蒸留酒の発見と、ウィスキーができるまで

偶然か奇跡か、錬金術師が見つけた「アクアヴィテ(生命の水)」

Whiskyは蒸留酒の一種である。麦芽や穀物を糖化、発酵させた後、樽の中で熟成させてできる酒である。
蒸留酒を見つけたのは錬金術師であるという話は有名である。錬金術師の仕事は卑金属から黄金を得る為に金属変成を行うというものである。このような酒の製造と全く関わりのない錬金術師がどうやって蒸留酒の製法を見つけたのだろうか。それは本当に偶然の産物であった。


それは少なくとも10世紀以前の話である。ある時、錬金術師が気まぐれに既存の醸造酒を彼らの仕事道具である蒸留器に入れてみると、それまで味わったことのない、素晴らしい味の液体ができあがった。錬金術師はその液体を不老不死の効果がある霊液と信じ、ラテン語で「アクアヴィテ(生命の水)」と呼んだ。これが蒸留酒の始まりである。
その後、錬金術師によって見つけられた蒸留酒の製法は、ヨーロッパ各地に広まり、同時にその共通語であるアクアヴィテが各地の言葉に訳され蒸留酒をさすようになった。この技術を穀物から作った蒸留酒に応用したのが、Whiskyの始まりである。


史上最初のウイスキーの記録はアイルランドの蒸留酒?

10世紀以前から蒸留酒が作られていたことは先に述べた。しかし、実際にウィスキーの蒸留がいつ頃から始められたのかは定かになっていない。ウィスキーが記録に初めて出現するのは12世紀に入ってからである。


最初の記録は1171年にイングランドのヘンリーU世の軍隊がアイルランドに侵攻したときの記録である。その記録によると、その地の住人たちが大麦の蒸留酒を飲んでいたという。この蒸留酒はゲール語で生命の水を意味する「ウースカ・ベーハ(uisge beatha)」または「ウスケボー(usquebaugh)」と呼ばれていた。このホームページの名「UISGE BEATHA」は、ここからつけさせてもらった。今日では、このアイルランドの住人たちが飲んでいた大麦の蒸留酒がウィスキーの元祖だといわれている。


スコッチウィスキーの本場、スコットランドにおけるウィスキーに関する最初の記録は1449年のこと。「スコットランド大蔵省記録」の中に「8ボル(古代スコットランドの計量法:1ボル=150kg強)のモルトを修道士ジョン・コーに与え、それでアクアヴィテを作らしむ」とある。従って、15世紀半ばにはスコットランドでもウィスキーの蒸留はおこなわれていたことになる。


実はウィスキーを発展させたのは「税金」

1725年、スコットランドでは「麦芽税」という税金が導入された。そして、1780年から90年代にかけては釜容量税を中心に増税が繰り返され、税金が50倍近くにも膨れ上がった。
当時、スコットランドのローランド地方に大規模な蒸留所が建てられたが、この蒸留所では麦芽の使用量を3分の1に減らして、未発芽の穀類を使用して麦芽税を節約した。さらに、釜容量税が導入されると蒸留釜の深さを3分の1に浅くし、蒸留回数を数十回に増やすことにより採算をとろうとした。そして、1830年以降発達した連続式蒸留器を積極的に採用した。このようにローランド地方では大規模な蒸留所を作ったためいろいろな手段で税金対策をした。その結果、おとなしい味わいのグレーンウィスキーに発展したのである。


一方、小規模な蒸留所は1774年以降小規模な蒸留釜が認められなくなったため、正規にウィスキーを作ることができなくなった。その結果、彼らのとった手段が密造である。彼らは密造するために蒸留所をハイランド地方の山奥に移転させた。その山奥で彼らは周辺の野山にピート(泥炭)を見つけだし、麦芽を乾燥させるための燃料として利用した。その結果、ウィスキーに爽やかな香味が加わるようになった。また、彼らはできあがったウィスキーを収税吏の目を逃れるためにシェリーの空樽に詰めて隠した。すると、ウィスキーは樽の中で熟成され、まろやかな味わいと琥珀色を持つようになった。これが後にモルトウィスキーとして完成することになる。


樽の中で熟成するという手法だが、これが始められたきっかけとして前述したもの以外に次のような説もある。それは、帆船に積まれたワインが熱帯の海を航海中に風味を増したという話を元に、シェリーの樽に詰めて熱帯の海での航海と同じ効果を出せるように熱い室に数ヶ月入れて熟成させたのが始まりだという説である。
私は収税吏の目から隠すためにシェリーの樽の中に入れた説のほうが真実に近いような気がする。何はともあれ、スコッチウィスキーの発展には、税金が関係していたのは事実である。

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