Keisuke Hara - [Diary]
2000/03版 その3

[前日へ続く]

2000/03/21 (Tues.)

午前中から大学院修士課程の終了式、 学位授与式、午後から卒業式と卒業証書授与式。 夕方から学科の卒業パーティに出席。

僕自身は成人以来、自分の卒業式に出席したことはないのだが、 卒業式というのは毎年見るにつけ非常によろしいものだ。 既に先生になった身には寂しくも関係のないことだが、 「卒業」について色々とドラマがくりひろげられるようだ。 まったく羨ましい限りである。 僕も卒業式に出ておけば良かったと思う。

卒業パーティで気付いたのだが、 僕が卒研をみた学生、 つまり原研究室の学生達が自分達で固まってしまって、 まったく他の情報学科の学生達と交流がないようだった。 何度も注意したのだが、やはり駄目だった。 僕が指導についた時点から マージナルな人生が運命づけられていたのかも知れないが…


2000/03/22 (Wed.)

自宅で TeX 書き。夕方になってようやく終了。 夜はチェロのレッスンに行く。

チェロの楽譜はヘ音記号で書かれていることが多い。 ヘ音記号は f 音の位置を指示する記号で バス記号とも言われるように低音部に用いられる。 その次に高い音域を表すのがハ音記号で、 さらに高い音域を表すのが普通には良く見かけるト音記号である。 実際、ト音記号の五線の一番下の線はミであるが、 これはハ音記号で書いたとすれば普通は五線の一番上の線になる (ハ音記号は置き方がいくつかあるので、他の場合もある)。 さらにハ音記号の五線の一番下の線はレであるが、 これはヘ音記号で書いたとすれば五線の真中、三番目の線になる。 チェロの楽譜は主としてヘ音記号で書かれていることが多いが、 チェロは非常に音域の広い楽器であり、 バスパートというにとどまらず高音部に至るまで様々な役割を担うので、 楽譜の中にヘ音記号にハ音記号やト音記号が入り乱れることもあって、 私のような素人は大混乱する。 理論的にはわかっているのだが、 その場ですぐには分からないことが多い。 少なくとも初見では五線を数えたりしないと分からない。

準備はここまでにして、ようやく本題。 今日のレッスンでハ音記号が出てきた。 先生が言うには、 「ハ音記号はそのまま一つ隣りの弦を弾くと思えばいいんですよね」。 それを聞いて、ほとんど自明のことなのだが、 目から鱗が落ちるというか、はっとしたことであった。 ハ音記号とヘ音記号が五度違うことも、 チェロの弦が隣りと五度ずつ離れてることも知っていたが、 その二つを結びつけて考えたことはなかったのである。 もちろんフィンガリングの問題もあるし、 普通に弾ける音域でないからわざわざハ音記号を用いているのだから、 単に隣りの弦を弾くということで済む場合はあまりないだろうが、 それでも急にハ音記号に親しみが持てるようになった。

二つのことからほとんど自明に導かれることであっても、 言われるまでなかなか分からないことがある、というお話である。 それともそんなに間が抜けているのは私だけですか?


2000/03/23 (Thurs.)

午後から大学へ。 W 先生のゼミに出席してから、色々と雑務。 W 先生の今日の話は、 ノイズをスペクトルメジャーによって分類するというもので、 特に田中の確率微分方程式の解についてそのスペクトルメジャーを構成し、 元来考えられていたようなノイズとは異なる構造を持っていることを示す、 という内容だった。 田中の解についてのこの結果は他の数学者によって最近示されたのだが、 W 先生流に綺麗にまとめて細かい所までつめたものらしい。 二時間くらいのゼミでは証明のあら筋しか聞けなかったが、 非常に興味深かった。

夜は最近結婚された H 大の S さんと河原町で待ちあわせて、 一緒にお食事をする。 僕の兄弟子にあたる S さんが、 イギリスに渡る私に個人的に壮行会を催してくれたものであろう。 S さんは僕と同様に学位を取った直後にポストがなく、 短かい間、企業で口を糊したと言う共通点があることや、 僕が修論のテーマを選ぶにあたってアイデアをもらった経緯があることから、 僕が特別に敬愛している先輩である。 僕は調子に乗って快調に飲んでいたのだが、 S さんは二次会の「八咫」のバーに移ったあたりから急激に調子が悪くなり、 あわててタクシーで帰宅。 山科で別れたが、その後、ちゃんとお家に帰れたかどうか心配である。 新婚の奥様にも申しわけないことをした。 重ねがさねお詫びを申しあげたい。

S さんは酔っぱらいながらも、 「はら君は有能(?)だから、 平気な顔をして色々なことを引き受けてしまうのがよくない。 たまには机を引っくり返すほどキレて、 いつでも辞めてやるぞ、 という心意気を示しておきなさい。 いや、明日の壮行会で切れろ。っていうか、もう辞めろ」 との貴重なアドバイスをいただく。 きっと、もう酔っぱらって正気を失なっていたのだろう。 私は案外、この R 大が気にいっているのだが…


2000/03/24 (Fri.)

大学へ。 部屋で珈琲を飲みながら本の整理をしたりしていると、 同僚の T 先生がやってきた。 T 先生は僕が半年イギリスに行った後、 入れ代わりに半年ドイツに行かれるので、 これから丸一年ほど会わないことになる。 それで一言挨拶に来てくれたものであろうが、 結局最近考えている数学の話で終始してしまった。 一年後にはまた元気にお会いして、 お互いの成果を自慢しあいたいものである。

夜は草津で学系の年度末の宴会。 四月に情報学系から数理科学科に移籍する(私を含む)数学系教官と、 三月末で辞められる情報学系事務の K さんの歓送会を兼ねている。 K さんは春に結婚式を控えているのでそのお祝いもある。 昨日も深酒していたので調子が悪く、 セーブしながらちびちびと飲んでいたのだが、 結局またしても深酒を重ね朝帰りする。

四月から移籍することについて、 「はらさんとしてはこの移動は幸せなのか?」 と色々な人から尋ねられることの多い一日であったが、 基本的には「学生数が減ることが嬉しい」、と答えた。

私は自分は(駆け出しではあるが)数学者だと思っている。 とは言え、数学者が数学者だけで寄り集まっていることだけが、 数学者のありようだとは思わない。 もちろん数学者が数学の中だけに暮らしていることが最も素晴しい状態であり、 それが数学の活動の主体であるし、そうあり続けて欲しいと思っている。 だから、流行りの「数理科学」路線みたいなのには首を傾げることもある。 それでも、数学者が数学だけの世界に閉じず、 他の世界に出ていき、ある時は何らかの刺激を受けたり、 アイデアを得たり、またある時はただ単に消耗し疲れ果てたりして、 そのこと自体が数学の世界に様々なものを与えてくれる、 そして数学がさらに豊かなものになって行く、 ということがあってもいいんじゃないかな、と思っているのである。 数学科がある所に数学があるのではなくて、 数学者の生きる所に、そこが何処であれ、そこに数学があるのだ。 数学は多様であり、数学は一つであり、数学は何処にでもある。 青臭い議論であることは自分でも分かっているので、 御批判を寄せて下さるにはおよばない。

「この移動は幸せか?」という質問に対して、 「数学者として数学科に帰れてすごく嬉しい」 という答を期待されているような気がすることが多かった。 数理科学科に移籍することは自分にとって良いことだと思うが、 上に述べたようにそのこと自体が最大の理由ではない。 それを強調したくて、 「人数が減ることが嬉しい」という比較的単純な答えを返したものである。 とは言え、 学生数が少ないことは(私にとっては)本当に非常に良いことだと思う。 実際、もし今の情報学科で、 推薦をやめるとか入試の合格ラインを上げるとかして、 学生数が一学年100名以下(現状の三分の一)になったとすると、 実に素晴しい学科になるのではないかとさえ思う。 もちろんあくまで、それは私から見た基準であり、 大学全体として、または学系のポリシーや、 工学部的発想からして、現状の定員が望ましいのであろう。 情報学科は今や大学のドル箱でありスター学科であるから、 多くの学生を抱えるのもやむを得ないかもしれない。 三年間、お世話になった学科を離れることになるが、 ますますの情報学科の御発展と各先生の研究の進展を心からお祈りしたい。 私も実質的には半年後からということになるが、 新しい学科でがんばって行きたいと思う。


2000/03/25 (Sat.)

昨日の深酒から復活のため、 午前寝て、一旦起きて雑炊を作って食べ、さらに昼寝三昧の午後を送る。 夜はチェロを弾いたり、数学をしたり。

先日のレッスンが出立前最後で、 半年間、自分だけで練習しなければいけない。 エチュードを続けていきながら、 課題曲はバッハのアリオーソとG線上のアリアとかやってみて下さい (両方とも楽譜がハ音記号で書かれていた)、とのこと。 音程を正確に取ることと、 常により深い音色を出そうと努力することを心がけて半年がんばって下さい、 と励ましていただいた。

そういや、 四月から修士課程にあがる学生を二名持っていることを思い出したが、 彼等は半年間どうするのだろうか? イギリスまで来ればゼミをしてもいい、と言ってはおいたが…(笑)


2000/03/26 (Sun.)

わずか半年ばかりの外留だが、 色々な方から直接またはメイルなどで励ましの言葉を頂き、多謝。

でも、多分、英国から日記の更新は出来ないと思うのですが… むしろ、毎日マメに日記更新なんかしてたら、 「うまくやってないのかな」と思って下さい。;-)

明日月曜は大学で、残りの雑務の片付け。 火曜は午後、衣笠で会議。 水曜日に家を片付けたり荷作りをして、夜に実家に戻り、 木曜日三十日午前に実家から関西空港に向かって、 正午の飛行機で渡英の予定です。

この日記の更新は半年後になりますが、 時々 Warwick 便りを書くかも知れませんので、 お暇な時に top page をチェックして下さいませ。


2000/03/27 (Mon.)


2000/03/28 (Tues.)


2000/03/29 (Wed.)


2000/03/30 (Thurs.)


2000/03/31 (Fri.)


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Keisuke HARA, Ph.D.(Math.Sci.)
E-mail: hara@theory.cs.ritsumei.ac.jp, kshara@mars.dti.ne.jp

この日記は、GNSを使用して作成されています。