えーと、大した事書いてないですが、今年最後の更新になりそうだ。このようなつまらない駄文にお付合いくださいましてありがとうございました。
もう少々マシな文章を書けるように精進するつもりですので、来年もまたご来訪いただけると幸いです。
年賀状を作成する。うむ少し余ったな。欲しい人はメールしてください。なんか不毛な感じだが、ミノタウロスっぽい絵を見たい人はどうぞ。年を明けたら gif にでもして、公開しましょうか。
某所でミーティング。
メーラーとしてBecky!を試してみる。なかなか使い勝手が良いようだ。複数のメールボックスを持つ人に便利な機能があって良い。
[ANIMAL INDEX]
今月ムーンライダースの新譜が発売されたが、それはほとんど聴いていない。代りに「ANIMAL INDEX」と「夏の日のオーガズム」ばかり聴いている。12 月は体調を崩して集中力を欠き、十分な仕事もできなかったが、その分考える時間がたくさんあった。ここ数年「このままでいいのか?」という漠然とした不安を持つようになっていたが、しばらくぶりに再燃したようだ。忙しいときはそれどころではないのだろう。(心が亡ぶと書いて忙しいと読みます。お説教風)
そんな不安な心に触れるのは「ANIMAL INDEX」の「悲しい気持ち」や「歩いて、車で、スプートニクで」や「今すぐ君をぶっとばせ」なのだ。たぶんムーンライダーズも行き詰まりを感じていた頃の作品なのであろう、そこには苦悩と救いと生きる気力が感じられる。
私にとってムーンライダースのレコードは、メンバーがレコーディングした歳に近づくと、印象がまた違ってくる。どちらも 10 年以上前のレコーディングだが、現在一番心に響くのだ。最近のアルバムも(他の以前の作品に比べて)今はあまり好きになれないが、40 歳近づく頃に聴くのが楽しみである。
また忙しくなればこんな気持ちを忘れてしまい、またしばらくすると思い出すのだろうか?しかし歳は増える一方だ。自分で可能性を狭めるつもりはないが、何か大きくチャレンジするのなら、タイムリミットかもしれない。
[カラオケ大会]
職場は本日の午前中まで。9 連休であるが別に旅行の計画などないのでのんびりするつもりである。
午後から高田馬場で会議、宴会、カラオケ大会をハシゴする。この宴会は数年来の恒例となっている行事であり、幅広い分野で活躍されている方の話を聴けるたいへん貴重な機会である。
で宴会後のカラオケ大会であるが、オジサマ方は英語の曲を中心に選曲されていたが、どの曲もいい曲が多い。すべてはわからないが、プラターズやニール=セダカ、サイモン & ガーファンクル、エルビス=プレスリーなど、さすが時代の中で残った曲というところだろう。
20 代のグループと、40 代以上のグループに大別できたのだが、20 代グループは関係なくイエローモンキーやシャ乱 Q など最近の曲を歌っていたが、40 代以上グループには当然のごとく不評だ。私は年少の方だが、やはり 20 代グループの歌う曲は、ビート中心でメロディの組み立てや歌詞は軽視されているような気がするし、サビの前で安易に転調するものも多い。このごろはカラオケ人気でミリオンセラーも多いが、10 年後 20 年後歌い継がれているのだろうか?
なーんちゃって。ちょっとお行儀の良い予定調和的なコンメンだな。自分で書いてていやになってきた。そんなわけで、ワシはオジサマ達にもわかる曲を歌うのだった。アリスとかチューリップとかビリージョエルとかである。それにムーンライダースの「火の玉ボーイ」が入っていたので歌った。(当たり前だが)誰一人として知らなかったが、ジャズやフュージョン的な曲調に、オジサマ達の評判も悪くなかった。「日本人にも、こんな曲を歌うのがいるのか」だって。
ところで数少ない若手で電気グルーブの石野卓球似の青年、結城君の選曲は少女的なかわいいにはちょっと脱力した。工藤静香や太田裕美や今井美樹を歌うんだもの。彼の勤務している会社のページはこちら。おぉ同じ AIX ではないか。
[ダンシング・イン・ザ・ストリート]
今週は NHK の深夜番組で英 BBC 製作のダンシング・イン・ザ・ストリートを堪能した。ロックの歴史をたどるドキュメンタリー的な番組で、深夜零時頃から 1 回 45 分ほど、月曜日から金曜日まで 5 回分放映された。
黒人差別の中からブルースやモータウンサウンドが生まれ、ビートルズが登場するあたりまでの話が中心だった。(それ以降の番組もあるようだが放映されいない。)
黒人音楽の変遷や、ボブ=デュランの孤高の戦い、ジミ=ヘンドリックスやヤードバーズを中心としたギターリストの歴史などが興味深い。(ところで、エリック=クラプトンへのインタビュー時のテロップに「元ヤードバーズ」と書いたあったのにはちょっと笑える。)
5 回目の最後はレッドツェッペリンの登場だったが、メロディの美しさや歌詞の持つ響きが失われ、ビートを中心としたものに変化しているのは、少々惜しい気もする。もちろんレッドツェッペリンも悪くないが、モータウンやソウル、フォークロックの素朴さも良い。番組を見てオーティス=レディングやバーズの CD が欲しくなった。
しかし 6 回以降の放映が 3/24 からというのは納得いかない。なぜ連続して放映しないのか?'97 年から NHK も 24 時間放送をするというのだから、ちょうど良い題材だと思うのだが。もしかして、まだ英国でも 6 回以降は放送されていないのか?
[近況]
ちょっと、更新をサボっておりました。
日経 MIX 応答せず。トラブルか?
風邪はほぼ治るが油断は禁物だ。結局 3 週間かかっていたことになる。皆様もお気を付けめされ。
お客様のところでケーキをいただく。たいへん美味しゅうございました。
(なんとなく、古の昔の武士の侍風の文体でござる。)
[出張キャンセル]
大阪一泊の出張がキャンセルされてしまった。12/25 午前中のデモンストレーションと製品説明の予定だったため、本日夕方に新幹線で移動し、明日の午後簡単な会議の後に帰ってくるつもりだった。年明けになる模様であり、デモ用の器材は大阪で年を越すことになる。
今回は比較的楽なスケジュールだったのだが、最近の大阪出張は日帰りがほとんどで、なかなか大変なのだ。新幹線は朝 6:00 には東京を発つし、夜は 9:00 過ぎまで帰りの便がある。おかげで、午前と午後でスケジュールがびっしり入り、くたくたになることもあった。(便利になることと、 楽をできることは別だという例だな。)
しかし出張は嫌いではない。新幹線や飛行機に乗っている間は、勤務時間中であっても、本を読んでもよいし、寝ていても良いからだ。(勤務時間内でも好きにしているという話もあるが...) ホテルに泊っても、やることがないので、集中して本を読んだり、ボケっとしていられる。
現地の人々は、気を使って酒を飲みに連れていってくれたりもするが、放っておかれる方がありがたかったりする。(こちらも多少なりとも気を使うし、中央が地方の馳走になるのは官々接待の様で好きになれない。)
ホテルや新幹線の中だと読書が進むということは、いかに自分の部屋は気が散っているかということだろう。テレビを見てしまったり、Web や BBS でだらだらしたり、ゲームをしたりとまったく集中できない。在宅勤務が許可されたとしても、私のような根性無しには勤まりそうもない。誘惑のない仕事専用の部屋が必要だな。(あってもダメかもしれないが...)
[TV]
年末は NHK の深夜番組が面白そうだ。数学や統計を題材とした「脳ミソの迷宮」、ロックの歴史をたどる「ダンシング・インザストリート」はチェックするべし。
またルーツの再放送もやっている。小生はチラッとしか見ていないが、TNG のラフォージことレヴァー・バートンがクンタ・キンテの少年期役として出ている。TNG ファン一度見るべし。
[XTC]
キューピー 1/2 の CM ソングは、XTC の MAYER OF SIMPLETON のカバーと思われる。この原曲を含む ORANGES AND LEMONS や次のノンサッチは XTC 初心者にもお薦めだ。また XTC はシングルの出来が非常に良いので、ベスト版から入るのも良いだろう。ビート感の強いのが好みなら BLACK SEA も良い。
XTC 情報は西松二世さんのページやKNEO さんのページもご覧あれ。
[97年の予測]
Delphi 2.0 Q&A 120 選と、週刊ダイヤモンドの「1997 総予測」をななめ読み。
Delphi 2.0 Q&A 120 選は前の Delphi 1.0 版からの改訂版で、重複する内容も多い。また、なぜかイラストが女性に変更されている。前回のイラストの方が好きなのだが。
[NetScape Communicator PR 1]
5MB 近くのファイルをダウンロードする。IE 風のツールバーはあまり好きになれないし、ツールバーの「Advanced」がアイコンだけの表示で、文字だけの表示がなくなったのは改悪だろう。まだ安定していないようなので、焦ってダウンロードする必要はなさそう。
[ざべ、Windows NT 4.0]
SD,DDJ,The BASIC を購入する。「ざべ」は新雑誌と見れば、まあまあの出来だろうが、過去の「ざべ」とはまったくの別物だ。レビューしている製品などは「ざべ」らしいが、その広告がすべて載っているのに閉口した。これでは思ったことを自由に書くことができず、毒にも薬にもならんメーカーのちょうちん記事になるのが明白だ。こんな状態では、次回は買うかどうか。
SD とざべには Windows NT 4.0 の記事が多く載っていたが、「Windows NT 3.51 には多くの問題点があったが、 Windows NT 4.0 では大きく改善されている。すばらしい製品だ。」という黄金パターンの繰り返し。OS/2、NT 3.1、NT 3.5、NT 3.51 と同じ台詞を聞かされるのには辟易する。
Sun の Solaris 2.x がいくらバージョンアップされても、Sun OS 4.1.x を使い続けるユーザが多く、何にもまして安定性を求める UNIX ユーザ(Sun ユーザ)とは対称的だ。Windows NT はバージョンアップしたくてたまらない OS だし、二つ前の世代の製品はもはやサポートされないのだ。(NT 4.0 の出荷に伴い、NT 3.5 は出荷もサポートもされなくなる。) Windows NT を基幹システムに採用するユーザもあるらしいが、マイクロソフトと共に走り続けるという十字架を背負うとは、ずいぶん物好きな話だ。
ちなみに Sun の Solaris は 2.5 と最新の 2.51 で、かなり良くなった。UNIX の No.1 ベンダーである Sun でさえ、新しい OS を完成させるために 5 年の歳月を要したのだ。
私がマイクロソフトのトップで、Windows NT を基幹業務に耐えうる OS にするのなら、アーキテクチャの凍結か、過去にリリースした製品の、継続的なサポートが必要だと考えるが、いかがだろうか。
[自動切断]
Windows 95 でも簡単にできることがわかった。もちろん Microsoft Plus など必要ないよう。昨日の電話代っていったい....
ダイアルアップネットワークの[プロパティ]→[設定]ボタン→[接続]タブ→[切断までの待ち時間]で設定するのだ。私のように NTT へ貢ぎたくない方は設定されるとよいでしょう。トホホ。
[にんにくホイル焼き]
風邪をひいてから 3 週間目だが、まだ完治していない。胃腸の調子が悪かったり、だるさを感じている。
そういう時はスタミナ食として、にんにくホイル焼きを食すことにしている。
作り方はかんたんだ。薄くスライスしたにんにく(1 人前 3 かけほど)をアルミホイルに並べ、バター 5g ほどを乗せて、アルミホイルで包む。それをフライパンかオーブントースターで 20 分ほど弱火で焼くのだ。
にんにくはほくほくし、バターは焦げてインド料理で使うギーのようになって香ばしい。力が出ることは保証するが、やはりにんにくなので口臭には注意が必要だ。食べ過ぎも良くないだろう。
[停電]
夜中の零時頃停電する。電気ヒーターを使っていたので、ブレーカーが落ちたのかと思ったが、そうではない。確かにブレーカーが落ちるほどの電気は使っていない、400W ほどだ。共同の階段に出て、灯かりをつけようとしたが反応しない。うーむ、どうしたものか。
外は雨が降っており肌寒い。少々不便だがこのまま寝るかと思っていると、電力が復帰した。地域的な停電か、アパートだけの停電だったようだ。古い建物だからしょうがないというところか。
しかし安定した電力を供給され続けることを前提とした家電製品が多い。ビデオや留守番電話、電気時計など、5 分くらいはバックアップできるようにして欲しいものだ。簡易 UPS 内蔵か。
留守番電話は単 4 電池 4 本によるバックアップ機能もあるのだが、電池が切れているのに気が付かなかった。電池が切れても使えるのは便利なのだが、最近の電話は高機能すぎて、マニュアル無しには使いこなせない。使いたい機能はマニュアルなどなくても使えるのだが。
[体裁その 2]
12 月分のファイルがかなり大きくなったので 2 分割にし、色もノーマルにする。下手に飾っても、今やあまりインパクトがない。NotScapeではないが Simple is best ということか。
[変遷する言葉]
同僚に変な敬語を使う女性がいる。「あのですね。えーとですね。それでですね。良く分からないんですよ。」という具合だ。
本日は彼女がなぜこのような言葉づかいをするのか解明してみたいと思う。(ずいぶん、エラそうだな。)
私が小学生の頃には語尾に「じゃん」を付けるのが流行していた。これはもともと「浜言葉」であり、船乗りたちが使っていた言葉らしい。だから横浜や神戸のような港町での流行言葉だったがマスメディアの発達により、港町でなくても使われるようになったのだろう。(私の通っていた小学校は東京都町田市にある。)しかし、当たり前のように小学校の先生に注意されることとなる。船乗りのような荒くれ者が使う言葉は、教育上良くないという考えられていたのだろう。(差別的な考えだ。)
「じゃん」を付けてはいけないと先生からいわれると、まぁ小学生だから言いつけを守ろうとするのだが、ついつい口に出てしまうことがある。級友の一人が「なんとかじゃん」というと残りの生徒は「あー」と彼の間違いを指摘するのだ。当然ながら授業は脱線してしまう。(小学校だからこんなものでいいのだろう。) ユーモアのある級友は、「じゃん」といった後、ベートーベンの運命の節で「ジャン、ジャン、ジャン、ジャーン」とつづけてウケをとったり、「ジャン(醤)、焼き肉のたれ」といってごまかそうとしたものだ。(ちなみに当時はモランボンの焼き肉のたれのコマーシャルが頻繁に放送されていた。)
しかししばらく経つうちに、このようなアドリブもたいしてウケなくなり、「じゃん」と言おうとした生徒は、寸前で黙ってしまうことになる。そこで先生は「"です"を付けなさい。」指摘するので、おかしな日本語になってしまうのだ。
ほぼ、ここまでで当初の疑問点は氷解したものと思われるが、ネタがまだあるので話を続けることにする。
「じゃん」は男の子の言葉であるのに対し、女の子は語尾に「ね」を付けていた。「私ね、今日ね、あのね」という具合である。ここでも教師や両親は、「語尾に"ね"を付けるのは上品でないから、やめなさい。」と注意するのだ。そこで女の子達は「わたしぃ、きょぉ、あのぉ」と「ね」と付けない代り語尾の音をのばす話し方になるのだ。気付いた人も多いだろうが、これは「女子大生言葉」として知られている口調である。
つまり両親や教師たちが、下手に言葉の乱れを注意することで、さらにおかしな言葉の乱れを生み出しているのである。
さらに最近流行の「抑揚なし言葉」は、テレビなどのマスメディアの影響が非常に大きい。これはテレビ業界や音楽業界で使われる「逆さ言葉」に端を発するものだ。ジャズをズージャ、メシをシーメと逆さにするあれである。逆さにされるとなぜか、抑揚がなくなってしまうから不思議である。
そんな言葉を使っていた業界人たちは、自然と日常会話でも抑揚のない言葉を使用するようななったのだろう。テレビなどではそのような「抑揚なし言葉」を良く耳にする。それで日本中の若い世代が感化(洗脳?)されてしまったとは、「カナリヤバイッテカンジ」である。(北関東の言葉であるという説もあるようだが、私の解釈は上記の口調に良く似ていたので、面白がって悪乗りしたものと考えている。)
ちなみに、わたしは言葉が乱れることを憂えたりはしない。言葉が変化するのは自然の現象だ。もはや平安時代の日本語とはまったく発音も異なっているというし、戦国時代は「はひふへほ」は「ぱぴぷぺぽ」と発音していたらしい。("父母:ちちはは"は"ティティパパ"と発音されていたことが、当時の宣教師によって記録されている。)近代の例では、大正時代には「とても」という言葉は、否定文に限って使うのが正しかったし、戦後消えていった流行語は数知れない。そういうものなのだ。(正しい時代劇では字幕が必要だろう。)
しかし、私が年老いて幼い子供たちに「オカシイデスネ、オジイチャンノシャベリカタ、ナンカ変デスヨ。」といわれるのは、ちょっといやだ。
[大失態]
実は昨日、ダイアルアップ接続したままで就寝、起床、出勤してしまった。22 時間もつながっていた。プロバイダは定額制だが、NTT の料金明細が怖い。Microsoft Plus なんて入れてないので自動切断ってどうやるの? ああぁ。