三億五千年の影


悪魔はふたたび

 都市開発によって失われるものは自然環境や生物ばかりではない。都市はまた自らの
「歴史」をも押し潰しつつ膨張していくものである。

 英国の首都ロンドンといえば、歴史と伝統の薫りただよう町並みが魅力だが、最近、そ
こにタワーヒル=ページェントという新しい博物館ができた。

 それはサッチャー時代の都市再開発で現れた地層をそのまま生かした地下博物館だが、
その中に入ると約二千年前、ローマ人がテムズ川交易用の港を開いて以来のロンドンの歴
史が一望できる。ローマ植民地時代、ブリトン人の時代、デーン人(バイキング)の時代
、ノルマン征服以降の歴代王朝時代、そしてロンドン大火(一六六六年)による焼失と再
建の時代・・・一見、古色蒼然としたロンドンの街も実は度重なる破壊と再建の上に成立
してきたものなのである。

 ロンドンでさえかくのごとし、ましてや東京の場合、江戸時代の度重なる大火や明治維
新、さらに関東大震災と東京大空襲によって古い町並みはほとんど失われてしまった。都
市の本質がたえざる破壊と再建(新陳代謝)にあるとすれば、東京は世界で最も都市らし
い都市の一つといえよう。

『ウルトラマン』第十九話「悪魔はふたたび」は、東京都内のビル工事現場から始まる。
そこで地中から発見されたカプセルには一枚の金属板と青い液体を詰めたアンプルが収め
られていた。カプセルにこびりついていた化石から考えて、その作成年代は何と今から三
億五千年前(このケタ数のアンバランスぶりが嬉しい)。金属板は「宇宙考古学の権威」
福山博士により、青い液体は鉱物試験場の石岡博士により、くわしく調べられることにな
った。また、工事現場にはカプセルからこぼれた赤い液体のアンプルもあったが、これは
誰にも気付かれることのないまま、土砂と共に運び出されてしまった。

 科学特捜隊の面々は基地で議論にふける。

アラシ「三億五千年前といえば恐龍やマンモスがこの地球上を支配していた時代だ。人類
はまだサルと同じ状態だった。その人類がだなあ、タイムカプセルなんてそんなしゃれた
ものを・・・」

イデ「ちょっとちょっとアラシ隊員、恐龍やマンモスが歩きまわっていたのは、一億五千
年前です。三億五千年前といえば・・・」

フジ「(図鑑を手にとって朗読するように)三億五千年前といえば氷河期以前、つまり、
この地球上に我々よりももっと文明の発達した人類がいたといわれる謎の時代なのよ」

 なお、この時、フジが手にする図鑑は明らかに児童向けの古生物図鑑である。ウルトラ
Qシリーズの多くの作品で監督・脚本を担当した飯島敏弘(千束北男)氏は、脚本執筆の
際、科学考証のため、机上に『中学生の理科』を置いていたというが、この場面に登場す
る図鑑も、そうした科学考証用の文献の一つだったのだろうか。

 福山博士はイデ、ハヤタの協力でその金属板に「失われた大陸、ミュー帝国の文字によ
く似た」古代文字が刻まれていることをつきとめ、その解読に乗り出す。その結果は恐る
べきものだった。

「我々はやっと悪魔の怪獣、赤いバニラと青いアボラスとを捕らえ、液体に変えて地中深
く埋める。決して開けてはならない。再びこの怪獣に生を与えたならば人類は滅亡するで
あろう」

 しかし、時すでに遅く、落雷によって割れた赤い液体のアンプルからはバニラが、鉱物
試験場で実験用の雷撃を受けた青い液体のアンプルからはアボラスがすでに甦り、街を破
壊しはじめていたのである・・・

 このストーリーは一面では開発に伴う遺跡発見とその破壊の物語でもある。開発が遺跡
の発見につながるケースは多い。「怪獣殿下」の背景となった万博前の土地造成でも、銅
鐸鋳型の出土で有名な東奈良遺跡(大阪府茨木市)が見つかっているし、近年話題になっ
た吉野ケ里遺跡(佐賀県神埼郡)平塚川添遺跡(福岡県甘木市)も工業団地の造成中に発
見されたものである。

 ところがそれらの遺跡の多くをまちかまえているのは悲劇的な運命だ。工事を押し進め
る側の企業や自治体から見れば、遺跡は工事を中断させ、場合によっては計画そのものを
潰してしまう障害にすぎないからだ。いきおい、その多くは簡単な調査が行われ、報告書
一つ残しただけで永遠に消滅させられてしまう。一昔前には遺跡発見で騒ぎになるのを防
ぐために、遺跡らしき物が出るや、現場の判断ですぐ壊してしまった例も多かった。

 アボラスとバニラの出現はそうした破壊された遺跡による現代文明への意義申し立てな
のである。この回は冒頭のビル工事現場といい、クライマックスのオリンピック競技場の
風景といい、移り変わる街・東京の姿を納めたドキュメントとして今ではかえって貴重の
映像となっている。しかし、ここでは別の観点からこの物語を分析したい。

「悪魔はふたたび」は『ウルトラマン』の中でも通俗オカルト色の強い一編である。そも
そも宇宙考古学とは、一九六〇年代、アメリカのジョージ=ハント=ウィリアムスンやス
イスのエーリッヒ=フォン=デニケンらが唱えた「太古宇宙飛行士仮説」に基づく古代文
明解釈を指すものである。つまり、ピラミッドは宇宙人が作ったとか、イエス=キリスト
は宇宙人だったとかいう類の話のことだ(なお、遺跡の状況から古代人の天体観測技術や
当時の天文を探るという学問も宇宙考古学といえなくはないが、この場合には天文考古学
という用語を使う方が適切だろう)。

 それを専攻しているという福山博士が劇中で権威として重んじられ、立派な研究所まで
持っているというのは不思議だが、これも『ウルトラマン』の作品世界と私たちの世界と
の常識が食い違っている一例かも知れない。

 また、福山博士のいうミュー大陸とは、一九三一年、自称元英国陸軍大佐ジェームズ=
チャーチワードが発表した『失われた大陸ムー』に出てくるムー大陸のことだろう。チャ
ーチワードによると、ムーとは今から一万二千年前、太平洋に消えたという伝説の大陸の
名であり、三億五千年前というのはいささか古く見積もりすぎの年代である。

ムー大陸研究史

 ムーという沈んだ大陸の話はチャーチワードに始まるわけではない。そもそも失われた
大陸の伝説は、いまから約二五〇〇年前、古代ギリシャの哲学者プラトンが著した『クリ
ティアス』と『ティマイオス』に始まる。それによると、プラトンに先立つ時代の哲学者
ソロンがエジプトの神官から聞いた話として、ヘラクレスの柱の彼方(一般にはジブラル
タル海峡の外、すなわち大西洋の意とされる)にアトランティスという広大な帝国があっ
たが、彼らは軍事力をほこる余り、世界の支配を企て、太古のギリシャと争ったあげく一
夜にして海底に没してしまったという。その年代はソロンの時代から見て九千年前、つま
り今から約一万二千年ほど前のことだとされている。

 アトランティス研究は大航海時代から次第にさかんになってきたが、一八八二年、アメ
リカの政治家イグネシアス=ダンリーが『アトランティス・大洪水以前の世界』なる著書
を発表し、その中でアトランティスこそ世界文明の発祥の地と主張してから、熱狂的なア
トラントローグ(アトランティス研究家)が輩出するようになった。

 ダンリーの主張によると、アトランティスの最古の植民地はエジプトだが、やがてその
勢力はメキシコ湾岸、ミシシッピ川、アマゾン川流域、地中海、バルト海、黒海などにも
達し、古代文明の花を咲かせたという。

 アメリカは移民の国である。そこにはヨーロッパのような明確な歴史と伝統はない。ダ
ンリーは先史時代のアトランティス文明という概念を持ち込むことで、アメリカにヨーロ
ッパと同様、あるいはそれ以上に古い歴史を与えようと試みたのである。近代アトランテ
ィス学の原点、それは歴史なき振興国アメリカのコンプレックスの産物だったのである。
しかし、その主張を認めると、アトランティス文明の後継者たるアメリカ先住民はダンリ
ーたち白人によって虐殺されたはずなのに、その自明のことに気付かないのだから、いい
気なものである。

 それはさておき、ダンリーのアトランティス学旗挙げに先立つ一八六四年、フランスの
神父にして考古学者シャルル=ステファン=ブラシュール=ド=ブールブールは『四つの
文字』という著書を発表している。この書籍はムーという固有名詞の文献上の初出として
注目すべきものである。

 ブラシュールは当時知られていたマヤ=アルファベットに基づき、マヤ文明の遺産「ト
ロヤノ古写本」を解読した。するとそこには、古に栄えた王国が海底に没した旨の記録が
現れたという。その王国の名はMU。ブラシュールはこれをアトランティスの別名と考え
、両米大陸とエジプトの古代文明はいずれもアトランティスに発祥したと説いた。この主
張がダンリーに影響を与えたことは言うまでもない。

 ブラシュールはそれまでにアメリカ先史文明についての優れた研究を残していた。しか
し、一八七四年に世を去ってから彼の名は冷笑と黙殺の対象となり、今ではその業績はほ
とんど忘れ去られたままになってしまっている。

 ダンリーとほぼ同時代、同じくフランスの探検家オーギュスト=ル=ブルンジュオンも
『トロヤノ古写本』の解読を試み、やはりそこにアトランティス沈没の次第が語られてい
ると説いた(『ムー女王とエジプトのスフィンクス』一八八一年)。ただし、ル=ブルン
ジュオンはムー(MOO)を失われた王国そのものではなく、その女王の名とみなしてい
る。ル=ブルンジュオンによると、ムー女王はメキシコのユカタン半島からアトランティ
スを経てナイル河畔のマヤ植民地に入り、エジプト文明の華を咲かせたという。

 一九一二年十月、『ニューヨーク・アメリカン』紙に、パウロ=シュリーマンなる人物
の署名記事が載った。「私はいかにして、アトランチス、全文明の源泉を発見したか」筆
者はパウロ=シュリーマン、トロイ発掘で有名なハインリヒ=シュリーマンの孫である。
パウロは祖父の残したコレクション、ル=ブルンジュオン解読による「トロヤノ古写本」
そして、パウロ自身がチベットで発見した「ラサ記録」に基づき、アトランティスの実在
を証明したのだという。パウロによるとその祖父のコレクションにはフクロウの頭をかた
どった奇怪な壺があり、そこにはフェニキア文字で「アトランティスの王クロノス」の名
が刻みこまれていた。

「壺の中からは四角形の白銀色をした金属板が出てきた。この金属板の表面には、かつて
目にした象形文字、古代文字とは似ていない不可解な記号が刻まれていた。そして裏面に
は古代フェニキア文字で、透明な壁の神殿発行の刻印があった。この金属板は、壺の口よ
りも大きいのに、どうして入れることができたのか不可解である。壺がアトランチスのも
のであるとすれば、金属板もアトランチスのものでなければならない。研究の結果、金属
板の裏面のフェニキア文字は、金属板が壺の中に入れられたのちに刻まれたことがわかっ
たが、それはどんな方法でおこなわれたか?私には今でも謎である」(小泉源太郎著『ア
トランチス大陸』大陸書房)

 また、「ラサ記録」には、バルの星が落ちた時(隕石の衝突?)、泣き叫ぶ群集が王国
最高の神官ラ=ムーに救いを求めようとしたが、ムーはそれを拒絶、やがて王国は海底に
呑みこまれていった旨の記述があるという。

 この記事はアメリカばかりではなく、ドイツやフランスの新聞にも転載され、話題を呼
んだが、間もなく記事の中に事実誤認や矛盾が多いことが指摘され、誰かがパウロの名を
騙ってのデッチアゲ記事ではないかとの説が有力になった。それから間もなくしてパウロ
=シュリーマン自身、第一次大戦中に変死をとげたため、この一件の真相はうやむやにさ
れたまま現在にいたっている。ちなみにこのエピソードは半村良氏のSF『石の血脈』で
も伏線として使われているので、興味のある方は御一読願いたい。

 さて、パウロ=シュリーマン(?)のいうクロノスの壺やラサ記録は他に実在の証拠は
なく、デッチアゲの可能性が高い。となると、アトランティス=ムー説の根拠はブラシュ
ールやル=ブルンジュオンによる「トロヤノ古写本」解読一つにかかってくることになる
。ところが彼らが根拠としたマヤ=アルファベットなるものが、すでに当時の学問的水準
からしても、一顧だにする価値のない代物だったのである。

 そのマヤ=マルファベットは、十六世紀後半、メキシコでの布教に活躍したフランシス
コ会修道士ディエゴ=デ=ランダのまとめたものである。スペインがユカタン半島を支配
した時、マヤ文明はすでに衰亡期に入っていたが、それでもなお多くの古写本が残されて
いた。デ=ランダはそれらを掻き集めると、悪魔の書としてことごとく焼きすててしまっ
たのである。「トロヤノ古写本」はその暴挙を逃れた貴重な写本の一つなのだ。

 ところが、マヤ文化の文献的遺産のことごとくを焼きつくした後、デ=ランダはもうれ
つに後悔した。彼は自らの手で地上から失われたものを復元するべく、マヤの貴族や古老
からの聞き書きをまとめて一冊の本にした。マヤ=アルファベットはその書物『ユカタン
事物記』(一五六六年)に出てくる。ところが比較人類学などのない時代の悲しさ、デ=
ランダの頭には、表意文字や象徴体系という概念はまったくなかった。彼はマヤ文字も当
然、西欧の文字と同様の表音文字であると考え、むりやりラテン語の音韻にあわせて整理
してしまったのである。いって見れば、現在、日本で用いられている漢字を表音文字とみ
なし、英、美、椎、泥、などと並べてアルファベット表を作るようなものだ。

 このようなアルファベットに基づいて古写本を解読したところで、その結果がまともな
ものになるはずがない。現在では「トロヤノ古写本」は天文学・占星術の書ではないかと
みなされている。少なくともアトランティス沈没の次第を記したものなどでないことは確
かである。

 チャーチワードはこの「ムー」の話に目をつけ、その舞台を大西洋から太平洋に移すこ
とで、まったく新しい伝説を作り上げたというわけである。

レミュリア大陸顛末記

とはいえ、太平洋に古代大陸があったという話も別にチャーチワードが創案したというわ
けではない。アフリカ大陸の東方に浮かぶマダガスカル島にはレムール(キツネザル)と
いわれるサルの仲間が棲んでいる。それは大きな目と長くて爪のとがった四肢を特徴とし
ており、現在では亜種を含めて、二五〇種ほどが確認されている。ちなみに日本では童謡
で親しまれるアイアイもこのレムールの仲間である。

 十九世紀、このレムールと同目と思われるサルが東南アジアやアフリカ本土にもいるこ
とが報告された時、学者たちは頭を抱えてしまった。レムールにはとても海を渡る能力が
あるようには見えなかったからである。そこで、遠い昔、東南アジアとアフリカの陸橋と
なる広大な大陸があり、マダガスカルはそのなごりであるという説が生まれた。

 この説は最初、フランスの博物学者ジョフロア=サン=ティレールやドイツの動物学者
アーネスト=H=ヘッケルらによって提唱された。その仮想の大陸に「レミュリア」とい
う名をつけたのは、イギリスの動物学者フィリップス=R=スクレターだという。また、
アルフレッド=ウォーレス(ダーウィンとならぶ自然淘汰説の発見者)、地理学者のエリ
ゼ=リクリュ、地質学者のオーグなど、当時の学会を代表するような多くの学者たちが、
この大陸の実在に賛意を表明していた。レムールは人類の祖先から早い時期に枝分かれし
て種と考えられるため、レミュリアはまた人類の幻の原郷として、学者たちのイマジネー
ションをかきたてることにもなった(A=コンドラトフ『レムリア大陸の謎』中山一郎訳
、講談社、竹内均『ムー大陸から来た日本人』徳間書店、参照)。

 また一八八〇年代には、オーストラリアの地質学者エドワード=ジュースは、今から二
億から六億年ほど前、南半球に巨大な大陸があったという説を発表した。ジュースは、そ
の大陸をゴンドワナと名付けた。インドの少数民族ゴンド人の名にちなむものである。

十九世紀末になると、科学者の仮想した「失われた伝説」の物語をオカルティストが借用
するようになる。

 ジョン=バロウ=ニューブラフが自動書記(早い話がコックリさん)で著したという奇
書『オアースプ』(一八八二)には、北太平洋に沈んだ幻の大陸パンが登場する。その大
陸では、天から降りてきた天使とアザラシに似た動物の結合によって、忌まわしい黒人種
と優美な白人種が生まれた。そして、現在のアフリカ、アジアの諸民族はその黒人種の方
の子孫なのだという。人種偏見丸出しのヨタ話ではあるが、西欧のオカルティズムには他
にもこの種の話は多い。心すべきことではあろう。

 神智学なるオカルト体系を創始したヘレナ=ペトロヴナ=ブラヴァッキー夫人は、一八
八七年から九七年までの十年間をかけて、『シークレット・ドクトリン』という大著を発
表している。それは宇宙の誕生よりも古いという書物『ド=ジャンの書』の解説である。
ブラヴァッキーは『ド=ジャンの書』を肉体の目で見たわけではなく、幽体のみをチベッ
トに飛ばし、その書物を秘蔵するヒマラヤ聖者の許しを得て、霊視したのだという。

 その中には人類の祖先たる根源人種がレミュリア大陸やアトランティス大陸にいた時代
のこともくわしく述べられている。

 ブラヴァッキーの流れをくむオカルティストの間では、レミュリアとアトランティスの
存在は、もはや既定の事実となった。スコット=エリオットの『アトランティスと失われ
たレミュリアの物語』によると、レミュリア人は爬虫類めいた顔をした巨人であり、恐龍
を家畜として飼いならしていたという。

 一九一〇年代末から三〇年代初めにかけて、アメリカ、カリフォルニア州ではしばしば
シャスタ山の神秘の話が新聞紙面をにぎわはせた。シャスタ山はカリフォルニアとオレゴ
ンの州境の山で古くはモードック=インディアンの聖地である。その山では、一年の内の
特定の日、特定の時間に白色あるいは七色の怪光が現れるという。そこで不思議に思った
気象観測所長が望遠鏡で調べたところ、山中にレムリア人の都市があることが判ったとい
うのである。一九三一年には、実際にシャスタ山を訪れ、レムリア人に会ったという人物
まで登場する。神智学者のM=ドーリル博士である。ドーリルはレミュリア人の案内で、
シャスタ山の地底におり、壮麗な地下都市を見たという。ドーリルはこの体験を小冊子に
まとめた後、謎めいた自殺を遂げる。なお、レミュリア人たちは自分からその素性を名乗
ったというのたが、どうした彼らが自分たちの原郷の本当の名を言わず、十九世紀の科学
者の命名による大陸名を用いたのかは説明されていない。

 また、アメリカの作家H=P=ラヴクラフトは、一九二六年、太平洋の失われた大陸に
眠る邪神クトゥルーが、芸術家や狂人の夢に現れてその目覚めを告知するという怪奇小説
「クトゥルーの呼び声」を著した。ラブクラフト自身は生涯マイナーな作家で終わったが
、彼の暗示した神話体系は「クトゥルー神話」と呼ばれ、多くの追随者を出した。

 日本人が書いたクトゥルー神話作品としては、風見潤氏のクトゥルー・オペラ・シリー
ズ、栗本薫氏の魔界水滸伝シリーズ、菊地秀行氏の『妖神グルメ』、朝松健氏の『崑央の
女王』などが挙げられる。また、村上龍氏の『だいじょうぶマイ・フレンド』にも主人公
ゴンジーがクトゥルーの眷族であることを暗示する記述がある。

 ちなみに日本で最初に書かれたクトゥルー神話作品は、山田正紀氏の短編「銀の弾丸」
(一九七七)だといわれていたが、実際には高木彬光氏の「邪教の神」(一九五六)にす
でに、海底の邪神「チュールー」なるものが登場している。ただし、「邪教の神」は名探
偵・神津恭介シリーズの一篇であり、当然のことながら本格推理仕立てである(「邪教の
神」「銀の弾丸」とも、最近、学習研究社から刊行された『クトゥルー怪異録』に収録さ
れている)。

 それはさておき、クトゥルー神話には、オカルティズムの教義と合致するところが多く
、奇妙なリアリティがある。そのため、オカルティストの中には、ラヴクラフトは霊能者
で、クトゥルー神話は事実に基づいていると主張する者もあるほどである。

 こうした怪しげな話とは別に、一九二六年、イギリスの民族学者マクミラン=ブラウン
は、ポリネシアをはじめとする太平洋諸島の文化・人種的同質性に着目し、太平洋の諸民
族はかつてこの洋上に存在した大陸の住人の生き残りであるという説を発表した(現在で
は、その文化的同質性は、偉大な航海民族であったポリネシア人の拡散によるものとして
説明されている)。

 チャーチワードはまったくの白紙状態から、太平洋の失われた大陸をでっちあげたわけ
ではなかった。彼はこうした科学者や小説家、オカルティストの業績をとりいれながら、
幻想大陸ムーをデザインしていったわけである。

 旧ソ連のジャーナリスト、A=コンドラトフによると、一八九〇年、『ブルックリン・
タイムズ』の土曜版に、「かの有名なアトランチスに劣らずレミュリアも重要である。と
ころが、誰一人としてその場所を知る者はいない」という投書が掲載されたという。投書
者の名はウィリアム=チャーチワード。コンドラトフはこの人物をジェームズ=チャーチ
ワードの父親と見なしている(コンドラトフ『太平洋古大陸の謎』深見弾訳、大陸書房)
。このコンドラトフの説が正しければ、チャーチワードの失われた大陸への関心は、父親
から受け継がれたものだったということになる。

 なお、レミュリア大陸はインド洋、チャーチワードのいうムー大陸は太平洋にあったわ
けだから、この両者は同じ大陸ではありえないはずである。しかし、そのわりには両者を
混同している論者は多い。スコットランドの人類学者でアトラントローグとしても有名な
ルイス=スペンスなどは、ムーとはレミュリア大陸の別名であるとはっきり言い切ってい
る(『謎のレムリア大陸』浜洋訳、大陸書房)。

「ムー」のつづりはチャーチワードによると、MUだからムーと読むべきはずなのだが、
なぜか日本ではミューと読むのが正しいという説が流布している(『ウルトラマン』の福
山博士もそのように発音していること前述の通りである)。黒沼健によると、それもムー
とレミュリアの混同から生じた説ではないかという。

 レムールという学名はもともと「幽霊」を意味する語に由来する。これはレムールの仲
間に夜行性のものがいることや、その敏捷な動き、目の大きな顔立ちなどから名付けられ
たわけだろう。しかし、その名を冠する架空の陸地がオカルトの世界で成長していくあた
り、まさに「幽霊大陸」と呼ばれるにふさわしいではないか。

「ムー」はいつ日本に入ったか

 チャーチワードのムー大陸説はかなり早い時期から日本に紹介されていたらしい。『失
われた大陸ムー』が出た昭和六年から、数年の内には『サンデー毎日』などいくつかの雑
誌・新聞でムー大陸説をとりあげる記事がでている。また、昭和十三年には『神日本』と
いう雑誌に「陥没大陸ムー国」という題で『失われた大陸ムー』の翻訳が連載されており
、さらに昭和十七年には抄訳ではあるが、単行本として刊行されてもいる(『南洋諸島の
古代文化』仲木貞一訳、岡倉書房)。仲木の序文によると、その原書を提供したのは大政
翼賛会調査部長の藤沢親雄だったという。

 なお、いわゆる「古史古伝」の一つ『竹内文献』には、ミヨイ・タミアラという大陸が
太古のインド洋、太平洋にあり、それが天変地異のために海底に没したという記述がある
。そこで、『竹内文献』信者の中には、チャーチワードのムー大陸説をもって、文献の正
しさの傍証にしようとする論者があるのだが、実際には『竹内文献』におけるミヨイ・タ
ミアラの初出は昭和十七年であり、これはむしろ『竹内文献』の真の著者がムー大陸説を
取り込んだとみる方が妥当だろう(その考証については大内義郷『神代秘史資料集成』解
題、八幡書店、にくわしい)。偽史の作者が、自らの作品に当時の新説をもりこむという
ことは、昨今話題の『東日流外三郡誌』などにも見られる現象である。

 この「ミヨイ」がムーのなまりであることはほぼ間違いない。『竹内文献』研究家の酒
井勝軍は著書『神字考』(昭和十一年)の中で「英国のチャーチワード大佐が三十年間太
平洋沿岸を研究した結果、世界文化の発祥地は太平洋上赤道直下に在つたミウ国なりとう
断定公表した」旨、言及しているからである。これによって、当時、『竹内文献』の周辺
にいた人々はムーのことをミューに近い音で呼んでいたことが推定できる。

 なぜ、戦前の日本人がムー大陸説に関心を持ったのか、それは想像に難くない。当時、
日本の国土拡大策には、朝鮮半島から満州・モンゴル・シベリアに向かおうという北進論
と東南アジアから太平洋に向かおうという南進論の二つの流れがあった。チャーチワード
は、日本をムーの子孫の国の一つと説いていたため、その説が南進論に有利なものとして
歓迎されたのである。昭和十年頃には、すでに日本と英米との関係は良好なものと言い難
かったにも関わらず、チャーチワードを日本に招いて講演会が行われたという話もある。
ところがチャーチワードは一面では白人至上主義者でもあった。『失われた大陸ムー』に
よると、ムー大陸では高貴な白人種が野蛮な他の人種を支配していたという(邦訳ではそ
の部分がほとんど省かれている)。そのため、チャーチワードを支持していた勢力の中か
ら、反発の声があがることも多く、『神日本』でも「陥没大陸ムー」を連載した翌年には
、すぐにチャーチワード批判の論文が続けてでている。

 戦後、チャーチワードを日本に再紹介する上で、もっとも大きな功績をあげたのは、な
んといっても黒沼健であろう。黒沼といえば、戦前戦後を通じてコーネル=ウールリッチ
やドロシー=セイヤーズなど多くの海外推理作家を紹介・翻訳しており、また東宝映画『
空の大怪獣ラドン』『大怪獣バラン』の原作者としても名高い人物だが、そのライフワー
クはなんといっても膨大な怪奇実話である。その怪奇実話集の中でも、ムー大陸を主要テ
ーマにすえた『古代大陸物語』(新潮社)が刊行されたのは昭和三八年(一九六三)のこ
とであった。黒沼はその後もくりかえし『奇人怪人物語』『恐怖と戦慄物語』『地下王国
物語』などでくりかえしムーやレムリアがらみの話題を取り上げている。

 戦後、あらためてチャーチワードの翻訳(小泉源太郎訳『失われたムー大陸』大陸書房
)が出されるのは昭和四三年、学研の雑誌『ムー』が創刊されたのが昭和五四年だから、
戦後のムー大陸説再受容において、黒沼が占める位置には大きなものがある。おそらくは
『ウルトラマン』のスタッフも黒沼の怪奇実話を読んでいたことだろう。

天文学的年代観

 それにしても判らないのは、「三億五千年前」という天文学的ともいうべき年代観がど
こからもたらされたかということである。チャーチワードを信じたとしても、ムーが栄え
たのは、今からほんの数万年前のことであり、何億年という年代は出てきそうにない。

 人類の歴史を天文学的年代まで引き上げるというのは、超古代史やオカルトの世界では
有りがちなことである。たとえば前述の『竹内文献』などは天皇家の系譜を語る年代記の
体裁をとっていながら、その筆を宇宙創世以前の「年歴無数」から起こしている(拙著『
幻想の超古代史』批評社)。

 オカルトの世界では、神智学にもこうした年代観が見られる。たとえばエリオットによ
ると、あの恐龍めいたレミュリア人が栄えたのは、今から五千万年も前のことだという。
しかも『シークレット=ドクトリン』によると、レミュリア以前にも極北の地ハイパーボ
ーリアに出現した根源人種が存在したというのである。

 ラヴクラフトの作品の中にも、今から数億年前、恐龍出現以前に地上に栄えた「大いな
る種族」に精神転移された男の物語「超時間の影」(一九三六)がある。

 日本のオカルティズムでは天理教にもそうした年代観はみられる。その教典『泥海古記
』によると、イザナギ・イザナミによって泥海に産みおとされた人類はその後、九億九万
年の間、水中生活を続けたという。また、人類が地上にあがってから天理教開教(天保九
年=一八三八)までには九九九九年の歳月が流れたとされている。

 もっとも一九六〇年代には、こうしたオカルトがらみの知識はほとんど世間に流布して
いなかったため、『ウルトラマン』のスタッフが直接の影響を受けたとは考えにくい。氷
河期以前の謎の人類というイメージはラヴクラフトの「大いなる種族」を思わせるが、当
時の日本ではほとんどラヴクラフトは読まれてはいなかった。結局、三億五千年という年
代に直接の出典を求めることは困難だということになる。

 むしろ、この年代は、「悪魔はふたたび」という物語全体がホラ話であることを強調す
るためのものかも知れない。「三億五千万年」ではなく、「三億五千年」という半端な年
代なのもそのことを暗示するかのようである(『ウルトラマン・パワード』でのリメイク
では、カプセルの年代は数千年前、刻まれた文字は古代インド語とよりリアルな設定に変
更されている)。壮大なホラ話が擬似科学(この場合はムー大陸説)に支えられて、物語
としてのリアリティを得る、『ウルトラマン』のみならず通俗SF全体にみられる構造を
考える上で、「悪魔はふたたび」はかっこうのモデルを提供してくれているのである。



第七章 蟻の巣で見た夢