ART織田の


週末画廊日記


5月19日

モラディ@香月。再生の苦悩

高校生のときは「生物」が得意科目だった。他の理系の科目に比べ、生々しく現実的で神秘にあふれていたところが好きだった。
ある日僕たちはプラナリアを採りに行った。プラナリアは、グルメなのか綺麗好きなのか、本当の清流しか好まない。山口にあるその川は、プラナリアが生活場所に選んだ、日本でも有数のきれいな川だった。石の下のプラナリアをガラス瓶に1匹づつ入れて、川の水と共に持ちかえると、早速例の実験に取り掛かった。解剖用のはさみで彼等を分断するのだ。
プラナリアは分断するとその数だけ増殖して行く。つまり「4本シメジ」だ(知らないって)。足と頭からは胴体が生え、胴体から頭と足が生える。8個に切れば8匹になる。 文字通りの「不死身」を目の前にして、僕達はえらく感動したものだった。
モラディの彫像の多くは、エヴァンゲリオン並に苦悩している。苦悩のポーズが、省略された頭部、両手、つま先を痛たましく思わせる。きっと再生が完了して癒されるまで、この苦悩は終わらない。1個の肉片から、ここにまで至ったような彫像は、あと一歩のもがきを見せ、苦悩と恍惚に身を捩じらせている。


DMより


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