Keisuke Hara - [Diary]
2004/03版 その1

[前日へ続く]

2004/03/01 (Mon.) 3rd-7th Mar., Symposium at BKC

午後は卒業判定の教室会議。 その後、年度末の研究報告書を二つ書き、 研究室の整理をして、夕方帰宅。

明後日水曜日から始まるシンポジウムのため、 明日からキャンパス内の宿泊施設に泊まります。 次回更新は日曜日 7 日の夜以降になります。


2004/03/02 (Tues.) ウマカン

以降 6 日までは、 7 日(日)に過去を振り返つて書いてゐます。

午後より、秘書の方と学生スタッフ陣と共に、 キャンパス内の看板立て、会場設営、 予稿集の作成など、シンポジウムの準備。 続いて、某委員会の会議。 生協食堂で夕食をとつて、 今夜からキャンパス内の宿泊施設に泊まる。


2004/03/03 (Wed.) サイドスクリーン

朝は一足早く会場であるローム記念館に行き、 会場スタッフ陣と準備。 今回は事務室も給湯室も同じ建物にあるので、 例年より会場準備は滑らかに進む。 これから大型のシンポジウムは常にロームでする方が 良いだらう。 10 時よりシンポジウム開始。 この業界の大物、イリノイ大の P 先生の講演でスタート。 が、いきなり、サイドスクリーン用の資料が ランダムに表裏が逆にコピーされており、大混乱。 悲惨なスタートに胃が痛くなる。 続いて、ホワイドボードの関連とか、 次々に問題が発生し一時はどうなることかと思つたが、 午後に入つて徐々に形が整い始める。 特に元凶は使い難いサイドスクリーンである。 講演者自らが操作できないため、 資料を事前にスタッフ側で作つておかねばならないのだが、 講演者は直前まで資料を渡してくれないので、 その折衝とコピーに大幅にリソースが費される。

夜は学内のレストランでオープニングパーティ。 司会はオーガナイザ・チームの O 先生。 流石に国際派の O 先生は場慣れしておられて、 御自身の他、チェアマンの W 辺先生、 ポリテクの E=K 先生の挨拶などで、 綺麗にまとめてパーティ自体はつつがなく終了… と思ひきや、去年と同じく、 ゲストをホテルに送るチャーターバスが、 なかなかやつて来ず、 一階の食堂スペースでゲストを半時間以上も待たせる失敗。 兎に角、なんとか一日が終了し、 ふらふらしながらエポックに帰る。


2004/03/04 (Thurs.) on the fly

二日目。細い問題はあるものの、 現場の業務はおおよそ巡行状態に入つた。 しかし、 サイドスクリーンが予想しなかつた問題の原因となる。 つまり講演者の資料のハードコピーを 我々スタッフ側も持つてゐる ことに気付いた参加者から、 自分にもコピーを一部欲しい、 と言ふ要望が次々に入り始めたのである。 事前に資料を用意してゐたのなら良いが、 実際はシンポジウムを進行しながら舞台裏で次々と on the fly で資料作成してゐるので、 余計なコピー仕事は、 スタッフ側の人材リソースを激しく圧迫することになる。 とは言へ、最初は気軽に引き受けてしまつたことから、 途中で方針を変へるわけにも行かず、 場当たり的な人材アサインで対応して、 一時はかなりの混乱を招いた。
教訓1:「大型のシンポジウムでは、 紙コピー専任係一名以上と専用コピー機を確保する。 デジタル時代がどうとか言ふ寝言はよせ」
教訓2: 「場当たり的な人材アサインはしない。 または逆に、遊撃部隊を最初から確保しておく」
教訓3: 「指示は全て紙に書いて、その紙を渡す。 口頭での指示の情報伝達率は 1 より真に小さい」

夜は私を除くオーガナイザ達はゲスト達を連れて、 草津の料亭に食事に行くとのこと。 私は会場片付けを口実に遠慮させてもらふ。 代わりに K 大の S 君と一緒に、 情報学部の N 尾さんの研究室を見学に行く。 S 君、N 尾さんと私は、 学生時代に下北沢の喫茶店で良くたむろしては、 飲み歩いてゐた仲間である。 さて、見学の方は、 スマート・パオとやらが配置され、 ギミック満載のハイ・テックで綺麗な研究室群を見て、 S 君と二人で、 「こんなの見せられたら、高校生は皆ここに来ちゃうよねー」 と話す。 私は学部独立以前の情報学科に所属してゐたが、 すつかり変わつてゐて確かに「新展開」してゐるやうだ。 S 君は、良い受験生が全然集まつてくれない、と、 これからの数学系の学科の将来を随分と憂へてゐて、 軽いショックを受けてゐるやうにさへ見受けられた。 その後、 S 君と二人で南草津の居酒屋で、 数学の話や大学の話などを肴に飲む。 数学のテクニカルな議論や大学内部の話、 または私的な話などを除いて清談に絞れば、 「ロジックの多様体」と言ふ話が面白かつた。


2004/03/05 (Fri.) エクスカーション

三日目。 今日は午前中だけで講演終了。 午後はエクスカーション。 私を除くオーガナイザ達はゲスト達を連れて、 京都、奈良、彦根に分散して遊びに行つた模様。 私は会場片付けを口実にまたサボらせてもらつて、 午後の仕事はお菓子類の買ひ出しのみ。 しかし、私には、この会期中に運悪く重なつて、 自分の研究室の引越しの折衝が持ち上がり、 シンポジウム会場のティールームの内線電話から、 引越し関連の手配の相談をしたりすると言ふ、 かなり切羽詰まつた状態である。 結局、午後も引越し関係のあれこれ。

引越しは 11 日(木)に決定。


2004/03/06 (Sat.) 二次会

四日目にして、 会場の現場スタッフの業務は、 ほぼ良好な巡行状態に入つた。 コピー要求にも素早く対応できるやうになり、 会場でも特に大きな問題は起きない。 夜は草津のホテルでレセプションパーティ。 司会は私で例年通りに出鱈目な感じではあるが、 ゲストの P 先生、F 島先生からスピーチをいただき、 最後をチェアマンの W 辺先生に結んでもらつて、 なんとか無事に終了。 パーティの間に、H 橋大の F 田先生とお話をする。 修士の頃から F 先生の仕事を勉強してゐたのだが、 なんと直接お話しするのは初めてで、ちよつと嬉しかつた。 狭い業界ではあるが、こんなこともある。

パーティの後、 A 堀先生がまだまだ飲み足りないとおつしやるので、 TK 大の N 川先生と二人で、 ホテルのバーにお付き合ひする。 私はグレンフィディクを一杯だけ。 しばらくして、 スタッフ学生たちもやつてきて、 皆で一緒に戦略と野望の男を慰安。


2004/03/07 (Sun.) 白い雪、黒い冬

最終日、五日目。雪。 午前に最後の二つの講演。 最後のスピーカーであつたイタリアの P 先生と、 モロッコの O 先生が、簡単なスピーチをされたあと、 チェアマン W 辺先生の挨拶で、 温かい雰囲気で無事終了。 O 先生がスピーチのときにプロジェクタで見せてくれた、 アラビア語の御礼のお手紙が面白かつた。

午後からは晴れてまずまずの天気。 会場の後片付けは全て秘書の方と学生スタッフに お任せして、 S 君と A 堀先生と三人で南草津のイタリア料理屋で食事。 昼間からワインを一本開けて、無事の終了を祝ふ。 そのまま、ほぼ一週間ぶりの自宅に帰つて、 寝台に横になつたらそのまま二時間ほど意識を失なふ。 夕方 6 時頃、起き出して 500 通ほどたまつた、 私用アドレス宛てのメイルのチェックなど。 ヒネリがない、と先月ここに書いたせゐなのか、 それとも「四季」完結記念なのか、 今回は先月分の家の維持費の精算メイルが、 真賀田四季博士から届いてゐた。


2004/03/08 (Mon.) 未来のレプリカ

先月分の精算チェス。 20 分プラス一手 10 秒。白番、 イングリッシュ・オープニングから逆シシリアン・ドラゴン。 またしても、 ビショップのタダ取られを見逃す派手なブランダー。 しかも取られ方も最悪で、即、負け。 何だか最近、ブランダーが多過ぎて、誰にも勝てる気がしない。

シンポジウムの間の習慣で、今日も早朝に目覚めてしまふ。 寝床でごろごろして時間をつぶした後、 午前中は洗濯と確定申告書類の清書。 昼食にアーリオオーリオを作つて食べ、 午後は河原町の丸善で本を買つてから、 百万遍の日仏会館へ。少し早く着き過ぎたので、 会館の庭でヒトゲノム・ビジネスの本を三十分ほど読書して、 四時からポリテクニークの E=K 教授の講演に参加。 一般向けに一時間ほどで数理ファイナンスの世界を説明すると言ふ、 講演する側からは非常に難しいものだが、 流石この手のエクスポジションに慣れてゐるのだらう、 大変に上手な講演であつた。 実際、モデルも数式も使はずに、 オプションの「複製」の概念などを説明するのは、 これ以上うまく出来るとは思へない。 ただ、興奮してくると普段からフランス語風発音の英語が、 何時の間にか完全なフランス語に切り替はるので、 部分的に全く聴き取れなかつた。 夜は関係者の会食があるらしいが、 かなりお固い席のやうに聞いてゐたので、さつさと退散。 夜は久しぶりにチェロの練習。 メカニカルな運指とスケール中心の指慣らし。


2004/03/09 (Tues.) スシ・サシミ

アクロスのファイナンス系の事務室に学内誌の 校正に行き、生協食堂で昼食をとつて、 午後からセミナー。 一昨日までのシンポジウムのため来日した、 モロッコの O 教授、フランスの P 教授が講演。 前者はブラウン運動の普通でない分解について、 後者はインサイダー情報を持つトレイダーを如何に発見するかと言ふお話。 どちらもなかなか面白かつた。 夜は瀬田の寿司屋で会食。 今日は、偏微分方程式の方でも、A 井先生や Y 田(O)先生が、 フランスからのゲストを呼んでシンポジウムをしてゐたやうで、 そちらと合流しての会食となつた。帰宅は 9 時半。

どうもこのシンポジウムでは女性のゲスト達に、 うちの学生スタッフ達が大人気のやうだ。 実際、「モン・プチ」とか、 「私の天使達」とか呼ばれてゐる。 彼等は学生のうちから既に、 ヨーロッパでは私より確実に有名だと思ふ。 (名前は「スシ」とか「サシミ」とか、 勝手につけられた綽名で認識されてゐるやうだが…) それは、ともかくとして、 彼等の熱心な協力があつてこそ成立してゐるシンポジウムである。 深く感謝したい。 まだゲストを送る仕事が二、三残つてゐるが、 今年も御苦労さまでした。

さう言ふわけで、明後日の引越しの手伝ひもお願いします(笑)


2004/03/10 (Wed.) 発散

午前中は論文の手直し。 エディタから英語の間違ひを色々指摘されたので、その部分。 最近、開き直りつつあるのだが、 結局のところ、私には定冠詞 "the" の正確な使ひ方が、 永遠に分からないのではないか。

自宅で昼食にアーリオオーリオを作つて食べ、 午後から税務署まで確定申告分の税金を払ひに行く。 「キャンディ・マン」を口遊みながら、 マシンガンでチョコレート工場を襲撃したくなるやうな、 散歩日和の良い天気である。 烏丸から、歩いて柳馬場通りを上り、 税務署を襲撃、否、国民の義務を果たす。 帰りも同じ道を戻つて、 烏丸で洋食器屋に寄つて買物をし、帰宅。

知り合ひに、 「全ての自然数を足すとマイナス 12 分の 1 になる」 と言ふのは本当か、もし本当ならどう考へればさうなるのか、 と質問された。私の知る限り、 これはゼータ関数の解析接続の話なので、 少なくとも一通りの初歩の解析学の知識を前提にしないと、 きちんとは答へられない質問だと思ふ。 もちろん、全ての自然数の和は無限大だが、 その発散を「繰り込む」ような計算で、 その値になるものがあり、実際、 非常に深い意味があることが分かつてゐる、 と言ふやうなことをたどたどしく述べるのと、 ある良い関係があれば、 それが成立しないところまでも、 無理に成立するものとして様子を見てみる、 と言ふ数学者の第二の天性について話すに留まつた。

多くの子供は、最初に等比級数の公式、 1 + x + x^2 + x^3 + .... = 1/(1-x) とその証明を習ふとき、 これは x の絶対値が 1 未満の時だけ成立します、 と説明されて、 「では、1 以上の数を入れてみたらどうなのだろう」 と考へるものだ。 両辺の x に 1 を代入してみて、マイナス 1 を代入してみて、 それらに内側から近づけた様子を見て満足し、 ひよつとしたら極限の概念の拡張を行ふかも知れない。 さらには 2 や、マイナス 3 を代入してみて、 素朴な「繰り込み」の概念に達する子供もゐるだらう。 そのとき彼または彼女は、事実、数学者なのである。


[後日へ続く]

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Keisuke HARA, Ph.D.(Math.Sci.)
E-mail: hara@theory.cs.ritsumei.ac.jp
kshara@mars.dti.ne.jp (for private)

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