最近考えていることに、「バージョンアップしたくないアプリケーションや OS は優れている」というものがある。
例えば、以下のような OS やアプリケーションが思い浮かぶ。他にもたくさんあるだろう。
バージョンアップしたくないということは、新製品を導入して得られるメリットよりも、失うデメリットの方が多いということであろう。
例えばサブノートの PC には MS-DOS の様な軽い OS を使用したいが、その上で動作するアプリケーションが非常に少ないのだ。フリーソフトやシェアウェアは多少あるが、市販のソフトウェアは皆無に等しい。気の利いた PIM アプリなど欲しいが DOS の市販品はないだろう。(小生は現在は HP200LX を使用している。これはこれで満足できるものだが、ちょっとしたテキスト編集ができない。モバイル・ギアあたりが狙い目か。)
コンパイラなどの開発ツール関連もそうだ。市販の書籍に記されているノウハウ、MFC や VBX などのライブラリ、自己の技術蓄積などが開発ツールのバージョンアップによって、失われてしまうことが多い。(開発ツールは OS のバージョンアップに追随せざるを得ないという宿命があるが...)
つまり、コンピュータ業界は"Break Through"が短期間に発生するため、いつになっても完成度が低いままなのだ。
せっかくアプリケーションの完成度があがっても、OS やデバイスドライバがバージョンアップされてしまうので、そのアプリケーションを捨てて、新しい別のアプリケーションかバージョンアップされたアプリケーションを使わなければならないのだ。
そのたびにアプリケーションや OS は、より多くのメモリ、より多くのディスク容量、より多くの CPUパワーを必要にしてきた。おかげでハードウェアの陳腐化は早く、最新鋭の商品も 2〜3 年の寿命しかないというのが現実である。
Windows NT は 3.51 で完成度が多少上がったが、4.0 でまた完成度を下げるようなフィーチャーが追加されている。今後予定されている 95 と NT の統合など悪夢のようなものだ。今後継続的に使い続けるシステムを Windows NT で構築するリスクを肝に銘じておく必要があるだろう。Windows NT を使いということは新しいバージョンにアップし続ける必要があるということなのだ。古い OS を(傍目に見ると、意固地になって)使い続ける UNIX とは大変な違いだ。
しかしその"Break Through"も本当に"Break Through"かといえば、はなはだ疑問である。大抵はちょっとした修正であり、技術革新というには程遠いものだ。それをコンピュータ産業にとっての必要悪というなら、迷惑しているベンダーやユーザも少なくないことを知る必要がある。 ("必要悪"という言葉は嫌いだ、大抵"甘え"に置き換えられるだろう。)
某 AOR の歌詞にかけていうなら、「Colse the Windows, Return to DOS.」というとこ ろか。コンピュータのルネッサンス的な回帰運動を Java や NC に見ることができるかも知れない。
携帯電話やコンピュータなど変化の早いものを買うときは、先のことを考えるのはバカ
バカしい。せいぜい 2 年程度で使い切るつもりで予算を立てなくてはならない。もしくは、これからも長く使えそうな、ちょっと古い製品(大抵値段も安い)を使うことだろうか?