アート織田の週末画廊日記
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2003年10月20日

タイトル: 象徴派について語る
作家: モロー
場所: 北九州市立美術館「フランス象徴派展」


絵葉書「聖セバスチャンと天使」(個人蔵(笑))

 随分昔、大学生の頃、私は象徴派・デカダン絵画に決別したことがある。現実へ目をやらず、空想の世界に溺れ、ひたすら内面へと逃避する彼らに、「やっぱり違う。そうじゃない」と言い放った。若かった(笑)。
 その後、数知れぬ「主義」にぶつかりながら、しかもどれにも違和感を覚えながら、結局同じだけの年月を経てなお、何ものも得る事がなかった。何をなすべきかという、初歩的な質問からつまずいているのだ。第一問が解けないまま、すべての時間を使い切った入学試験のように。
 人生の進学に浪人はない。その一問に「成すべき事はない」と書いてしまった者は、無為の虚空を彷徨うしかないのだ。
 しかし、その虚空の中で、なおも問いかける声があった。「ミューズは死んだのか」と。それはボードレールであった。
 ミューズは死んでいない。それどころか、今やその声だけが、明確であり、この現実的ではない毎日以上にリアルなものであった。これこそが、象徴派なのだ。と私は思う。それは一つの生き方であり、決して逃避ではなかった。そして、もう一度、この声を頼りにしてみようと思う。というか、すでに残されているのは、それだけなのだから。

絵の解説
 モローの絵は荒地に咲く荊(いばら)のように美しい。血なまぐさいテーマの中で、人物は強烈な美を放つ。聖セバスチャンは矢によって処刑され、復活する聖人である。(もっともまたすぐ殺されるが。)あるいは単にしぶとかったと言っては失礼だろうが(失礼だ!)。しかし、矢で射抜かれてなお死なぬ感動ドラマは、まさしく天使のささやきであり、その声こそが、セバスチャンの力であった。あまりにも内省的な画家は、この絵によってどれ程の癒しを得たのだろうか。

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