蟻の巣で見た夢


「地上破壊工作」

『ウルトラマン』全三九話中、もっとも異様な印象を残す作品、それは実相寺昭雄監督・
佐々木守脚本による第二二話「地上破壊工作」ではないか。

 科学特捜隊パリ本部から派遣されたアンヌ隊員、彼女は出迎えのアラシ、イデの質問に
応えようとはしない。廃工場の向こうを走るモノレールの遠景(この場面から察する限り
『ウルトラマン』の世界の国際空港は羽田に設定されているようである)。表情を読まれ
たくないのか、サングラスをはずそうとしないアンヌ。本部作戦室に到着した彼女は、ム
ラマツを前にして初めて要件をいう。国際宇宙開発軍のロケット操縦技術指導のため、日
本支部のエース・ハヤタをパリに招きたいというのだ。

 だが、ビートル機でアンヌとハヤタが飛び立った直後、東京全域の電波や電話が突然の
混乱に陥った。テレビセンターで調査中の福山博士は、灯台下暗し、異常の原因は科学特
捜隊本部にあるという。捜索の結果、アラシは本部の片隅で、ライターほどの大きさの不
審な装置を見つける。

 その装置は東京一円の電波を妨害するにたるだけのケリチウム磁力光波を出していた。
しかも、それに使われているゲルマタント鉱石は地下四万メートルにしか存在しないもの
だという(この辺り、意味不明の造語が出てくるが、解体整理された部品のアップが、そ
れにリアリティを与えている)。そして、装置の解体で電波障害がおさまった時、アンヌ
とハヤタは、その消息を絶っていたのである・・・

 この作品を支えるのは、アンヌ(と称する女)の正体をめぐる謎である。表情を動かす
ことなく、パリ本部での決定事項を高圧的に告げるアンヌ。そこには、生前の三島由紀夫
が高く評価した、あの沼正三『家畜人ヤプー』に描かれた日本人男性の白人女性に対する
畏怖心が反映しているようでもある。

 地下四万メートルにしか存在しない鉱石や、イデたちがアンヌらしき女を追跡中に拾う
ハヤタの流星バッジなど、手がかりの使い方も面白いが、それ以上に不気味な雰囲気を盛
り上げるのが、照明とカメラワークだ。

 実相寺演出独特の、人物を画面の中心からずらすカット、あるいは撮影対象よりも手前
に焦点を合わせるカットは、この作品でもっとも効果をあげている。また、短いカットと
ストップモーションの多用も作品にいやおうなしの緊迫感を与える。

 そして、それ以上に凄いのが照明だ。「地上破壊工作」の場面は全般的に暗い。科学特
捜隊作戦室での照明は落とされた例は第十四話、第十五話にもあり、あるいはそれは実相
寺演出の特色とも思われるが、この第二二話における作戦室は前にも後にも例がないほど
暗く、かろうじて撮影対像だけにライトが当たっているのである。テレビセンターの場面
はすべて機材ごしに撮影されており、しかもその手前の機材は影になっている。そして、
クライマックス、怪獣テレスドンの出現シーンは夜間なのだ。

 実相寺監督作品は『ウルトラマン』では六篇、他に第十四話「真珠貝防衛指令」第十五
話「恐怖の宇宙線」第二三話「故郷は地球」第三四話「空の贈り物」第三五話「怪獣墓場
」がある。これらの諸作品ではフジの「女」としての側面(第十四話)、コメディ(第十
五話、第三四話)、怪獣が本当に「悪」なのかという深刻な疑問(第二三話、第三五話)
など、他の監督が避けて通ったテーマに真正面から取り組んでおり、いずれも傑作の呼び
声が高い。しかし、映像的に実相寺氏らしさがもっともよく現れているのは、他の諸作に
も増して、この「地上破壊工作」ではないだろうか。

 さて、アンヌ(?)に連れ去られたハヤタは、「夢とも幻ともつかない不思議な時間」
の中で目を覚ます。とりかこむアンヌたち数人の男女、サングラスをはずした彼らの顔に
は眼がない。彼らは、氷河期以前の地殻変動で地中に呑みこまれた地底人だと名乗り、地
上を征服して「太陽をこの全身に浴びる」という野望を語る。

 彼らはハヤタを催眠状態にした上で、ウルトラマンに変身させる。しかし、ベータカプ
セルの閃光を浴びた地底人は、ことごとく倒れてしまう(それまで照明をおさえていただ
けに、この閃光の場面の印象は強烈である)。

 地底人は光に弱かった。彼らは光を失ったが故に光を求めた。しかし、その光は彼らの
命を奪うものでしかなかったのである。

 地上に現れたウルトラマンは、催眠状態に陥ることなく、地上侵略の尖兵テレスドンを
倒す(このあたり、ハヤタとウルトラマンは別人格と見るべきか、地底人の絶滅によって
ウルトラマンがコントロールを離れたとみるべきか、疑問は残る)。

 ハヤタは、ウルトラマンに助けられたという本物のアンヌを伴って科学特捜隊本部に帰
り、そしてあらためてパリ本部へと旅立っていく。アンヌを助ける場面は画面上一切ない
。本物のアンヌの出現に、かえって視聴者はとまどうほどである。しかし、この結末がか
えって実相寺らしさをよく示しているようにも思う。『ウルトラセブン』での監督作品や
劇場映画『曼陀羅』など、実相寺氏の代表作には、結末の唐突さで、作品終了後も、見る
者の意識を作品世界にしばりつける技法が、多く用いられているのである。

 画面の暗さ、障害物ごしのカット、「地上破壊工作」を貫く視点は、対象を直接に見る
のではなく、どこからか覗き込むような位置に立っている。それは地底人の地の底からの
視線に通じるものかも知れない。それはまた、物陰から人間の生活をかすめみる昆虫の視
線をも思わせるものがある。

「バラージの青い石」

 さて、「地上破壊工作」のハリウッド版リメイクでは、オリジナルにはない興味深いモ
チーフが現れる。そこでは、地底人はエルドランという光の神を崇拝している。ところが
、そのエルドランの神像なるものはウルトラマンとそっくりなのである。

 日本の特撮ファンならば、このモチーフがどこから借りられたものか、すぐに気付いた
ことだろう。『ウルトラマン』第七話「バラージの青い石」の「ノアの神」である。

「バラージの青い石」は、科学特捜隊パリ本部のジム隊員による出動要請に始まる。中近
東の砂漠に巨大な隕石が落下し、その日から周辺で飛行機事故が続発した。調査に向かっ
た科学特捜隊トルコ支部、インド支部もそれぞれ消息を絶ち、いよいよ日本支部にその調
査を依頼してきたというわけである。

 ヒマラヤを過ぎたビートルは、光の壁に行く手をはばまれ、砂漠に不時着した。彼らは
そこで巨大な蟻地獄とその中に潜む怪獣に出会う。

 砂漠を歩く科学特捜隊の一行は、そこでさびれた町に出会う。アランは眼前の秀麗な山
を指差す。「見ろ、アララト山だ」

 その町を治めているのはチャータムという美女だった。彼女はテレパシーで、そこが今
や地図から失われた伝説の町バラージであることを告げる。チャータムは彼らを神殿に案
内した。そこには青い石を手にしたウルトラマンにそっくりな石像が祭られている。それ
はバラージの守護神・ノアの神であり、その青い石のおかげで、バラージは怪獣アントラ
ーに襲われないでいるのだという。

「五千年の昔から、ウルトラマンの先祖は地球に現れ、人類のために闘っていたのか」

 ムラマツは絶句する。しかし、その時、ノアの神をあざわらうかのように、アントラー
がバラージの町に侵攻してきたのだ・・・

 なお、アントラーの姿は一見、クワガタムシを思わせるものだが、その真のモデルは「
蟻地獄怪獣」の別名が示す通り、アリの天敵アリジゴク(ウスバカゲロウの幼虫、砂地に
落とし穴をかねた巣を作る)である。

ノアの洪水とアララト山

 さて、「バラージの青い石」で不可解なのは、バラージの場所のあいまいさである。な
にしろ、アントラーはヒマラヤを越えてすぐの所に潜んでいたにも関わらず、その近くに
あるはずのバラージからはトルコ東部、アルメニア高原にあるはずのアララト山(標高五
六一五メートル)が見えるのである。いかに幻の町といっても、これではバラージの、だ
いたいの位置さえつかみようがない。

 これは、バラージのイメージ作りに二系統の擬似科学的話題をむりやり接合した結果だ
った。太古のウルトラマン・ノアの神とは旧約聖書『創世記』のノアにちなんだ名前だろ
う。人類の祖アダムから数えて十代目のノアの時、人の世は乱れ、地上に悪がはびこった
。主なる神は、大洪水を起こして人類をいったん滅ぼすことを決意した。そして、義人ノ
アとその家族だけは助けるため、方舟の作り方を教えたのである。

 天の窓が開き、四十日間の大雨が続いた後、地上に生きているものは、方舟に乗ったノ
アの家族と、すべての命あるものから選ばれた雌雄一対づつのみとなった。方舟はやがて
アララト山の近くに漂着する。洪水の始まりから丸一年と十日後、ノアたちはようやく地
上に降りることができた。そして、彼らが新しい人類の始祖になったのだという。

 十九世紀半ば、イラクの古代都市ニネヴェから、アッシリア時代の図書館跡(紀元前七
世紀)が見つかった。そこから出土した楔形文字の粘土板は大英博物館に運ばれ、整理が
進められたが、一八七二年、その作業に加わっていた助手ジョージ=スミスは大変な発見
をすることになる。膨大な粘土板の中に聖書の「ノアの洪水」のくだりとそっくりな記述
があることに気付いたのである。

 その発見から、この話はもともと、聖書よりも古い『ギルガメシュ叙事詩』にある「ウ
トナピシュテムの洪水」の話を換骨奪胎したものということが明らかになった。今では、
『ギルガメシュ叙事詩』の成立は紀元前二千年頃の古代シュメール時代までさかのぼるこ
とが明らかになっている。

 一方、イラクやトルコでの考古学的発掘は、アナトリア高原からチグリス、ユーフラテ
ス川流域にかけて、大規模な洪水跡としか思えない泥土層が広く分布することを明らかに
した。泥土層は二層あり、それから洪水は二度、だいたい紀元前三五世紀頃と二八世紀頃
に起きたと推定できる。この年代はまた、シュメール文明出現および初期王朝形成の時期
とほぼ重なる(成瀬敏郎「五〇〇〇年前のノアの大洪水の証拠を見つけた」『科学朝日』
一九九四年十一月号)。いまや「ノアの洪水」は古代人の単なる空想ではなく、伝説化し
た史実だったことは明らかである。しかもその実年代さえほぼ特定できるのだ。

 むろん、洪水の実在証明は方舟の実在まで証拠だてるものではない。しかし、子供の頃
から教会に通い、聖書に親しんでいた欧米人の多くには、方舟の話題にはロマンをかきた
てられるものがあるらしい。

 十九世紀以来、ノア漂着の地とされるアララト山では、方舟の痕跡を求めての探検が相
次いだ。南山宏氏によると、一八八三年、地震の被害調査におもむいたトルコ政府の役人
が、アララト山の山腹で長さ約百メートルの木造船を見たと報告して以来、この地におけ
る方舟発見のニュースは枚挙にいとまがないという(南山『宇宙と地球最後の謎』廣済堂
)。また、黒沼健氏の『第二の世界物語』(新潮社)には、それより古い一九四〇年の発
見報告も紹介されている。しかし、それらのニュースは他の怪異譚(宇宙人遭遇や雪男目
撃など)と同様、ほとんど続報が続くことはなかった。

 一部のUFO研究者は、ノアが実は宇宙人であり、方舟は宇宙船だったなどと大真面目
で主張しているほどである(このあたり、ノアの神=ウルトラマンというアイデアの源泉
になっているのかも知れない)。

 さて、以上のように、ノアとアララト山とは非常に縁が深い。だから、ノアの神が祭ら
れるバラージの町で、アララト山が見えるというのは当然のことなのである。

隠れ里・シャンバラ

 さて、老人ばかりが住むバラージにあってチャータム一人だけは若く美しい。不老不死
の美女が治める幻の都は、西欧の秘境探検ロマンにしばしば現れる。チャータムもおそら
くR=ハガード『洞窟の女王』(一八八七)のヒロイン、アッシャやピエール=ブノア『
アトランティード』(一九一八)のアトランティス女王アンティネアなどと同じ、不死の
女王なのであろう。

 秘境探検ロマンの中には、不老不死に近い住人ばかりが住む町を舞台にした物語もある
。中国の桃原郷や日本の隠れ里伝説に通じる話だが、その代表的なものを挙げるとすれば
、それはジェイムズ=ヒルトンの『失われた地平線』(一九三三)だろう。その主人公が
迷い込む仙境シャングリラはチベットのはるか奥地にあった。『失われた地平線』はヒル
トンのもう一つの代表作『チップス先生さようなら』と共に映画化され、その大ヒットで
「シャングリラ」は理想境を意味する語として、英語の語彙にとりいれられた。このシャ
ングリラがバラージのモデルの一つとなっていることは間違いあるまい。だからこそ、ア
ントラーはヒマラヤ山脈の近くに現れるのである。

 だが、ヒルトンのシャングリラにも実はモデルがあった。それはヒマラヤ山中にあると
いう聖なる都市シャンバラの伝説である。

 一九二二年、ポーランド生まれの元鉱山技師フェルディナンド=オッセンドウスキーは
ニューヨークで一冊の本を発表した。その本は二年後にフランス語訳されるや、たちまち
ヨーロッパ中の話題となり、最初の一年だけで三十万部を売り切ったという。

 その題名は『獣・人・神』。オッセンドウスキーはロシアから亡命する途中、一時、モ
ンゴル白系ロシア軍将軍ウンゲルン=シュテルベルク男爵の幕領に迎えられていた。彼は
回想録を著し、このオカルト狂の独裁者の人となりを紹介しようとした。

 彼はその回想録を「神秘の神秘−世界の王」という最終章でしめくくった。オッセンド
ウスキーは幾人かのラマ僧やモンゴル人ガイドから地底王国アガルティの存在について聞
いたという。

 そこには、あらゆる智恵に通じ、地上のあらゆる人の心を操る世界の王がいる。ウンゲ
ルンはアガルティへの道を求め、二度にわたって捜索を行ったというのである。

 また、オッセンドウスキーに会ったフランスのオカルティスト、ルネ=ゲノンは、アガ
ルタの世界の王、アーサー王伝説の聖杯、聖書のノアの方舟に世界の中心(心臓)として
共通のシンボルを見出している(ゲノン『世界の王』田中義廣訳、平河出版社)。

『獣・人・神』がベストセラーになったちょうどその頃、ロシア生まれの画家・哲学者コ
ンスタンチン=ニコライ=レーリヒは、インド・モンゴル・チベットを巡る壮大な探検の
途上にあった。レーリヒはその旅の最中にしばしばアガルタ(オッセンドウスキーのアガ
ルティにあたる)の噂を聞いた。

 中でもチベットのラマユル・ヘミスで、あるブリヤート人ラマ僧から聞いた話は重要だ
った。それによるとアガルタの首都はシャンバラといわれ、世界の王はそこにいる。そし
て、シャンバラへの通路はラマ僧によって守られているというのである。

 レーリヒはシャンバラにたどりつくことはできなかったが、チベットの首都ラサで高僧
ツァ=リンポチェから、シャンバラの秘密についていろいろと教えを受け、その成果を一
九三〇年、『シャンバラ』と題してニューヨークで刊行した。

 こうして、オッセンドウスキーとレーリヒにより、ヒマラヤ山中に隠された地下王国ア
ガルタとその首都シャンバラの伝説は広く知られるようになった。ヒルトンの「シャング
リラ」がシャンバラのもじりであることは言うまでもない。

 この地底王国伝説は、地球空洞説(地球は稠密な天体ではなく内部が空っぽになってい
る、あるいは私たちの世界こそ地球の内側にあるという奇説)や、ナチス秘密基地がらみ
の陰謀論と結びつき、通俗オカルティズムのかっこうのテーマとなった。そして、今でも
『獣・人・神』と『シャンバラ』に導かれ、中央アジアに地底王国への入口を求めるオカ
ルティストは跡を絶たないのである。

 第二次世界大戦に終わりに近づいた一九四五年三月、シャンバラ伝説に新しいバリエー
ションが加わった。この月に創刊されたSF雑誌『アメージング=ストーリーズ』に、リ
チャード=シェイバーの「私はレムリアを忘れない」が掲載されたのである。

 シェイバーはこれを皮切りに、太古のレムリアとアトランチスの時代から地球に巣くう
邪悪な種族デロの暗躍をテーマとする一連の「シェイバー=ミステリー」を書き始めた。
面白いのは、シェイバーはそれらがすべて小説ではなく、実話だと主張していたことだ。
。彼は民族の頭脳の記憶に基づいて真実の歴史を書き続けたのだという。面白いのは同誌
創刊者レイモンド=パーマーが「シェイバー=ミステリー」を信じ、後にUFO研究家に
転身したことである。さて、シェイバーによると、デロはレムリアの高等種族が地球を去
った後、残された地底都市と技術を独占した。彼らはそれを駆使してジワジワと地表の人
間を苦しめ続けているのだという。また別に地底にはテロという温和な種族もいるが彼ら
はデロに圧迫されている。「シェイバー=ミステリー」は明らかに地下王国の世界の王と
いうシャンバラ伝説のテーマを、悪意をこめて裏読みしたものである。「シェイバー=ミ
ステリー」が実話かどうかはともかくとして、地底人という新手の怪物は後に多くのSF
作家の想像力を刺激することになる。

『ウルトラマン』第二二話の地底人が、この邪悪なデロの流れをくむものであることは間
違いなかろう。彼らはバラージと同じ根本から生じていたのである。

アガルタの原点

 さて、現代のチベットでは、いくらラマ僧に尋ねても、シャンバラ(弥勒仏の浄土とさ
れる)はともかく、アガルタの話を聞くことはないという。それもそのはずである。地底
王国アガルタは純粋に近代ヨーロッパ起源の概念なのだ。

 地下王国の話は十九世紀のオカルティストの間では広く知られたものだった。イギリス
の政治家・作家にしてオカルティスト、ブルワー=リットン卿(歴史小説『ポンペイ最後
の日』で有名)は、一八七一年、『来たるべき民族』という小説を発表している。

 それは万能のエネルギー・ブリルをあやつる地底人ブリルヤを描いたものであり、その
末尾は「地上の人類に対して無敵の破壊者となる彼らが、地上の現れる日の遅くならんこ
とを」という祈りと警告でしめくくられている。若き日のヒトラーはこの本を読み、ドイ
ツ民族こそ来るべきブリルヤとなるべき民族だと奮起したともいう(高橋良典監修『驚異
の地底王国アガルタ』廣済堂)。

『来るべき民族』は今でいうSFに分類されるべき小説だが、その異様なリアリティのた
めに、SFファンよりもむしろオカルティストの間で読みつがれていくことになる。

 また、神智学協会の創設者、ヘレナ=ブラバッキー夫人も一八七七年、『ベールをはが
れたイシス』という著書の中で、人類の指導者が住む中央アジアの美しい島について語り
、それは秘密の地下トンネルで全世界とつながっていると説いた。

 一八二二年、フランスのオカルティスト、アントワーヌ=ファーブル=ドリヴェは大著
『哲学的人類史』を世に問うた。それは紀元前一万二千年頃、インドを中心に世界を統一
した祭司王ラムの時代を中心に、人類発生から当代(ナポレオン時代)までの歴史を俯瞰
するという大胆な試みである。

 ドリヴェによると、人類が理想とすべき政治体制は、宗教的権力と政治権力の二権分立
による神政であり、それはラム帝国において実現されていた。そのラム帝国建国を語るも
のこそ古代インドの叙事詩『ラーマーヤナ』(ラーマ=ラムの物語)である。ところがラ
ム帝国の崩壊後、次々と現れる軍事的独裁者が歴史を動かすようになった。ナポレオンも
また、新手の軍事的独裁者の一人なのだ・・・

 十九世紀末、このドリヴェの妄想的世界史観に相乗りした男がいる。下級官吏から逆玉
で侯爵となった成り上がり貴族、サン=チーヴ=ダルヴェードルである。

 彼は『ユダヤ人の使命』(一八八四)『インドの使命』(一八八六)で、ドリヴェの世
界史観をほぼ全面的に受け入れ、しかも、ラム帝国は消滅したわけではなく、ヒマラヤの
山中から地下に潜って現在も継承されていると説いた。そして、サン=チーヴによると、
この現在も続くラム帝国の後継者こそアガルタに他ならないというのである。

 サン=チーヴは、人類の政治体制を、秩序と原則に基づく「シナーキー」と、無秩序な
暴力支配である「アナーキー」に二大別する。そして、現代はアナーキーの時代であり、
人類は滅亡へと向かいつつある。それを防ぐには、アガルタとの協力の下、ラム帝国のシ
ナーキーを地上に復興しなければならないというのである。なお、彼の代表作『インドの
使命』の日本語訳は平河出版社版『世界の王』に併せて収録されている。

『獣・人・神』の最終章がサン=チーヴの剽窃であるという指摘は、その刊行当時からあ
った。『獣・人・神』については、また同時代の探検家スウェン=ヘディンからも自著の
盗用があると避難されている。オッセンドウスキーの中央アジア行が事実だったとしても
、彼が既成の書物から得た情報で話をふくらませるクセがあったということは否めない。
つまり、オッセンドウスキーはサン=チーヴの生んだアガルタをさも中央アジア土着の伝
説であるかのように語り、レーリヒはそれをていねいにもチベット現地に持ち込んでしま
ったというわけである。

 むろん、『ウルトラマン』のスタッフはこうした地底王国伝説の前史を知っての上で「
バラージの青い石」や「地底破壊工作」を作ったわけではなかろう。しかし、だからとい
ってこうした詮索が無意味というわけではあるまい。深読みは、作者も気付かない作品世
界の深層を探るには欠かせない行為である。それどころか、この場合、逆に『ウルトラマ
ン』こそドリヴェ、サン=チーヴからシェイバーにいたる地下王国幻想の真層を探る鍵の
一つとなるかも知れないのである。

アリの王国

 オカルティストの夢想する地下王国、それが理想郷として描かれるにしろ、邪悪な悪の
帝国として描かれるにしろ、そこには一貫して流れるイメージがある。それはいずれも極
端な階層分化を伴うカースト制社会だということだ。違いといえば、そのカーストの頂点
に立つものが、偉大な世界の王か、邪悪なデロの王かということだけである。

 カースト制の確立した異世界、それを繰り返し描いた作家の一人にH=G=ウェルズが
いる。ウェルズの処女長編『タイムマシン』(一八九五)で、タイムトラヴェラーが訪れ
る八十万年後の世界、そこには機械文明の成果を独占する地中の食人族モロクと、モロク
の「食料」として飼育される温和なエロイの二つの人種がいた(このモロクとエロイは、
「シェイバー・ミステリー」のデロとテロにも影響を与えたと思われる)。

 この未来の階層社会は、一九〇一年の『月世界最初の人間』で月に移植され、さらに細
分化されて登場する。重力スクリーンで月世界に到達した発明家ケイバー、彼の出会った
月人たちは、訓練と外科手術で、階級や職業ごとにその体型まで変えてしまったカースト
制社会の住人だった。彼らはまた、地球のアリにそっくりな昆虫人間でもある。

 彼がこの階層社会のイメージをどこから得たのか、それをうかがわせる作品がある。そ
れは『タイムマシン』と同年に発表された短編「アリの帝国」だ。そこでは南米奥地で急
激に進化し、言語や道具の使用を覚えるにいたったアリの脅威が語られている。

「人間が野蛮な段階で停止していなかったと同じように、彼らもまたそこで停止していな
ければならない理由はない。人間が書物や記録によって知識をたくわえたのとちょうど同
じように、アリたちがやがて知識をたくわえ、武器を用いたり、大帝国を形成したり、計
画的組織的な戦争をしてのけたりするようになったとしたらどうだろう」(阿部知二訳、
『ウェルズSF傑作集=2』創元推理文庫)

 高度な社会を有する動物は人間だけではない。特にアリは、唯一、卵を生む能力を持っ
た女王を中心に、秩序だった階層社会を築いている。オカルティストの地底王国にモデル
を提供したのは、このアリの社会ではないだろうか。

 ここに奇妙な暗号がある。ドリヴェがラム帝国の建国史とみなした『ラーマーヤナ』、
それは古代インド、アヨーディア王国の王子ラーマと、南海の島ランカの王ラーヴァナの
凄惨な死闘を描いたものであり、そのクライマックスでは近代戦を思わせるような大量殺
戮の描写が続く。成立年代は紀元一世紀前後だが、そのモデルとなった事件はさらに太古
のことらしい。作者は伝説的な詩聖ヴァールミーキとされている。

 さて、その『ラーマーヤナ』の成立については次のような伝説がある。ヴァールミーキ
はかつて盗賊をなりわいとしていた。ところが、ある日、聖者から古代の王ラーマのこと
を聞かされたのをきっかけに改心し、ラーマの事蹟をさらに後世に伝えようと決意する。
 ヴァールミーキは何百年にもわたって瞑想を続け、その間に体にたかったアリはいつの
間にか大きなアリ塚を築いてしまった。そして、彼はそのアリ塚を崩して立ち上がると、
瞑想中にまとめた『ラーマーヤナ』を語り始めたというのである(河田清史『ラーマーヤ
ナ』上下巻、レグルス文庫)。

 この伝説によれば、『ラーマーヤナ』は古代の王の事蹟に関する物語であると共に、ア
リ塚の中で見た夢の物語でもあるということになる。言い換えれば、それはヴァールミー
キとアリの感応から生まれた、アリの国の物語かも知れないというわけである。

 オーストラリアの原住民アボリジニーは夢を現実に対するもう一つの世界と信じ、その
夢の中で砂漠のアリと交感する者さえあるという。このアボリジニーの世界観はヴェルナ
ー=ヘルツォーク監督の映画『緑の蟻の夢見るところ』でも語られたところである。そし
て、ヴァルミーキもまたアボリジニーのシャーマンと同様、夢の中でアリの国を訪れ、そ
の見聞から壮大な叙事詩を語っていったのではないか。

『ラーマーヤナ』で語られる無造作な大量死はたしかに擬人化された虫ケラの戦争を思わ
せる(この点、畏友・千歳竜彦氏の示唆による)。

 地下王国伝説の原点たるラム帝国、その建国史とされた『ラーマーヤナ』が実は擬人化
されたアリの物語だとすれば、それが地下に向かって広がるのも、高度な階層社会になっ
てしまうのもあたり前ではないか。

『ラーマーヤナ』は実はウルトラマンとも因縁がある。日タイ合作映画『ウルトラ6兄弟
vs怪獣軍団』(一九七五、日本公開は一九七九年)でウルトラマンと共演した白猿ハヌマ
ーン、彼はもともと『ラーマーヤナ』でラーマの同盟者として登場する、サルの国の王の
一人なのだ。

 かくして話は『ウルトラマン』に帰る。砂に埋もれ、巨大なアリジゴク(アントラー)
の脅威にさらされたバラージの町、それはまさしく孤立したアリの巣ではないか。この町
がチャータムという女王に治められていること、また町で崇拝されるノアの神=ウルトラ
マンの顔がアリにそっくりなのも、なにやら意味ありげである。チャータムは、バラージ
の町は幻の中に消えていく運命なのだと語る。科学特捜隊は砂漠をさまよううちに、アリ
との感応の時を過ごしたのではないか。そして、アリの巣で見た夢のイメージは、「地上
破壊工作」の地底人の世界にもくりかえし現れているのではないか。

 むろん、『ウルトラマン』のスタッフがアリのことを考えながら、「バラージの青い石
」と「地上破壊工作」を作ったわけではあるまい。しかし、彼らは、かつてアリの国にと
りつかれ、地底王国の伝説を生み出したオカルティストの夢想を追体験してしまったので
はないか。夢想家が生み出した強烈なイメージは、時代を越え、距離を越えて思わぬ形が
甦ることがある。これはそのほんの一例にすぎない。

『ウルトラマン』に限らず、あらゆる超現実的なテーマの作品は私たちにイメージの文化
史的連続性の存在を暗示しているのである。

 なお、シャンバラの名は昨今では、オウム真理教の出版物に現れる「日本シャンバラ化
計画」で世に知られた感がある。そう言えば、オウムのサティアン内にある一般信者の居
住施設がなにやらアリの巣穴のような印象を与えるのは偶然だろうか。



第八章 列車と洋館