ART織田の


週末画廊日記


1999年1月30日版

1月30日


今泉登紀子@ヴァルド。散りばめられたコースターは何杯のカクテルか。

てゆーか回転すしで、皿を重ねるあれだ。ひとつひとつと増えていって、いつかは部屋全体を埋めつくさんとしている。たまってたまって、いつか取り返しのつかないことになっていく借金のよう、ではなくまるで思いでのようではないか。ちょっとこの週末画廊に似ていないでもないぞ。


カルビ@NHKギャラリー。受信料はこのようにも使われています。

 accumulation / 北崎哲章

上の北崎さんの作品は電動草刈鎌の刃のようなものを貼り付けてある作品だ。メタル好きな私なので、思わず凝視してしまう。全体としてもたいへん良くまとまっており、迫力のある作品だ。やはり刃物は良い。残念ながら3枚のみだった。もっとたくさん並べてみたいという欲求にかられる。

 (24歳ぶん)24の庭 / 友池理絵

24歳か。若い。24といえば新入りだったので工場で天板ばかり運んでいたなぁ。会社絶対やめようと思ってたのに、この年になるまで続くとは思わなんだ。と回想してしまう作品だ(-_-;)。なぜか悲しい作品。雨の日に鏡を見てため息をついてしまうような感覚だ。私だっていろいろあったのさ。

 十誡W / 原田俊宏

写真では部分しかないが、この作品は床半分を埋め尽くすものだったのだ。埋め尽くしているのはちょっと難しい事が書いてる紙と、絵と、なにやら呪術的な書き記しのあるボーリングのピンだ。作品全体が魔方陣的でありおもわず踏み入れることをためらってしまう。
がしかしこの作品を見ていると、社会のヒエラルヒーのようでもあり、インターネットの接続図のようでもある。「アーバンネットってAT&Tにぶらさがってたの?」みたいな。 このページを見てる人もいろいろと経由してきてるんだろうな。

 八木田健二

「箱の中になにやらごみ箱がたくさん・・・あ、ギヤだ!」ギヤを見ただけで喜んだり修理したくなったりする人は私の仲間です。 しかもこのギヤはかなり大きな音を出して回るのです!これをうるさいと思わずに、「もっと大きければいいのに」とか「低音がいまひとつ」などと訳のわからない事を考える人も私の仲間です。とりあえず楽しい作品とありがとうと言いたい。でも本来はそんな目的ではなかったりして。もしそうだったら、私のような変態は予想外だったといえよう。

 今泉登紀子

本日二作品目の今泉さん。こちらは写真ではとうてい判らないが、これは花見の場所とりではない。周囲に吊るされているのは「肉をとりまく人々」と「自分」の写真である。「とりまいているとりまき」を全部は見れなかったけど、とりあえず沢山という事は判りかけてきた。さわやかなミニマリズムの今泉さんは23歳だ。ちなみにこの時期、私の23歳は、徹夜続きで卒論に取り組む貧乏学生だった。取り囲んでいたのは実験機器と蚕(支108)だけだった。


日記のページへ
ページ先頭へ
前の日記
次の日記