1997年3月分の「最新情報」
1997/3/29
1997/3/27
松本公判第31回速報
1997/3/25
3弁護士会長と地裁所長の協議も物別れに終わりました。大人の解決をっ!!
先日も一部お伝えしました地下鉄サリン事件被害者の「手記集」を全文掲載しました。
事件が風化し忘れられていく中で、未だに後遺症に悩む被害者たち。最愛の家族を失い、失意のどん底から懸命に立ち直ろうとする遺族たち。
ノラリクラリと延命工作を続ける松本被告はもとより、つまらない意地を張り合う裁判官・検察官・弁護団も、今すぐこれを読みなさいっ!!
必見! 手記集へ
1997/3/19
地下鉄サリン事件から丸2年
明日3月20日、あの忌まわしい地下鉄サリン事件発生から丸2年を迎えます。
20日、多数の被害者を出した東京の地下鉄霞ケ関駅では、午前8時、殉職した営団地下鉄職員高橋一正、菱沼恒夫両助役ら犠牲者を悼み、職員らが黙とうをささげる予定です。
また「地下鉄サリン事件被害者の会」はこの日にあわせ、「手記集」を作りました。20日午後1時に地下鉄霞ケ関駅近くで配布します。
必見! 手記集へ
1997/3/14
松本被告公判 国選弁護団ついにボイコット!
予想通り、弁護団は全員法廷に現れませんでした。
弁護人なくして「開廷」できませんので、公判期日はお流れです。
しかし、検察官・裁判官から、すべては弁護団が悪い、ということを強調する事実上のパフォーマンスが、「開廷」していない法廷で繰り広げられました。
1997/3/13
松本智津夫公判 交渉決裂!!
1997/3/9
1997/3/2
岡崎被告公判傍聴記(97/2/27)
例によってマスコミには報じられない裏番組で重大情報が飛び出しました!
坂本事件の翌年、教団を脱走した岡崎被告は、坂本事件をネタに教団から820万円をゆすり取り、接触した県警の取り調べをウソでかわし、平成7年3月には強制捜査の最中中国に渡航して何と国際結婚、その後警察に守ってもらうため自首調書を作成・・・・。驚くべき狡猾さ。そして許し難い神奈川県警の杜撰さ甘さ・・・。
傍聴記はここをクリック
お陰様でアクセスが 6,000件を突破いたしました。ありがとうございます。
この間、松本公判があったり、新聞・雑誌に紹介されたりしたこともあって、5000件からの1000件は20日間で達成です。
今後ともどうかよろしくお願いいたします。
昨日お知らせいたしました雑誌「Net Fan」(毎日コミュニケーションズ)4月号をgetしました。
な何と、ど真ん中の87頁、『ホームページの肖像(特別編)』と題して、2ページにわたり写真もふんだんに使ったカラー版です。予想もしなかった破格の扱い、スタッフのみなさん、取材にこられた坂本さん・佐藤さん、本当にありがとうございました。
ところが、残念なことにこの「Net Fan」はこれを最後に休刊になってしまうのだそうです。
スタッフのみなさんのさらなるご活躍を楽しみにしています。
1997/3/1
今発売中の「ネットファン」という雑誌に、当ホームページが紹介されました。しかもドドーンと作者の写真入りだそうです(私自身まだ見ていませんが)。必見!
松本智津夫被告第27回公判傍聴記(97/2/27) 
坂本事件を捜査した神奈川県警の捜査員ら5人の証人尋問。
当初から「逮捕監禁事件」とされていたこと、写真撮影に見落としがあったことなど、初動捜査にいろいろ問題があることが明らかとなりました。
しかし、事件発生当初から私たちが一貫して訴え続けてきた警察の腰の重さについては、検察・弁護両者ともほとんど踏み込んでいません。捜査官は当初から「事件性」を認識していたかのような証言を繰り返していますが、それならばなぜ「失跡」などと公表したのか。オウムに対するマークすらほとんどしていなかったのはなぜなのか。強制捜査の可能性を検討したことはあるのか。警察幹部の捜査方針と現場感覚の乖離はあったのか。事件発生の翌年に実行犯岡崎一明に肉薄していたのに、結局逃がしてしまったのはなぜなのか。・・・・
私たちが6年間の活動総括の中で提起したたくさんの核心的問題点について、今回の証言では何らの答えも示されませんでした。非常に残念でなりません。刑事裁判に「真相究明」を望むことのむなしさを感じました。
それにつけても、「弟子たち」が証人でないときには多少ブツブツ言う程度でジッとしていられる松本被告。あの一連の「不規則発言」は決して不規則ではなく、やはり計算ずくの規則的発言であった。
かつての弟子たちへの空しい威嚇、不都合な(聞きたくない)証言からの逃避、いずれにせよ幼児的わがままにすぎないのであるから、それを甘やかさず、振り回されず、粛々淡々と手続きを進めるべきである。
坂本事件の実行犯、新実智光、端本悟、中川智正各被告の証人尋問が行われた。
端本被告は、松本被告の不規則発言の影響をもろに受け、そのたびに言葉に詰まっていた。
中川被告は、表面上は松本被告の独り言をさして気にする風ももなかったが、証言の中では「私自身の中に壁があります」などとして、松本被告をかばう気持ちがにじみ出ていた。
新實被告は、「尊師」の方をじっと見つめ、全ての証言を拒否した。
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