Keisuke Hara - [Diary]
2002/03版 その1

[前日へ続く]

2002/03/01 (Fri.)

月末恒例、執事給与の端数をかけた主従の闘い。 執事の白番。超現代派のレティ・オープニング(*1)。 シャイな見かけとは違って油断のならない第一手である。 アグレッシブに差すことを(無理に)最近の目標にしているらしい執事は、 早期の混乱を狙ったか、または「黒番」ぽく差したかったのか。 しかし序盤で白に勘違いがあり、 黒が十九世紀的かつ暴力的に勝ち、執事の給与を(ちょっぴり)巻き上げる。 ハイパーモダーンは執事のシャイで邪悪な性格にあっていそうだが、 まだそれに徹しきれない所に問題があると見た。 勝負で重要なことは自らのスタイルを守ることである。

1日、午前はチェロを少しさらい、午後はレッスンに出かけるが、 京都駅に着いてみれば人身事故のためダイヤが大幅に乱れており、 結局レッスンをキャンセルすることになる。 夕方からはRIMSに出かけ、 T師匠と翻訳校正が出来た所のチェックをする。

*1: レティ・オープニング: ハイパーモダーン派の理論家レティが有効性を主張した第一手 1. Nf3。 ポーンによる直接的な中央進出を延期し、形を決めないまま、 ピースで脇から間接的に中央を支配する。 適当なタイミングで他の定跡に(時に一手得で「黒番」の定跡に)転化したり、 定跡のない早期の闘いに持ち込むなど、 微妙な含みが多く自由度が高い。


2002/03/02 (Sat.)

土曜日だが大学に出勤して、ミーティング。 A堀先生主導のもと、Y田先生と、 学生院生達でシンポジウム裏方部隊(通称「赤軍」)を組織。

その後、暇だったので、 個研のNTマシンを上書きすべく、少々バックアップ作業などをする。 事務方がWordやらExcelやらの商用ソフトの形式で、 データを送ってくると言う嫌がらせをするので、 それに対するレジスタンスの意味で(笑)。 しかし敵もさるもので、 MS製品一式をインストールしたPCを無料で希望者に配布するなどと言う、 荒っぽい戦略に出てきているので、 つむじ曲がりな私は反発したい気分なのである。 まあ、私は小額であるがMSFTの株主なので、 不愉快ぶんを既にヘッジできてはいるのだが。

今日の読書。 「異星人伝説 ― 20世紀を創ったハンガリー人」(M.ジョルジュ)。 物理学者L.スィラード曰く、 「宇宙人は既に地球にやって来ている。 彼等は自分たちをハンガリー人と称しているがね」。


2002/03/03 (Sun.)

日曜日は安息日であるとは言え、 つい個人的な「作業」などをしてしまいがちだが、 今日は節句であることもあり、完全に安息する。 昼は昨夜の残りの餃子を茹でて、 葱と生姜を炒めた油と干し海老で中華風スープを作り、 大根と白菜の漬けものと食す。 さらに餃子が残ったので、 それを肴にワインを飲む。

午後は、ブルバキの「数学史」をひもときながら、 自分の数学についての考え方のありようを省みたり、 ファンであるニムゾヴィッチの棋譜 (ニムゾヴィッチ vs. ルビンシュタイン, 1920 ドレスデン, イングリッシュオープニング)を鑑賞したり。 陰険にして華麗。特にどこにも闘いを起こさないままに、 いつの間にか麻酔にかけるように無力化して、 その後、猫が鼠をいたぶるかのように蹂躙する所は、 逆にユーモアすら感じる。

夕方から買物のついでに、本屋にも寄ってくる。 「ナボコフ書簡集」、「典座教訓・赴粥飯法」(道元)を購入。 DVD屋で王家衛の「花様年華」も、 (チャイナドレス好きとして)つい購入。

夕食。メインは鰆を焼いて、玉葱のソースを添える。 大根、葱、しめじの味噌汁とだし巻き、白菜の漬物。


2002/03/04 (Mon.)

王家衛の「花様年華」、これは映画と言うより、 ただの張曼玉(マギー・チャン) のチャイナドレス・ファッションショーなのでは…

午後から大学へ。定例の日時ではないが、教室会議。 今日は難しい議題が多かった。 それにまた胃の痛い問題が…(あいてててて)。

明後日6日から数理ファイナンスシンポジウムが始まるので、 明日から裏方部隊は臨戦態勢に入る。 とりあえず私の明日の任務は、 部隊の一員N田君を伴なって、 イギリスから来日する Rogers 教授を関西空港に出迎えて、 ホテルまで送迎。

明日からはキャンパスの宿泊施設に泊りますので、 このページの次回の更新は9日土曜の深夜です。


2002/03/05 (Tues.)


2002/03/06 (Wed.)


2002/03/07 (Thurs.)


2002/03/08 (Fri.)


2002/03/09 (Sat.)

5日、火曜日。 昨深夜にA堀先生から緊急の電話が入って、 関空に朝来ると思われていたフランスのT教授の 予定が緊急に変わった、 しかも到着時刻とフライトは「推定」だ、と言う連絡であった。 推定によれば、イギリスからのR教授の到着とほぼ同じ時間なので、 一緒に捕まえてきてくれ、とのこと。 ちなみに誰もT教授の顔を知らない。 とにかく、少し早めに関空に着いてみてA堀遊撃軍、 略して「赤軍」のN田君と二人で待機。 まず、R教授が予定通り到着、無事ランデヴーに成功。 R教授がT教授の顔を知っていると言うので、 ちょっと安心して三人で推定フライト到着を待つ。 しかし、案ずるよりうむが易し、 すぐに待ち人現われて電車で草津駅近くのホテルまで送迎する。

列車ではR教授の隣りに座り、一時間以上ずっと話を聞き続ける。 R教授は歯切れの良い綺麗な英語をしゃべり、 温厚かつ物腰の柔らかい紳士である。
「まさに快適です。私は非常にリラーックスしている…うん。 今回は素晴しいシンポジウムになりそうですね、 招いていただいて本当にありがとう。オーガナイズは大変でしょう」 「ハイ。シカルニ、われわれはW教授、Y教授、A堀博士プラス私と、 ぷりゃいべいとすくーりゅ、モチロンいぎりすでの意味とはチガい、 には珍しく多くの確率論すたっふガ…」 「まさしく。Y教授にW教授、 素晴しい組み合わせ(beautiful combination)…珍しい。 例えば…(以下15分ぶん省略。よく聞きとれず)」 「ソレニ、ワレワレ、ウマクえこのみくすノでぱーとめんとト、 のー、ソノ一部ト、ヨイきゃんけいヲ築いテオリ、 ふぁいなんすノてーまデふぁんどヲ集メヤスク、非常にユタカ。 あくちゅあり数千万いぇん、マタハそれ以上の規模。 タダ不可解事務的困難事有多少」 「それだよ、まさにそれが問題。貴方はカナダの研究費システムのことは 聞いたことがありますか。これが実に… (以下15分ぶん省略。よく聞きとれず)… しかし、研究と言うものは静かにゆうゆうと歩まねば。 クオリティやそう、貴方の言う所の文化としての側面を無視して、 量でしか成果を評価できないのがまったく嘆かわしい、 これは我々の非力さの反映でもありますが… これを鼠競争(rat race)と言わずして何といいましょうか。 そんなに急いで何をどうしようというのか」 「い、いっ、さうんず、べりー…いんぐりっしゅ」 「まさに、まさに。ニュートン研究所での話ですが…(以下30分ぶん省略)」

送迎を終えて、その夜から大学の宿泊私設に泊まる。 夜はA堀先生と、TK大のNさん、H大のNさん、学生スタッフ達と 南草津近辺で食事。

6日水曜日よりシンポジウム開始。自分の学生についての事件もあって、 朝研究室でメイルで対応してから、開始一時間ほど前に会場に行ってみると、 まだ何も出来ていないような状態で、 Y先生が学生を叱咤して馬看を立てに行く所であった。 一瞬にして、見込みの甘さを直感して冷汗が流れ始める。 実際、一日目午前はメタメタであった。 午後に入って、赤軍リーダークラスのS藤君に、 「全然あきませんわ、みんな指示待ちで全然動いてませんわ、 H先生が陣頭指揮せんと」と叱られ、 あわてて当日会場近辺係の組織を把握し、 何とか一日目が終わろうする頃に軌道に乗る。 夜は、ユニオンスクエアの二階のレストランで、ウェルカムパーティ。 Y先生の巧みなホストぶりで愉しく過させていただく。 お開きの後はTK大Nさん、O大Sさん、I君たちでA堀研を訪ね、時間をつぶす。

7日、木曜日。二日目。 A堀先生はあちこちの事務の部署でピンチだと愚痴をこぼしている。 会場周辺はようやく滑らかに動き始めたが、 プロジェクターが見え難い、使い難い、と評判が悪い。 一人一人使い方の注意点を講演前に報せるのだが、 講演で興奮してくると皆、それを忘れてしまう。 黒板での講演があるとほっとする。 昼はまだ個研での仕事で、昨日に引き続き、 おむすびを食べながらメイル書き。 夕食は構内で。 A堀先生はホテルで外国からの若い招待客を拾って食事に。 丁度、中国からの招待客の一人に会いに、 フィールズメダリストが南草津にやって来て、 それも同じ店での会食だったようで、 結構大変なことであった、と翌日聞いた。

8日、金曜日。三日目。 W先生は招待客の対応、 Y先生は事務手続きから会場の些事まであらゆる所でシンポを支え、 A堀先生は(すべての部署での)事務方との衝突で天手古舞、 私はあれこれ綻びながら現場指揮。 とは言え、ようやく全体が軌道に乗った感じ。 夜はエポックの会場でレセプションパーティ。 Y先生に司会をおおせつかって、めろめろな司会をする。 後でY先生に「Hさんでも緊張するんですね」 と言われて、ちょっと「その、『でも』って言うのは(笑)」 と伺ってみたり。 でも、Y先生はそのすぐ後で、 「来年も含めて、A堀さんもコネクションを拡げられるだろうし、 Hさんもこういった場数を踏めるでしょう…」とこぼされていたので、 まさに親心と言うものであったかと。 それを我々が真摯に受けとめて実らせていけるかが課題であろう。

9日、土曜日。四日目最終日。 会場現場指揮は最終日になって、ようやく安定した(全然、駄目です)。 とは言え、最終講演のW先生の講演直前に四箇所ある投影機の 一つが壊れたり、最後まで現場は機材に祟られた。 午後に少なくとも会場では全てが終わって、ほっと一息。 事務手続きにに祟られたA堀先生と二人で溜息をつく。 今回の現場指揮の反省として、 来年度は必ず、 「前日当日現場完全マニュアル/チェックリスト」 を作成しよう、と決意する。 結局、どうにかやってくれるだろう、という期待が、 私を筆頭に、事務方も学生スタッフも全部駄目だった。 去年より規模が大きくなって(今回は外国招待客7名)、 複数のファンドがあり、複数の事務筋があり、 規模に応じて多くのスタッフがいると、 ほうっておくと指揮系統が滅茶苦茶でまったく機能しない。

A堀先生は開催中、あちこちの事務の部署との折衝に苦しめられたようで、 「要は根まわしが必要だったってこと」とまとめておられた。 学生スタッフには激怒しているものまでいたが、 想像するに、事務が高飛車だったり、不躾けだったり、 非協力的なのは、それは無能だからなのである、 いや失礼、誤解のないように言うと、 本人が無能だと言うのではなく、 普段の業務と違って、これこれのシンポで必要だから、 と突然わけのわからない対応を迫られても、 そのような要求に受付レベルで柔軟に対応することに対しては当然、 無能なのである。そうでなければならない。 つまり、そのような無能さは事務の本質なのである。 よって、結論は根まわしをしておくってこと、というA堀先生のまとめは正しい。 思うに、政治のホットゾーン駒場で折衝能力を鍛え抜かれたA堀先生が、 当日の事務折衝にあたってくれていて良かった。

夕方久しぶりに壬生に帰宅。 愛妻(36k, jpg) の歓待を受け、 久しぶりに夕食を作りながら、 来年こそは滑らかな現場指揮をしてみせる、 と白菜の漬物に決意するわたくしであった。


2002/03/10 (Sun.)

cooking books 正午くらいまで、ぐっすりと寝た。 だし巻き卵、味噌汁、梅干しなど適当に昼食を取り、 (まだすべきことは沢山あるのだが) 自宅で本を読んだりとぼんやりと過す。 夕方になって三条のあたりに出て、 Cafe Rxxxxxに行く。 丁度、おそらくヴィオラ用と思われる編曲で バッハのアリオーソがかかっていた。渋い。 しばらく珈琲を飲みながら読書。 ブリジット・オベール「雪の死神」。「森の死神」の続編。

夜は久しぶりにチェロを弾いたり、 確定申告書類を作成したり。

急に画像を入れたりしているのは、 もちろん、シンポジウムが終わって、 デジタルカメラが休暇に入ったから ;-)


[後日へ続く]

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Keisuke HARA, Ph.D.(Math.Sci.)
E-mail: hara@theory.cs.ritsumei.ac.jp
kshara@mars.dti.ne.jp (for private)

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