オアフ島一周ツアー:

朝8時にホテルの前に集合で、島内の一周ツアーに出発しました。途中4ヶ所ほど停まってお客さんを拾って総勢36人プラス、ガイド、ドライバー、カメラマンの一行39人でした。ドライバはハワイ人の女性、ガイドは「今年の年女です」という女性、カメラマンは日系4世の若い男性でした。ワイメアの先で大きな石が道路をふさいでしまったということで、時計と反対周りに島を一周する予定が変更になり、まず真珠湾に行きました。こういうツアーの宿命で、見学時間は15分ほどしかありません。アリゾナ記念館にもいけず、記録映画の上映を見ることもできないで駆け足で展示物を見てバスに戻りました。
 

次はドール・パイナップル・プランテーションです。ここでも15分ほどで、ジュースを飲んでお手洗いを使っておしまいです。パイナップルのなっている様子は走る車の窓から眺めるだけで、なんとか2つ3つ見ることができただけでした。私の隣に座った人はとうとうなっているさまは見られなかったので、私が見たものを言葉で説明してあげました。

パイナップル畑の間を抜けると前方には美しい海が広がります。しばらくは海岸線を左に見て走り、ワイメアの植物園に到着しました。ここは先住ハワイアンが済んでいたところで、その家なども復元されています。また、世界中の絶滅寸前の熱帯植物が集められ、美しい花が咲き誇っています。バスに乗り換えて園内を巡り、一番奥にあるワイメアの滝ではダイビング・ショーが行われていました。20メートルほどの高さから二人の男性が何度も飛び込みそのたびに喝采をあびていました。

車窓からのパイナップル畑

ダイビング・ショウの説明は極めて流暢な(つまり、アメリカ人向けの説明だけ)英語だったので、あまりよく(というか、ほとんど)わかりませんでした。何でもダイビングをするのはとても勇敢な人たちで(これは聞かなくてもわかります)、メダリオンとか言っていたからどこかでメダルをとった飛び込みの選手だった人たちがこのアトラクションをやっているのでしょうか....。ただでさえ聞き取りにくいところに持ってきて、高さもフィートで言うので見たところ20メートルくらいかなァということしかわかりません。
 

先住民族の家
ダイビング・ショウの前にフラダンス

ここで、バイキング(おとといの紅屋飯店でもそうだったのですが、バイキングは英語ではAll you can eatというようですが、日本人向けにバイキングといってくれます)の昼食を取り、もときた道を引き返してH3に入り、北上して東側の海岸線に出ました。ここで海岸線を右に見て北上し、途中黒珊瑚の見分け方を説明するというショップにより、散々客引きに引っ張られてみな「危うく買わされそうになった、ふうー」と言ってバスに乗り込んできました。次はセネター・フォンズ・プランテーションというところで、レイを作りました。ここで、父は早くできたと誉められて気をよくしていました。実際、普段は針などを持った事のない父なのですが、どうして私や母より早く作れたのか不思議です。

大きな石が道路をふさぐというアクシデントがなければこの先のポリネシアン文化センターに行く予定だったのですが、今日のツアーはここで引き返し、ハナウマ湾とダイアモンドヘッドの中を見学して終わりだと言うことです。私たちの今日の一番の楽しみはポリネシア文化センターとモルモン寺院の見学だったのですが、残念です。
 

お魚と泳げるハナウマ湾
東側から見たダイヤモンドヘッド

帰りはカラカウア通りでバスを降ろしてもらいました。ちょっとだけショッピングをしようと思ったのですが、父も母も疲れきっていたので和食の店を探して夕食をとることにしました。ハワイの和食は高いと聞いていたのですが、私たちが普通に食べるものなどは日本同じくらいの値段で、味噌汁付きのちらし寿司が18ドルくらいで米も刺身も期待以上の味で、父も母もとても喜んでいました。

ビデオ撮影:

ツアーのメンバーにカメラマンと書きましたが、こういうツアーの通例としてビデオカメラマンが同行し撮影してくれます。1日撮影し、その日のうちにホテルに届けてくれると言うものです。父はいつも旅行の時にはビデオカメラを持っていって撮影し、帰ってきてからみなに見せるのを楽しみにしているのですが、今回は「もう持っていかないぞ」とちょっとカメラだけを持ってきていました。だから、今日のビデオは欲しがるのではないかとたずねて見ると、はっきりとは言わないのですがなんとなく欲しそうなそぶりを見せます。100ドルか11000円と決して安くはないのですが、「記念になるからな」というのです。私はのんびり旅をしているのに停まる場所ごとにカメラマンが「アローハ」と手を振るのに笑って答えなくてはならいことに不満を感じていましたが、仕方ないあまり不機嫌な顔をするのもなんだからと我慢してちょっとだけ愛想笑いをしたりしました。

カメラマンの方は日系4世で、たどたどしい日本語で一生懸命仕事をしています。最後に何人かの乗客がビデオを買うことになったのですが、とてもうれしそうに、それも昔の日本人がそうだったように、ちょっとはにかみながらお礼を言っていました。前回も感じたのですが、海外で会う日系の方たちは私たちがすっかり忘れてしまった尊敬の心や謙譲の態度をそのまま持っているような気がします。

差別用語:

私たちが忘れてしまった「心」を持っているとともに、皆さんはとてもきれいな日本語を話します。ハワイに行って自分の日本語の汚なさをちょっぴり反省しました。ただひとつ面白いのは先住民族の人たちのことを、いまだに「クロンボ」とか「土人」と呼ぶことです。これは7年前と今回、両方とも60代から70代のガイドさんの口から聞いた言葉です。私たちは差別用語であるということからその言葉を使わなくなって久しいのですが、礼儀ただしさといっしょに昔がそのまま生きていることに驚かされます。この言い方からも感じられるように、ガイドさんたちは時折先住民族の上の立場にでもたっているような話し振りをすることがあります。日本人はさとうきび畑の労働者として明治元年にハワイに渡ったのが最初で、支配階級としていったのではないはずなのに....。たまたま私が出会ったガイドさんの性格からくるものなのでしょうか。

明日は6時50分にホテルの前に迎えのバスが来ます。飛行機の出発時間は10時ちょうどで、成田到着は15日の13時55分です。


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