ART織田の


週末画廊日記


8月6日

野村佐紀子@獏。くすぶる瞳。

 野村さんの写真から倦怠を感じて1年になる。僕の中では李賀の詩がぴったりと重なって見えた写真は、今年はちょっと違って見えた。僕が変わったのか、写真が変わったのか、野村さんが変わったのか、それは決められない。ただ今日の僕はこのいまやニヒリズムの領域に達した倦怠感から抜け出さなければという、「不況から脱出しなければと悩む日本政府」あるいは「赤字から抜け出そうともがく中小企業」にも似た義務感がある。抜け出さなければだ。
 去年と同じく、僕も写真の人物も、怠惰で、苦悩して、いじいじしていて、暗かった。つらいのか>自分、悩むのか>現代人、悲しいのか>若者、見えないのか>未来、絶望なのか>未来。
 で、その中でどう違って見えたかというと、なんとなく目に光を感じた。もはや李賀やボードレールではなく、バタイユやカミュだと思った。より強い焦燥感、いいかえれば「くすぶった情熱」、暗い回路からの脱出を図る理性。白黒の怠惰だけど情熱的な写真の中で、彼、彼女らの目だけが強く印象的で、いつまでも見る者の心の中で光を失わなかった。自分の感動でしか写真(絵)を見れないアート織田としては仕方ないことだけど、写真は僕の「くすぶり」を増幅して行った。
 もっとも、何をすべきとか、どう生きるとか、そんなんじゃなくって、この「くすぶり」の温度上昇こそ悩み多き人間にとって今大切なものじゃないかと思う。
 できることも、結果もすべて知れたものだ。周囲も状況もとりあえず何も変わらない。ただ、僕の中で温度だけが上がっていき、ただ自分の目にも光が戻ればと願った。
 とりあえず、クソ満腹になりたかったので、餃子の王将でラーメンと天津飯をかっ食らった。とりあえず食う量だけはきっとバタイユには負けまい。目的もなく、情熱だけが再び目覚めた熱帯夜の数時間だった。


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