ホームステイの準備
明日から、ホームステイと言うことで、サモア語のレッスン後、事務所でブリーフィング。
行き先を書いた紙と謝礼の200タラの小切手と手紙などを受け取る。
僕が一番遠くなのを地図上でしっかり確認。 バスで1時間ほどって言ってたけど、ホントかねぇ...。
明日は、早いし、とっとと準備して寝るべぇ。
ANZAK Day
 昨日は、大雨で予定していた、ビーチには行けませんでしたが、サモア語のレッスンの後、Eluの村へ遊びに行ってきました。事の顛末は、サモアン・スペシャルへ。

 さて、今日は、ANZAK Dayで休日です。
サモアでは、休日(特に日曜)は、店が開いてません。 開いているのは、事務所の近くのチャイニーズ系の雑貨屋(パンとかも売ってる)とサモアに不釣合いなマクドナルド程度です。
それと、やっぱり中国系のスーパーが国立病院の近くにあるようです。

 泳ぎに行くと、全長30センチ位あるのが、ゆうゆうと目の前を泳いでるのが見れます。
ナマコなら素手で捕まえられるんだけどねぇ...。
そう言えば、先日、海に行った時にヨシケンが巻貝を拾ったのを見て僕も触ろうとしたら、慌てて静止されてしまいました。
彼曰く、毒を持った貝で、神経毒を含んだ針を出すそうで、素手で触ると危なく、最悪、死に至るとか。
彼は、ちゃんと軍手をしてました。
手順を守らせる人
 レッスンが終わった後、ホームステイのオリエンテーションなど。
ホームステイは、僕が一番遠い場所に行くことになってました。
サモアには、ウポル島とサバイ島という大きな島があって、首都はウポル島にあります。
ホームステイは、田舎のサバイ島であって、サバイ島の港から最も遠い場所が僕のホームステイ先です。
今週の土曜日(日本では日曜)から来週の金曜日まで一週間です。
この間、インターネットに繋ぐことが出来ない(そんな環境ではない)状況です。

 今日の夜は、シニアボランティアの藤田さんと原さんの送別会がホテルで行われてるのですが、私と教授、ミズキは不参加。
 藤田さんと言うのは、元JICAの総裁。 ただ、色々周りの話を聞くとちょっと釈然としないものがあって、僕としては、素直に藤田さんの公の話が聞けなくなってます。
と、言うのが、例えば、シニアボランティアになったこと自体は良いのだけれど、定年前に省内で話を進めるという、言わば、一般受験ではなく、本来規則を守らせる側が、手順を無視して、進めてしまうと言うのに、筋が通ってないと思ってしまう訳です。 昔、カーター(だったと思う)元大統領夫妻が、米国のピースコ(Peace Corp:平和部隊)というJOCVとSVを足したようなところに現役引退後応募したなんて話しがありましたが...。
 なので、サモアのパーティーの席上で陳情すると機材が入るとかもあったりしで、事務所側にしてみれば、手順を無視して、頭越しに話を進められてしまうので、それはそれで困った存在ではないかと、僕なんかは思ってしまいます。 時間がかかるんだったら、その仕組みや手順を変えることが、トップの(少なくともトップにいた人の)やるべきことで、手順を守らせるのが職責でしょう! とか思うんですよ。
 そんな奇麗事じゃ物事は片付かない、って声が聞こえてきそうですが、それなりの地位にある人が、正論を吐かずに曲げちゃってどうすんの! ってのが、私の感覚です。なお、ただのオジサンとして接する分には、至極良い人であることは、付け加えておきます。
 まぁ、そんなこんなと、会費が30タラ+αと高いと感じたので、不参加としたのでした。
サモアの村の話し(追加)
 今日から、また、新たな一週間がスタート。
で、サモア語のレッスンの後、泳ぎに行ってきました。(笑)
自前のシュノーケリング機材が届いたので、それを試す意味もあったんだけどね。
シマアジ系の美味しそうな魚が泳いでいるのを見るとなんとか獲れないものかと思うんだけど、素手じゃね...。

 先週末遊びに行ったEluの村が戦士の村として有名と書いたのですが、100年ちょっと前までは、村同士で結構戦ってたようです。
今では、村のラグビーチームが有名のようで、土曜日も皆でラジオの中継を聞いてました。サモア語なので、さっぱり判らなかったけど、兄弟が一喜一憂してるので、雰囲気だけは判ったけどね。

 食事は、全部手で食べる訳ではなく、普段の食事では、スプーンを使います。
ウム料理は手で食べるけどね。
鶏肉はホントに美味しい。 マトンは普通(輸入物だから)。
野菜はサモアの街中では、なかなか食べられないから、美味しい!

 まぁ、サモア人が友人を歓待するのには、凄く力を入れてるね。
それから、食事のサービスは、10才過ぎの子供の仕事で、配膳、お茶のサービスに加え、皿の上のハエを団扇で追うのも子供の仕事です。
 日曜日のウム料理で、僕の前でハエを追っていた女の子は、小学生5年生くらいでしょうか。
食べる順番も、ゲストと大人が先で、年の順に残り物を食べます。
量が少ない希少な物だと、ゲスト優先で、残りを年の順。
サモアでは、何をするにも大人が子供をアゴで使ってます。
だから、僕らが接待されていると、ファレの横で、10歳前半の男の子が、いつも控えてて、例えば、トイレに行きたいとか言うとトイレまで案内してくれたりします。
その点では、日本の子供は大切にされてるね。(笑)
カバの儀式とかあれこれ
今日のカバの儀式に関しては、サモアン・スペシャルの「初めてのカバ」に記載。

カバの儀式による歓迎会が済んだ後に、JICA関係者に対する新規隊員の自己紹介をそのまま立食形式で行いました。
オニギリとか用意して貰っており、日本を離れて2週間近くしか経ってないのに、オニギリをとても美味しく感じました。
さて、この立食パーティーでバイリマ(サモアで作られているビール)を2本飲んだ為、結構酔っ払って2時からの試験勉強も出来ない状態で、机に突っ伏して寝てしまっており、起きたのが、2時5分前。
まぁ、前日にはちゃんと勉強してましたから、大丈夫でしょうということで、臨みましたが、筆記試験はほぼOK。 インタビューも問題なくこなして、4時となりました。

この後、サモア語の先生のEluの村へ移動。 この顛末は、サモアン・スペシャルの「初めてのサモアの村」に記載。
まじめに試験勉強するっきゃない
 今日は、朝から土砂降りの雨。昼になっても止まず、事務所の隣の川は氾濫しそう。
で、外にも出ずに明日の試験に備えて勉強するしかないと。
 パソコン部屋での勉強風景
 一部から、宴会以外はないのかって、突っ込みがあったけど、昼間はサモア語のレッスンを受けているので、夜は宴会以外何もしてないってのが、正しいでしょ? (笑)
 先夜の同窓会では、僕が働くことになる職場からも一人"Tala"という人が参加してて、色々話を聞けましたし、飲んだくれてる訳ではないのです。念のため。
今日も酔っ払いモード
と、言うのも、今晩は、JICAオフィスの駐車場で日本に研修に行ったことがあるサモア人を主体として結成されている「サモア同窓会」の会合が開かれて、そこで、ビールばかりたらふく飲んだんです。
で、これ以外は、大人しくしてます。(笑)
しかし、ビール以外に酒はないのかいな...。

そうそう、掲示板の書き込みによると、メキシコの隊員は、早速、拳銃をちらつかされる目にあったとか...。それに比べるとサモアは天国だなぁ...。
今日は大人しく
今日は昨日と変って大人しく、と、言いながら、夕方、JICA事務所のネットワークの設定の相談に乗って、ちょっと色々やってたら8時近くになり、職員の人に食事(+ビール2本)を奢って貰ったりもしてました。(笑)

そう言えば、マンゴーは、まだ、野菜市場でしか見てないなぁ。
こっちのバナナは、ベイビー・バナナか、青いままで食べるバナナ。
ベイビー・バナナは、とってもスイート。
青いバナナは、果物と言うよりも野菜。
まるで、お芋のような食感で、甘くもありませんでした。 食堂で、カレー&ライスのライスの替わりにバナナってのがあったので試すと、果物じゃなくて、穀物って感じでした。
一人目がダウン
今日の朝一で、僕が勤めることになるサモア・コミュニケーションズに挨拶に行ってきました。
部長クラスの人がニュージーランド人で、最初は、まったく英語が聞き取れなくて焦りましたけど...。
残念ながら、僕の直接の上司になる課長クラスの人がいなかったのですが、一緒に働くことになる何人かには挨拶してきました。
しかし、冷房効かせ過ぎ! スーツ着てても寒かったもんなぁ。

さて、今日は、とうとう一人熱を出してダウンしてしまいました。
駒ヶ根の時と同様に最初に倒れたのは、ツヨシ。
ようやく、熱は下がったようですが、昏々と寝てます。
で、元気な僕はと言うと、また、サモア語のレッスンの後にパロロ・ディープに泳ぎに行ってきました。今日は、珊瑚に群がる数百という数の黄色に黒縞の魚の群れや、ムラサキ・ヒトデ、キンメに似た魚、巨大(4倍くらい)な馬糞ウニの仲間(持って帰って食べた!)、アジ系の魚などなど、また、新しい発見がありました。
夜は、JICAの職員の人達とビールを飲んだ後、更に"Coast"というトロピカル・バーのようなところで、ビールとフィッシュ&チップス、チキン・ウイングなどを食べて帰って来たのでした。
サモアのお葬式
今日の昼、サモアで初めてお葬式に参列。
サモア語を習っている先生 Elu が、教会でピアノ演奏と合唱指揮をやってるのですが、お昼休みにこれから教会に行かなければならないけど一緒に行くかいと聞くので、5人ほどくっ付いて行って来ました。
教会は、村に一つづつくらいあるらようで、葬式では、西部劇で見るような祭壇に覆いがかけられた棺桶を置いて、牧師さんが話(サモア語で話をするのでさっぱりでしたけど)をして、合間に皆で賛美歌を歌います。
この賛美歌がとっても凄い! ちゃんと混声四部合唱になってて、ちゃんとハモってる。 それも、楽譜はなくて、歌詞カードだけで歌ってる! びっくりしました、ハイ。
最後にお供え物の披露とマタイ(酋長)からの挨拶と喪主らしき人の挨拶があって終わりでした。昼休みだったので、僅か1時間の式。
で、サモアの人達は、IAPANIが来てくれてありがとうという感じで僕らを送ってくれたのでした。
海洋安全講座の日
 朝8:30から約1時間強、まず、地元のダイバーショップのおじさんFouaによるサモアの海洋安全に関する座学。
このおじさんは、トンガ生まれの50代でガッチリした体格。
一人目の息子を海洋事故で無くしてからインストラクターの道に入ったそうです。
自身は、元ラガーマンでニュージーランドに居た時は、オールブラックスジュニア(世界最強のラグビーチームの二軍)に所属していたといいますから、相当なもの。
ダイバーとしても太平洋中の海に潜ったと言います。
 サモアは、島の周りを珊瑚礁に囲まれており、下げ潮のときには、珊瑚礁の水路はもの凄い潮の勢いとなり、簡単に外洋に流されてしまうのでどうしたら良いかなどなどや、サモアの危険な海洋生物についての講義。
ボートにて真中左が、Fouaで、右が息子さん。
 その後、彼のショップのボートで海に出て、まず、ボートからの入水方法の実技。
ジャイアント・ステップ・エントリーと頭からの入水。
ミズキとヨシケンと教授は、ダイビングの経験者なので、見本役。
ツヨシは、北海道出身で去年泳ぎを習ったそうで、初心者。
 マスクも何も付けずに練習し、その後に、フィンと水中眼鏡、シュノーケルを付けて練習。
練習した場所は、珊瑚礁の外側直ぐで、水深は、5メートルもないくらい。
久しぶりのシュノーケリングで、最初はおっかなビックリだったけど、直ぐに以前の勘を取り戻して、楽しめました。
 でも、耳抜きが上手くできなくて、深くは潜れない...。
その後は、ボート上でランチ(フランスパンのサンドイッチ)を取りながら移動し、Fouaが、ロビンソン・クルーソーの島(作者のスチーブンソンがサモアに住んでいた)と呼ぶ、Ediの島へ。
島と言っても、本島からちょっと離れただけのところなんだけどね。
リーフを出たところ
 そこで、サモアン・カヤック(ボートの左側に棒が張り出してある。例の南海の島の風景で良く見る
タイプの手漕ぎボート)を試してみたり、シュノーケリングで泳ぎ回ったり。
 ここでは、ムラサキウニが白髪になったようなウニ(ただし、食べられない)や、珊瑚を食べるオニヒトデなどが見れました。
 そして、たっぷり遊んだ後、事務所に帰って来たのでした。
楽しくて、心地よく疲れましたねぇ。
日焼け除けにTシャツを着て泳いでたので、背中は大丈夫だけど、その他は、結構焼けたなぁ。
何気にパニック
今日は、1日サモア語の研修の後、4時頃からパロロ・ディープに泳ぎに。
今日は、前の隊員が置いていったシュノーケル・セットを持って行ったので、思う存分、潜って、トロピカルなお魚さんをたっぷり見ることが出来ました。
黒と黄色の縞々や、青い小さな魚など色々と見れます。それと黒いナマコも。
1時間ほど楽しんだ後、戻り、その後は、僕の前任者で今は国連ボランティアでサモアに来ている大魔王さんに連れられて皆でオカ料理を食べに。
オカ料理とは、ココナツミルクに浸したマグロの刺身とキュウリなどの野菜が一緒に入っているもので
ちょっとピリカラ風味でとても美味しかった。
で、今、ドミに帰って来ると、大事件が発生してました!!!
多分、雷の影響だと思うけど、急激な電圧の影響で、ミズキの変圧器が煙を噴き、ケンタの変圧器は死に、冷蔵庫も死に、TVにビデオも死に、とクーラー、洗濯機、乾燥機と照明以外は、電化製品が
ほとんど全滅!!! 今、右往左往してます。
特に冷蔵庫が死んだのが痛い! さらに、僕が夕方に買ってきた牛乳のパックのどこかに穴があいてたらしく、牛乳が漏れてるし...。

サモア語レッスン開始
 今日からサモア語のレッスンがスタート。
先生は、米国平和部隊でサモア語を教えていたというサモア人のElu。
今日は、母音と子音の発音。受け答えに使う用語などなど盛り沢山。
午前8:30からランチタイムを挟んで3:30まで、みっちり。
 今日は昼休みに"Le Samoa"という現地のインターネットプロバイダの事務所にダイアルアップアカウントの申請に行く。
昨日予め申込書を貰っており、書き込んで持って行っただけ。
初期費用が税込み55タラで月々の基本料金はなしで完全従量制。メールだけなら安い。
でも、インターネット電話はしばらくは無理かなぁ...。
 もう一つの"Samoa.ws"は、初期費用なしの基本料金30タラ(15時間まで)。
サモア語のレッスン後、さっそく接続して確認。結構快適に繋がる。
 夕食は、歩いて5分程度のところにある多分サモアで唯一のピザ屋さんで。
7人でラージサイズ2枚で十分。結構、美味しかったのだ。
早速、習いたてのサモア語を試したけど、結構通じて嬉しかったね。
ピザ屋さんにて

活動開始
 今日も朝からオリエンテーション。 主に安全管理について。
今日の昼食は、先輩隊員に教えてもらったカレー屋。
3.6タラでフライド・フィッシュ(マグロ)付きのカレーを食す。
昔懐かしい味。 昭和30年代の日本のカレールーをベースに作ったような味。
 午後は、現地採用のサモア人と結婚した日本人の女性によるサモアの一般事情とサモア人と結婚したオーストラリア人の女性によるJICAの広報活動などの紹介(日本語がとても上手い)。
3時半に終わった後、ようやく海を目指す。
 Palolo Deep と呼ばれる事務所から歩いて20分ほどのところにLeaf edge (珊瑚礁の切れ目)で急に深くなっているところで有名な場所があり、そこを探しに出かけた。
 歩き回った挙句に発見。 2タラを払ってビーチに入る。
客はヨーロピアンの家族が二組のみ。 海に入ると暖かく、心地よい。
満潮時だったが遠浅でDeepまで胸の高さほどしか深さがない。
水中眼鏡とか用意して行かなかったので、良く見えなかったが、ゴーグルを借りてちょっとみるとトロピカルなお魚さんが一杯。
途中でスコールとかあったけど、楽しめた。
 久しぶりに泳いで疲れたので、この日は近所の雑貨屋でパンとビールを買って夕食代わりとする。
それから、ようやくTVのアンテナラインを見つけたので、TVを見れるようにした。BBCとかABCなどが入る。ローカル放送は、1局だけで、主にサモア語で放送されているので、さっぱり判らず。
二度目の4月9日
 朝9時過ぎに起床。 8時40分に起きようとは努力するも無駄に終わる。
朝飯に食パン(くるみパン)と牛乳にオレンジジュースで済ませる。
10時から、オリエンテーション開始。
職員の紹介の後、ANZ銀行に歩いて向かう。 案内してくれるたのは、現地スタッフのフェロリニだったと思う。(まだ、ちゃんと名前を憶えられない)
 窓口で口座開設用の申請用紙を貰い、書き込む。 日本の銀行と同じようにキュー用の番号札を出す機械が置いてあってビックリ。
自分の番号が呼ばれると窓口に行って口座開設の手続きを行う。
 キャッシュが必要で、僕はUS$しか持っていなかったので、US$で700ドル預け入れ。1タラ=0.3009ドルで換金し、預金。 通帳はなしで、小切手帖のような冊子を貰う。 表紙に口座番号が書いてあって、中に小切手のような引出し申請用のフォームと預け入れ用のフォームが綴じてある。
まぁ、3週間後にカードが出来るまでも使うことはないでしょう。
 一旦銀行から戻って、オリエンテーションの続きを1時間行った後、ランチへ出かける。 鍋島さんに案内されて、小さな食堂へ。食堂の中には、"Irish ???? ????"とか書いた横断幕があったから、オーナーがアイルランド人かも。
 ここで、カレー&ライスを食す。この味は気に入ったかな。 鍋島さんの奢り(それとも経費?)。
 その後、皆と別れて、ドルを両替に。 なにせ、タラを全く持ってなかったから。
レートは、銀行に比べてちょっと悪く1タラ=0.3012ドル。 だけど、まぁ、誤差の範囲だね。 100ドル分を両替。
 午後は、引き続きオリエンテーション。そして、3時から外務省人事官に対する表敬訪問。
スーツに着替えて歩いて出かける。 なんせ、JICAオフィスから歩いて5分とかからない...。 と言うか街が小さい...。
その後、13−1次隊の現役隊員であるキョウコちゃんによる隊員連絡所に関するオリエンテーション。 街中のマーケットなども案内して貰う。
 そして、夕方事務所に一旦戻ったところで、現役隊員のうち、任国外旅行に出かけた(空港で一瞬遭遇)マイコ姉を除く、ヨーコちゃん、サッちゃんとキョウコちゃんの3人と一緒に食事に出かける。  場所は、事務所の近くのこじゃれた飲み屋(?)。 ビールを飲んで、タコスを食べ、
フィッシュ&チップスを食べ、ジントニックを飲む。 8時半頃解散し、結構、酔っ払ったので、僕とツヨシと瑞樹は事務所に帰宅。 他の男5人は、どうやら次の店に繰り出したらしい...。
 この日は、酔っ払って、気持ち良く寝ることが出来たのでした。
飲んだくれた男達
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