アート織田の週末画廊日記
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2003年8月31日

タイトル: 赤の他人
作家: 原田俊宏
場所: 獏


DMより

 昔の家族の写真。知らない人も移っている。
 最近の読書で、「現代批判の哲学:あなたが「いる」ことの重み(人称の重力空間をめぐって)」というのがある。
推薦本ではないけども、人間、個人、彼、あなた、わたし、の「いる」ことの比重の違いについて、いろいろ書いてます。
「部屋に誰かいるのといないのでは、当然行動は変わる。それが存在の重さというものである(生の重さ、死の重さ)」というわけだ。
「銀行の受付で呼ばれる私(番号から「名前」へ)」
「知らない町で「おいお前」と呼び止められる私(諸個人から主体への変化)」などなど。
 本は他者との「肯定的メッセージ」の大切さや、「あなたがいることは、それだけで良いことだ」としめくくられる。
 つまり、一人称、二人称の立場に応答に応じる他者がいることで、「理解しあう」とかではなくとも、肯定的メッセージ(「いること」と確認できる応答)によって、人間の存在は支えられる。との事だ。
 原田さんの作品は、この会話のない状況での、「いる」こと(諸個人)の重みの話だ。画廊で作品を見ていると、女性が一人入ってきた。ここで「ねえ君」と軟派でも始めれば諸個人から主体へと変化するなぁと思いながら。しないってね。
 ・・・・でいきなり主題から離れるが、「われわれ」という言葉が使える人って何人いるだろう・・・・といきなり思う。やはり人間の存在を支える得るのは、1人称複数じゃぁないか。といいながらやはり軟派できないことを自覚するという楽しい個展でした。
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