Keisuke Hara - [Diary]
2003/06版 その3

[前日へ続く]

2003/06/21 (Sat.) 二人の旅人

朝は講義の準備など。 昼食は茄子のパスタ。余つた茄子は、 日々の粗食に僅かでも彩りを添へるため糠漬にする。 夏が近付き、浅漬が美味しい季節である。 午後は Williams の「マビノギオンの羊」問題についての A 堀先生の原稿を持つて、 河原町の紅茶葉屋に夏のアイスティー用の葉を貰ひに行く。 ふと喫茶部を見ると、十代かも知れないくらい若いお嬢さんが、 きりつとした着物を着て一人でお茶を飲んでゐた。 最近、少なくとも京都では、女の子の着物姿が目立つ。 流行なのだらうか?少なくともゴスロリよりは 1024 倍くらい良いので、続いて欲しいものだ… 喫茶店で「羊」原稿を読む。これはずいぶんと難しい話だ。 夕食は豆腐と葱の味噌汁、胡瓜の糠漬、キムチなど。

ある朝、二人の男が、互ひに相手の家を訪ねるため、 同じ時刻に自宅を出発した。 二人は丁度正午に路上ですれ違ひ、 一人は午後 4 時に、一人は午後 9 時に相手の家に到着した。 二人は同じ道筋を(逆向きに)通り、 それぞれに一定の速度で歩いたと仮定すると、 二人が朝出発した時刻は何時か?


2003/06/22 (Sun.) マビノギオンの羊

昨夜の夜更しのせゐで、蒸し暑さに寝苦しくも正午近くまで熟睡。 やはりそろそろクーラー(&ドライ)を使はなければ、 京都では生きて行けない。 オムライスの昼食を作つて食べ(まただ)、 午後は冷たい水出しの紅茶を飲みつつ、Malliavin ノートの作成。 この前の講義で少し嘘を教えたことを発見。 来週訂正しなければ。 このノートは講義を受けてゐる学生用、と称してゐるが、 実際は後で自分用の Malliavin 解析の「アンチョコ」 (死語ですか?)として用ひる予定なので、 結構真面目に作つてゐる。夕方になつて買ひ出し。 商品券を貰つたので、 近所のワイン屋で普段より少々高めの白ワインを購入。

Williams の「マビノギオンの羊」問題の訳者解説については、 A 堀先生と相談の結果、翻訳書には加へないことにした (ABRACADABRA 問題の訳者解説は付録にする予定)。 でも、web で公開予定とのことなので、乞ふ御期待。 「マビノギオン」と言ふのは中世ウェールズの伝承話ださうで、 そこに次のやうな不思議な羊の群れが出てくる。 その群れは白い羊と黒い羊からなつてゐて、 どれかの羊が鳴く度に、 その鳴いた羊が黒ければ群れの中の白い羊の一匹が黒に変わり、 白ければ逆に黒い羊の一匹が白に変わる。 この群れの羊が鳴く度に、白い羊を何匹か群れから取り除くことによつて、 黒い羊の数を(期待値の意味で)最大に増やして行け、と言ふ問題を、 制御理論の枠組で考える、と言ふお話である。 黒を増やしたいから白をどんどん取り除けば良いかと言ふとさうでもない。 黒の羊を増やすと言ふことは、 白の羊を黒に変身させて行かねばならないので、 変身する前の白羊を適量残して行かねばならない。 しかし白羊ばかりでは、どんどん黒羊が白羊に変身してしまふ。 と言ふわけで、一番良い戦略は全く自明ではない。 この設定自体はいはゆる「ポリヤの壷の問題」 のバリエーションの一つではないかと思ふが、 こんなウェールズの伝承などを持ち出してくる所が、 Williams ぽい、と言えばさうである。


2003/06/23 (Mon.) 五通りの証明

正午からゼミなので生協で早めの食事を取つてゐると、 K 川先生が現れ、ひとしきり遠山奉行の話を語つて行つた。 「江戸を斬る」への偏愛のあまり史実の興味も湧いてきた模様だ。 歴史と数学は案外相性が良いのかも知れない。 ウィッテンも最初は歴史を専攻してゐたらしいし、 コルモゴロフだつて始めは歴史を研究しやうとしたと聞く。 コルモゴロフが初めて書いたロシアの税金制度についての論文を セミナーで発表したところ、主催者の某教授に 「歴史では少なくとも五通りの証明が必要だ」と言はれ、 その翌日に数学に転向したと言ふ。 人類はこの教授に感謝せねばなるまい。 ちなみに、今では、この論文の正しさと、 歴史学における価値が認められてゐるさうだ。

ゼミ室に行くため階段を登つてゐると、 情報の N 尾氏に会つた。アクロス住まひのはずだつたが、 と思つて訊ねると「事務室はここだから」とのこと。 さう言へばさうでした。 ところで N 尾夫人は私と同じ生年月日を持つ。 時間は少し違ふだらうが。 と言ふのも N 尾夫人は私の双子の妹であるから……と言ふ伏線ではない。

正午から院生の自主ゼミ。伊藤の公式など。 続いて卒研ゼミ。連続の場合の条件付期待値など。 続いて卒研ゼミ B チーム。フーリエ理論を使つて、 地中の温度変化を考へる。


2003/06/24 (Tues.) 雨の日の講義

朝から一日中、雨。 12時 30 分から「確率過程論」。 まだ誰も現れない教室で、窓の外を見てゐると、 バケツと手持ちワイパを持つた T 山先生が部屋の前を通りかかつて、 「いよいよ伝説の講義ですかな」と一言残して去つて行つた。 実際、時間になつても学生が一人も来ないので、 誰もゐない空の教室を前に、 Ornstein-Uhlenbeck 過程が Malliavin 解析で果たす役割を講義する。 なぜ、経路値ブラウン運動では、つまり、 ラプラシアンだけではなぜうまく行かなかつたのか、 真の意味での経路空間でのフーリエ理論は可能なのか、 その遥か遠い目標を前にして、 振動積分型期待値の漸近挙動、特に正確計算の果たす役割は何か、 私の思ふところ、数学観の全てを心を込めて講義する。 私の今までにない名講義であつたのだが、 しばらくして院生が現れたので、 やむを得ず中止し、いつもの初等的な講義をする。 O-U 過程、O-U 半群の無限小生成作用素としての L 作用素、 その性質と具体形など。

続いて、「計算機数学」。 完全守秘性の同値条件定理、 公開鍵暗号系の要約、ブロック暗号の設計など。 続いて、M2 ゼミ。 院生室に様子を見に行くと、 肝心のプログラムが何故かずつとコンパイルできなくて、 まだ評価作業に入れません、と言ふ。 どれどれ…つて、宣言してるだけで、 関数の本体がコンパイルもリンクもされてない。 でも笑顔で分割ファイルのコンパイルの仕方を指示し、 もちろんすぐにバイナリが出来る。 きょうのゼミ時間は 5 分。


2003/06/25 (Wed.) 回帰的質問

12時30分から「積分論 I」。 Lebesgue 分解を証明する。 積分論の基本的なところは一通り終わつたので、 今日は Lebesgue-Stieltjes 積分のトピックを取りあげて、 その定義と、絶対連続性との関係の定理を一つ説明。 続いて、M1 ゼミ。RSA 系。 ミラー・ラビン法の「証人」の個数の評価の証明が 謎だらけだつたので、そこは来週までの宿題。 夕方は個研でそろそろ前期試験の問題作成。 いつの間にやら、 追試用の問題も同時に提出することになつてしまつたが、 弱者の微かな抵抗として私の追試は常に「面接試験」にしてゐる。 もちろん面接試験の方が遥かに正確な評価が出来る。

試験に限らず、問題を作ると言ふことは、 能力が最高度に試される機会であつて、 問題を作ることは、少なくとも数学においては、 本当に大変なことなのだが、それが理解されることは珍しい。

これを踏まへて K 大の S 君は、 「○○についての問題を自分で作つて解きなさい」 と言ふ試験をしたことがあるらしい。 これはどの科目でも使へるし、 しかも確実に学生の理解と能力を見ることが出来る。 さすが畏友 S 君、と感心したのだが、 少し考へてみると、もし私が学生だつたら、 「答:「○○について自分で問題を作つて解きなさい。 答:「○○について自分で問題を作つて解きなさい」…」」 と解答用紙に書く誘惑に抗し切れない (不合格になることが分かつてゐても(笑))。


2003/06/26 (Thurs.) エスティメイト

午前は Malliavin ノートの作成。 昼食は胡瓜と茄子の糠漬と、納豆、油揚と若布の味噌汁。 午後は明日の出張の準備のためにあけてあつたので、 色々考へる。途中、珈琲が切れたので烏丸の SBUX に豆を買ひに行き、 そこでも一杯の珈琲を飲んで考へる。 半日ただ座つてゐるだけで、 どう見ても仕事をしてゐるやうには見えないだらうが、 きつと私の同僚達の仕事ぶりも概ね、これと同じだらう。 夕食は油揚のアーリオオーリオ。夜は読書。 ラッセル「数理哲学序説」(平野智治訳/岩波文庫)。 最近、ちよつとしたことのお礼としていただいたので、 初めて読む。

私は数学基礎論や数理哲学にはほとんど興味がないし、 ラッセルの業績についても 「普通の数学だけをやればよかつたのに」 とさへ思つてゐる不心得者なのだが、 この本はラッセルの頭の良さがビシビシ伝わつてくる感じが、 大変刺激的だつた。 この「著者の頭の良さがビシビシ伝わつてくる本」と言ふ形容は、 学生時代に同級生の M 君が小平先生の微分積分の教科書を形容して 言つたのに感心して覚へてゐたものだが、まさにその類の本である。

明日は東京出張のため、次回更新は土曜日の夜以降になります。
私は年々、東京と言ふ街が嫌ひになつて行くが、 それは単に人が多過ぎることが、 加齢とともに段々に堪へられなくなつてゐるからである。 機能面からは便利で豊富な選択肢があつて良い街だと思ふ。 中途半端に都市に成り切れてゐないローカルさも嫌ひではない。 それに学生時代のおよそ十年間を過したので、 個人的なノスタルジーも若干だが、ある。

私の夢は昔から一貫して、 全ての時間を自分のために使ふことである。 学生時代にはそれが可能だつた。今は無理に休暇を取つても、 その時間は本当の意味では自分のためだけには使へない。 よほど集中して数学やチェスを考へてゐる時か、 チェロを弾いてゐる時くらいだ。 逆に言へば、そのために私は数学や通信チェスやチェロをするのだらう。 そもそも数学やチェスやチェロはそのために存在してゐるのかも知れない。 学生時代は一日の全ての時間を自分のために使ふことが可能だつた。 大人になると、そもそもそんな時間はほとんど取れないし、 未来や他人のことを考へるほど賢明になる。 いや、弱くなるのだらう。いつの間にか未来に怯へるやうになるし、 好かれたい、尊敬されたい、 と自分の心のほとんどが他人の存在に依存するやうになる。 今、大学で仕事をしてゐると、 学生たちの愚かさと時間の余裕が心底から羨しい。しかし、何故だか、 彼等はむしろ他人のために時間を使ふことに全力を尽してゐるやうだ。 その理由は分からない。色々な夢があるものだ、と思ふ。 東京に来ると、私の夢は次にいつ叶ふのだらうか、 私はそれに値するほど強いのか、と、 束の間、自分のエスティメイトをチェックし直す。


2003/06/27 (Fri.)


2003/06/28 (Sat.) 魅力的な欠点

昨日、某 A 社で話題にしたパズル。 「0 から 9 までの数字を一回ずつ使つてその和を 100 にせよ。 不可能ならそれを示せ」。 例へば、35 + 14 + 6 + 20 + 7 + 8 + 9 = 99 では惜しいが失敗。

新幹線の中で「第四の扉」(ポール・アルテ/平岡敦訳、ハヤカワPM) を読んだ。「フランスのディクスン・カー」と言ふふれこみで、 本人もカーをもつと読みたくて自分で書いたと言ふくらいのマニアらしい。 でもカーよりずつと洗練されてゐて面白かつた。 今の所、これを含めて二作が翻訳されてゐるが、 沢山作品があるらしいので、どんどん翻訳してほしい。 カー独特の癖のある欠点がないぶん、 日本でも広い読者が得られると思ふ。 ただカーのコアなファンは、カーの欠点が好きなので (おそらく本人以外の誰も笑へないドタバタ趣味とか)、 案外アルテを好まないかも知れない。 長所と違つて、魅力的な短所と言ふのはなかなか真似できないものだ。


2003/06/29 (Sun.) 帰納法

午前中は講義の準備ノート作り。 昼食は若布の味噌汁、漬物各種。 食後、少し午睡してから、午後も講義の準備。 週末出張のため準備が間にあつてゐなかつたのである。 夕食はアラビアータ。 週の前半はいつも忙しくて料理の時間がないので、 トマトソースとバジルのソースを作りおきしておく。 夜は少しチェロを弾いたり。

一般の位置にある n 本の直線(平行なものはなく、どの三本も一点では交わらない)が、 平面を幾つに分けるかを知つてゐる人は多い。 では一般の位置にある n 枚の平面は三次元空間を幾つに分けるか? さらに数学科の学生向けの問題として、 一般の位置にある n 枚の超平面は d 次元ユークリッド空間を幾つに分けるか?


2003/06/30 (Mon.) 場合分け

正午から M 1 自主ゼミ。の予定であつたが、 学生側の都合で急拠キャンセル。 余つた時間で図書館で調べものなど。 続いて、卒研。多次元の正規分布の計算など。 続いて、卒研 B チーム。 両端を固定された弦の波動方程式など。 さて、帰らうかなと思つてゐると、 まことに珍しく研究室に学生が質問にやつてくる。 私の研究室は過去の事情から、 他の数学の先生方とは離れたフロアにあるので、 滅多に人が訪れることはない(結構なことだ)。

質問の内容は、 補集合を考へることが出来ない空間での、 なにやら難しい集合論的な問題で、 「ヤヤコシこと訊きはるなあ…」と嫌になるタイプの質問である。 私は難しい話は嫌いなので、 閉かつ開な集合から生成されるσ加法族について可測な集合列の交代差の、 上極限と下極限が…とか聞いてゐると、 呆然として思考停止しさうになつたが、なんとか質問の内容は理解した。 とは言へ、ろくな回答はできなかつた。 S 屋先生のもとで位相空間論か何かの本を読んでゐる学生らしい。 さういふ難しい話は、他の先生に訊ねて、 私のところには微分積分とか行列の計算問題とかにして欲しいものだ… とは言へ、実は計算も苦手なのだが(笑)

昨日の平面での空間分割問題のヒントとして、直線での平面分割の話。
一般の位置にある n 本の直線が平面を幾つの領域に分割するか、 と言ふ問題は、私が高校の頃には教科書に載つてゐたと思ふ。 その解法は帰納法によるものだつたと記憶してゐる (n 本のときの解が得られてゐるとして、 さらにもう一本を引け…)。 しかし、大人になつてから驚くべき解法を知つた。紹介しやう。

まず、この直線たちはどれも水平でないと仮定して構はない。 水平なものがあれば、全体を少し回転すれば良い。 領域たちを二種類に分けやう。 「底があるもの」と「底が抜けてゐるもの」である(!)。 底があるものは上の仮定から、底がとがつてゐる。 つまり二直線の交点になつており、 逆に二直線の交点は「底があるもの」を一つ決める。 よつて「底があるもの」は n 個から 2 個を選ぶ組合せの数だけある。 次に「底が抜けてゐるもの」を数へる。 すべての「底があるもの」よりもずつと下に直線を引け(!!)。 この直線は、それ以外の n 本の直線と n 個の交点を持ち、 (n+1) 個の線分に分けられるが、 これらは一つずつ「底が抜けてゐるもの」それぞれを作る辺である。 二種類の個数をあはせて解が得られた。


[後日へ続く]

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Keisuke HARA, Ph.D.(Math.Sci.)
E-mail: hara@theory.cs.ritsumei.ac.jp
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この日記は、GNSを使用して作成されています。