Keisuke Hara - [Diary]
2000/01版 その3

[前日へ続く]

2000/01/21 (Fri.)


2000/01/22 (Sat.)

21日(金)。午前は大学院の「数理特論」の最終講義、 午後は卒研ゼミと卒研ゼミ2、学系会議、さらに会議。 白井君がちょっと不思議な不等式を予想していたのだが、 会議中に簡単な例で計算してみると、 成立していないことがわかった。 白井君から聞いた「証明」は非常にもっともらしかったのだが… 会議後、懇親会があって、さらに二次会で瀬田に飲みに行く。

数学科の K 先生の1月21日の日記にも、数学者の憂鬱が書かれていて、 同病相憐れむというものだろうか、さらにしみじみとした気持ちになる。

数学は苛酷な仕事なのである。
自分で問題を見つけ、その問題を解くのだが、 それは解けるかどうかわからず、 解けるにしても何箇月、何年、いや一生かかるかも知れず、 解けたとしてもそれが価値のあることかどうかすら定かでないのである。 その間に、自分にそんなことが出来るのだろうか、 自分にはそんな能力も資格もないのではないか、と悩み、 自分よりももっと才能ある優秀な人達だけが、 天才だけが数学をやればいいのではないか、 自分のような無能な人間が数学をやってもしょうがない、 とさえ思うのである。 他の人がみな賢く立派に見え、 次々と価値のある問題に挑戦し成果をあげている中、 自分だけがつまらない問題に無駄な努力を積み上げては崩し、 暗闇の中に一人取り残されているような気がするのである。 かりに困難を克服して問題を解いたとしても、 一瞬の閃きと束の間の多幸感のあと、次第に幻滅感が忍び寄ってくる。 こんなことがわかったからどうしたというのだ、 自明なことなのではないか、なんの価値もないことではないか、 と幻滅は深まり、ついには、 そもそも人間精神による探究というものは究極的には全て無意味なのではないか、 という底知れぬ懐疑の闇の中で激しい憂鬱に至るのである。

私は、こういったことは自分だけではなく、 全ての数学者が、偉大な数学者から私のような泡沫まで、 本質的に同じことに悩み、 それぞれがその悩みと何とか折り合いをつけているのだ、 と思うようにしている。 私よりずっと賢い数学者達は、 もっと重要な価値のある難しい数学を考えているだろうが、 やはりその人のレヴェルで同じように苦しんでいるはずだ、と思うのである。 また、本当の数学者達がこのような悩みを、 さらに深くさらに長くさらに鋭く何度も味わうのだとすれば、 私はまだその悩みの端緒に立ったに過ぎないのであり、 このように論ずる資格すらないのである。

私は数ヶ月か数年に一度、 上に書いたこととほとんど全く同じことを繰り返し考え、 その度になんとか自分の中で自分を騙し、 どうにかこの悩みと折り合いをつける。 そして、まだ数学が出来るはずだ、 否、まさにこれから数学をするのだ、と思うのである。


2000/01/23 (Sun.)

寒い。寒過ぎる。 これが底冷えというのだろうか、 身体の芯から冷えてくるような京都らしい寒さである。 昨日から外出する気がしなくて、ほとんど家に籠っていた。 論文の再校をして、少し計算をし、チェロを弾き、本を読み、 プログラミングをし、洗濯をし、料理をした。
今日の一曲。 J.S.バッハ「無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ」、 S.クイケン演奏。


2000/01/24 (Mon.) この2000年間で最も重要な発明

面白い本を立読みした。 「この2000年間で最も重要な発明は何か?」 という質問を各界識者に尋ね、その回答をまとめた本である。 「自由意志」「キリスト教とイスラム教」や、 経済概念や哲学的な問題などに関するものを答えたシリアスな回答や、 「印刷」等のなるほどと思わせる答えもある一方、 「旗」などという楽しい回答もあり、しばし立読みにふけった。 印象的だったのは、「微分積分学」を数名の人が挙げていたこと、 それから意外にも「確率論」を挙げた人がいたことである。

ちょっと思いがけない答であったが、言われてみれば、 「確率」の考え方そのものが比較的新しい発明であって、 しかもありとあらゆる所に用いられている。 また、量子力学以降この世界を記述する基本的言語となっていることを思えば、 この2000年で最も重要と言ってもそれほど荒唐無稽ではないと思う。 我々はもはや確かな客観的実在というものが、 幻であって古典的近似に過ぎないことを知ってしまったのである。

その中、やはり「インターネット」と答える科学者もいて(もちろん情報科学の人)、 しかもその理由が、 インターネットを通じて CD が買えてどうこうとか、 瞬時に世界中の学者と協力して素晴しい教育カリキュラムを組めるとか 誇らしげに書いてあって、どうかなあと思ったり(笑) それとも、さらに数千年たてば、人類にとってインターネットが最重要でした、 ということになるのだろうか?

貴方はこの2000年間で最も重要な発明・発見は何だと思いますか? 私は、よくよく考えるとやっぱり…「微分積分学」なのでは、と。 そして、次点が「量子力学」。 つまり私の意見は、人類にとって、 この二千年間で最も重要な発見は古典力学(微分積分学)であり、 次に重要な発見はその古典力学からの覚醒のドラマ(量子力学)である、 ということなのですが、如何か。


2000/01/25 (Tues.)

大学へ。 16時頃から教授会。 教授会が終わったのは19時過ぎ、 その後さらに研究科委員会で、さらにその後、学位審議会だったらしい。 最後まで出なければいけないほとんどの先生はお気の毒であった。 しかし、会議しすぎではないかなあ。

JPCA 第二回 Email Open が開始(通信チェスのトーナメントです)。 四月から日本を離れるので、今回は見送ろうと思っていたのだが、 結局色々あって参加することになる。 今回からは予戦とファイナルの二段階制になったので、 目標は取りあえず予戦通過。

どうも最近、放心癖が激しくなってきた。 山科から湖西線に乗ってしまったり、 シャツを半分インクまみれにして半日気付かず過してみたり、 レジに並んで一銭も持ってなかったり… アルジャーノン・ゴードン効果の再発らしい(泣)


2000/01/26 (Wed.) 天才カード

朝一番から大学へ。期末試験(予備日)の待機日。 個人研究室でポリヤ=セゲーを解いたりして暇をつぶす。 午後はちょっとファイナンス関係の打ち合わせをして、 その後、学生委員会。

今頃、またしても「確立」現象論のレポートが提出される。 ちなみにタイトルこみ、約2分の1ページのレポートである。 3行でブラウン運動が要約され、7行ほどで「伊藤の定理」 と名付けられた定理が書かれていた。 ある種の「確立」微分方程式が定義する「確立」過程についての定理らしい。 ほとんど全ての記号が無定義なので、あくまで私の想像だが。 しばらく一枚のレポートを手に呆然とたたずむ。

最近、会議や雑務が多くて、 ついつい天才カードを切りたくなる。 天才カードとは、 「私は数学と言う(または音楽と言う、哲学と言う、なども可) 人類の崇高な目的にまさに今かかわっている所なのだから、 この今そんなことをやっている暇はない」 と崇高な天職の厳しさを理由に、雑務や会議をサボることを言う。 もちろん私は天才ではないので、 「天才カード」と言う名前は、 この奥の手を出す時の自分の傲慢さへの戒めである。 また、天才カードは憂鬱、不機嫌、行儀の悪さ、漁色、 泥酔などに対しても免罪符として使えるので乱用は危険である。 (ちなみに、私が陰気で、不機嫌で、行儀が悪く、漁色家で、 酒飲みであるということでは絶対にない)。

であっても、天才カードを切りたくなることの多い今日この頃、 人生これ修行である。いつか大悟することもあるのであろうか。


2000/01/27 (Thurs.)

朝から大学へ。ファイナンス関係の会議。 午後は卒論ゼミその1、卒論ゼミその2。 明日も朝から修士の中間発表会で、 しかもその後会議であるからして、 体力を備えておかねばと即帰宅。 南草津駅で W 先生とばったり出会い、 山科まで御一緒する。大体、木曜日に BKC にいらしているようだ。 数学の話などしつつ帰宅。

最近は夜にチェロを弾く。 ガット弦の響きに心慰められる今日この頃である。


2000/01/28 (Fri.)

今日も朝から出勤。十時から修論テーマ発表会。 M1の院生が1年後の修士論文提出に向けて、 テーマと現状の報告、修論の目標などを説明するものである。 今までは中間発表会と修論発表会の二回だったのだが、 今年から新たに導入された。 多分、就職組はそろそろ就職活動もしなくてはならないし、 そうでなくてもぼんやりしがちなM1が、 自分のテーマをしっかり把握し説明できるように、との主旨らしい。 院生にもなったらそんなに世話焼かないでほっといてやれよ、 という気がしないでもないが、そうも行かない現状なのだろう。

その後、夕方から会議。終了後、帰宅。

今日のアルジャーノン・ゴードン効果。
何故か冷蔵庫の中にサランラップ(箱のまま一巻)が冷やされているのを発見。 いつの間に…

なんだか妙にヘヴィーな一週間だった。 今日はお酒でも飲んで寝よう。


2000/01/29 (Sat.)

疲れているはずなのにあまり眠れず、 比較的早く目覚めた。ここ数日、早起きしていたからだろう。

午後から河原町に出て、丸善でモンテカルロ関係の洋書二冊を購入し、 しばらく三条あたりをぶらぶらして帰る。

夜はカップ指揮のめろめろなバロック曲集で、 アルビノーニのアダージョなどなど聞きながら読書とか。 今日の読書、「アムステルダム」(I.マキューアン、新潮クレストブックス)。 これは傑作だと思います。小説好きの大人にお勧め。 「アムステルダム」という題名は、 マキューアンと友人との間でのジョークで、 どちらかがアルツハイマーになったら屈辱的な最期から救うために、 もう一人がアムステルダムに連れていって安楽死させてやろう、 と約束し合ったことから来ているそうな。

今日のアルジャーノン・ゴードン効果、またはアムステルダム。
特になし(ほっとする所が逆に恐い)。


2000/01/30 (Sun.)

昼頃まで寝る。午後は家事。

夕方からチェロのレッスン。 ロングトーン、スケールから始まってエチュードをやり、 楽曲は「真珠採りの歌」(ビゼーの歌曲より)。

マン・レイの写真に女性の裸の背中に f 字孔を書いて チェロに見立てたものがあったと思うのだが、 確かにチェロという楽器の姿には女性を思わせる所があり、 演奏のスタイルもどことなくエロティックな雰囲気がないでもない。 だからかどうか知らないが、 やっぱり毎日弾いていると愛情が沸いてきて、 毎晩添寝したいくらいの気持になってくるのである。 もちろん楽器に悪いのでそんなことはしない。 せいぜいテレビを観る時にも抱いているくらいのものである。 既に立派な変態かもしれないが…

チェロの長い長い指板にはフレットがないので、 最初はそのあまりの広さに途方に暮れる。 指板の「地理」とでも言いたくなるほどに広い。 それが段々とある程度わかるポイントがあちらこちらに出来て、 その間の関係がわかってきて、 少しずつその楽器のことが理解できてくるのが楽しい。


2000/01/31 (Mon.)

大学へ。院生の T 君、学生の M 君と打ちあわせ。 その他、雑務等。

今日の読書。「日本の公安警察」(青木理、講談社現代新書)。
ひぃぃぃ、恐過ぎる。無害な一市民で良かった。


[後日へ続く]

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Keisuke HARA, Ph.D.(Math.Sci.)
E-mail: hara@theory.cs.ritsumei.ac.jp, kshara@mars.dti.ne.jp

この日記は、GNSを使用して作成されています。