彼らが本当に恐ろしいのは、街灯の電球が切れた電信柱の下でいきなり出会うか
も知れないという雰囲気を持っているからだ。その意味では、彼らは他の惑星から来た「
人間」というよりは、むしろ妖怪を思わせる。

『原子人間』(五六)から『新ドラキュラ/悪魔の儀式』(七二)まで、数多くのホラー
映画を生み出したハマー・フィルムの社長、マイケル=カレラスは次のような言葉を残し
ている。

「人々はSFや宇宙怪物を見るためにやってくるんじゃない。彼らの怖がるもの、本当に
見たいものは、映画館からの帰りに出くわすようなやつらなんだ」

 これはまさに、ウルトラQシリーズの侵略者たちのためにあるような言葉である(ちな
みに、宇宙飛行士が怪物化して帰還するというジャミラのモチーフはかつて『原子人間』
が先鞭をつけたところのものである)。

 侵略者と人類、あるいはウルトラ戦士の戦闘シーンが話のメインになってしまうと、ど
うしても、侵略者の不気味さがそがれてしまう。そして、人類の侵略者への対応も軍事的
、あるいは外交的にならざるを得ない。しかし、「ウルトラQシリーズ」の侵略者たちは
そうした対応では図り知れない者ばかりである。ウルトラ・シリーズを軍事的側面から考
察するという『ウルトラマン新研究』(グループ「K−26」編、朝日ソノラマ)が、その
タイトルに反して、『ウルトラセブン』を中心に論を進めなければならなかったのもその
ためであった。

 仮想敵を作る誘惑、人はそれからなかなか逃れられない。世の中の矛盾や不安、不満、
それを何らかの仮想敵におしつければ、複雑怪奇な世界が単純に解釈できるからだ。しか
し、それは安易であるばかりでなく、有害な考え方である。なぜなら、そうした考え方に
馴れた人は、未知の者に出会うと簡単に敵視し、深い考えもなく攻撃してしまうからだ。
「ウルトラQシリーズ」では、世界は大いなる謎として捉えられ、主人公たちは未知の者
と出会っても、やみくもに攻撃する前にまず慎重に様子を探ろうとする。これは後のウル
トラ・シリーズ、あるいは無数の特撮番組で忘れられ勝ちな態度であった。私たちは「ウ
ルトラQシリーズ」のそうした側面をもっと見直すべきだろう。

「来たのは誰だ」

 本章の最後に異色の侵略者を紹介しよう。『ウルトラマン』第二二話「地上破壊工作」
、第三一話「来たのは誰だ」はどちらも宇宙からではなく、この地球に潜みすむ侵略者を
扱った作品で、その筋立ても似通っている。ここでは、後者の「来たのは誰だ」について
、語ってみたい。

 科学特捜隊日本支部に、ボリビアの南アメリカ支部から珍しい客人が訪れる。日系青年
のゴトウ隊員である。ゴトウは、十歳の時に父を失って科特隊見習いとなり、以来、若い
ながらも二〇年の隊員歴を誇るという

 その頃、科学特捜隊は高良市にとつぜん広がりはじめた新種な植物の調査におわれてい
た。植物学者の二宮博士(演ずるは後に『ウルトラセブン』でキリヤマ隊長役となる中山
昭次氏)は、二〇年前、南米はアマゾン河流域で発見された吸血植物ケロニアにそっくり
だという。

 発見当時、ケロニアは急速な進化をはじめており、人間のように二本足で移動する個体
さえあったという。その発見者の名が後藤次郎博士だと聞いた時、ハヤタたち科特隊員は
顔を見合わせた。後藤博士といえば、南米で死んだゴトウ隊員の父親ではないか?

 ゴトウは科学特捜隊本部で次々と不可解な行動をとる。科学特捜隊でも一部の者しか知
らないはずの機密事項を口にする、ゴトウの身辺を探りはじめたフジ隊員がタンスから現
れた怪物に気絶させられる、ついにハヤタ隊員がゴトウのかばんから奇妙な植物片を発見
するに及んで、ゴトウへの容疑は固まった。

 ゴトウは吸血植物の変身した姿だったのである。二宮博士は、ハヤタが発見したサンプ
クから、ケロニアがすでに人間以上の知的生物となっており、しかも「他の動物よりもう
まい」人間の血しか吸わなくなっていることを知って驚く。

 二宮博士は植物人間に襲われるが、あわやというところでハヤタに助けられた。しかし
、その頃、全世界を征服すべくアマゾンを発進した植物人間のエアシップコンビナートは
日本に迫っていたのである・・・

「来たのは誰だ」は、ゴトウという謎の人物の正体探しをテーマとしており、推理ものと
しても楽しめる一篇である。

 欧米では海外の植民地から来た人物の素性をめぐるミステリーの作例は数多い。 そも
そも最初の本格探偵小説といわれるエドガー=アラン=ポーの「モルグ街の殺人」(一八
四一)からして、その犯人はボルネオのジャングルの出身だったのである。帝国主義が謳
歌された時代の植民地は、本国(欧米列強)の住人から見れば世界の辺境であり、原始の
気風がいまだ残っている所としてイメージされていた。本国と植民地、先進国と後進国、
文明と野蛮、その対立と矛盾から悪がもたらされ、犯罪が生じる・・・ポー、ドイルらの
揺籃期からクリスティ、カー、ヴァン=ダイン、クィーンらの黄金時代(大戦間時代)ま
で、この図式は探偵小説の世界では最もポピュラーな構図となってきたのである。

「来たのは誰だ」はその構図の日本的応用といえよう。なるほど、日本からの移民が多か
った南アメリカならば、移民のその後の物語をふくらませることも可能である。

 また、南米奥地といえば、文明社会で失われた野性が生きている場所として、十九世紀
末から今世紀初頭の英文学でしばしば舞台とされたところだ。

 たとえば、ドイルの『失われた世界』(一九一二)において、南米奥地のギニア高地は
恐龍や原始人など前世紀の生物が闊歩する地とされる。『失われた世界』は世紀末イギリ
スの熱帯秘境幻想、南米幻想の結実である。ここで描かれた恐龍境の原像なくして、映画
『キングコング』から『ウルトラマン』の「怪獣無法地帯」「怪獣殿下 前篇」にいたる
秘境の怪獣ものは存在しえなかっただろう。もっとも帝国主義者ドイルにかかっては、こ
の地球上最後の秘境も、文明の挑戦を受け、征服されてしまうのだが(『失われた世界』
の主人公の名がチャレンジャー教授、すなわち挑戦者というのも象徴的である)。

 また、同じくドイルの「ソア橋」(一九二二)、「吸血鬼」(一九二四)では南米出身
の登場人物の情熱が強調されており、それは獣性の発露とさえ解することができるほどで
ある(この問題については拙論「『シャーロック・ホームズの事件簿』と反進化の悪夢」
『シヤーロック・ホームズ紀要』第五巻第一号所収、参照)。

 W=H=ハドソンの『緑の館』の主人公アベルは、南アメリカの奥地で出会った野性の
少女リマに魅かれ、恋におちる。だが、その先には悲しい別離が待っていた。その物語は
、原作小説よりもむしろオードリ=ヘプバーン主演の映画の方で知られている。河村幹夫
氏は、この幻想的なロマンスが、『失われた世界』の下敷きになったとする(河村『コナ
ン・ドイル』講談社現代新書)。

「来たのは誰だ」も、ドイルの小説で示されたような南米秘境幻想を、二十世紀後半の日
本でふたたび甦らせたものだといえよう。帝国主義華やかなりしころには、南アメリカの
野性も、迷いこんだ者を同化するのが精一杯で、文明の侵略には手をこまねいているしか
なかった。しかし、現代においては、かつて野性と呼ばれたものが新たな文明を創造し、
逆襲の機をうかがっているのだ。ケロニアから見れば、侵略者とは後藤博士に代表される
人類であり、エアシップコンビナートの攻撃は反撃に他ならなかったことになる。

 そして、今、南アメリカの密林は酸素の供給源として、地球上の全人類の死命を決する
ものとなった。また、南アメリカの反米勢力は、冷戦終結後のアメリカ一極世界支配を足
元から揺るがす動因となっている。そして、彼らの資金源として、あるいは現在の世界秩
序を内側から崩壊させるための戦略物資として動いているのは、南アメリカの自然が育ん
だ植物なのである(コカインはコカ、モルヒネとヘロインはケシを原料とする)。

「奢れる人間ども、もうお前たちの世界は終わりだ。お前たちを滅ぼして我々植物人間の
王国を築く」

 ゴトウ=ケロニアの警告は、今やリアルな迫力を伴って、南アメリカ奥地から全世界に
発進されつつあるのだ。



第六章 三億五千年の影