水族館に金魚を見にいこう
今から500年程前に金魚が中国から渡って以来、ペットとして日本に特に根づいたのはなぜか。定説や常識にも疑問を呈しながら日本各地の飼育現場で直接見聞した話を、多くの文献に触れながわらかりやすく書かれている。金魚は「花鳥風月的な生きもの」ではあろうが、「家魚」でもある金魚は「天地自然の美しい景色」ではないし「風流な遊び」とも言いがたい、と、日本人の自然観についての言及は興味深い。
水族館のプロでもある氏が「水族館に、金魚の影が、どうも薄い。」という。確かに水族館で金魚を見たいと思わない、水族館には似合わないなど思う。なにしろ野生の金魚などいないというのに、家庭でも飼わなくなったくせにそんなこと言う私たち、イカスモコロスモヒトシダイの金魚に向かってその態度はイカガなものか...そのあいまいな感覚こそが花鳥風月の真髄か...。
松井佳一博士は亡くなる前年(1975)に『金魚の文化史・書誌学的考察』という本を自費出版されているが、校正することなく亡くなられたので年号の間違いなどがあるという。鈴木氏はそのことを、どんなにか無念であったろうと博士に思いをよせながら、『金魚と日本人』を書くことがひとつのオマージュであったかのようだ。
この本には足立喜之『金魚養玩草』、朴沢一三『海鼠の骨』、陳舜臣『闇の金魚』をはじめたくさんの金魚本が紹介されている。どれも手にしたいものばかりだが、先を急ぐわけでなしいつか自然に目にする日を待とう。心にさえ留めておけば、いつか出会えるものらしいから。