アート織田の週末画廊日記
WEEKEND_GALLERY.log

2004年2月10日

タイトル: ヒカリモノ日記
作家: フィロゾフィー
場所: シルバーギャラリー Rdius


ギャラリーにて撮影 (A5302CA)

 一目ぼれのライオンのバングル(真鍮製)である。彫りのどうこうはともかく、高い精神性を感じる作品。特にそれは付けた時に宿る。はっきりいって付けると人相変わります。
 ところで一般的にアクセサリーは美術品としては認定されてても、アートではない。博物館の領域だしな。しかし、あるいは変わるのが人相だけでなく、ただのムラハチが孤高の独行にかわるくらい、クレイジー・ケン・バンドのエロさと馬鹿さがいい感じに思えるくらい、生き方が変わるのであれば、作者の精神性が乗り移るすごい作品ゆえに、陶芸なんかよりよっぽどアートなんじゃないかな〜。「アクセサリー工芸」というネーミングの問題か、実用的すぎるのか。バングル=チンピラっぽいみたいな図式がいかんのか。
 アートでなはいかもしれないが、まあ良く解らんが、すごい作品です。

 最近美術館系の本を読むと、アートとは何かと、ちょっと思う。意図的な作品もしくは行為があって、人の気持ちを揺さぶるものは、みなアートである。というと、「じゃあ何か?中州でおねーさんが「ステキなおにーさん、私イマ暇なんだけどお酒おごってくれない?(←最近はこう誘うらしい)」ってのもアートかい?」と突っ込まれると返す言葉につまる。あれってドキドキするしね。
 しかし一方、美術館の前で行うダンス・パフォーマンスがアートであって、中州「アカデミー」のフィリピン・オカマの出し物がアートではないという、明確な区別は出来ない。
 つまりアートの定義は、人によって異なる、いわば雰囲気のように不明確なものであると言えよう。もちろん、私個人は世間体勢の評価にイチャモンツケル気はまったくないが。
 しかし業界では、いまだに村上・奈良とか、アートとして定着しつつも、どうよ?とか話になっている。その前に家具デザインはアートであっても、インテリア・アートの絵はアートではなかったり、難しいものです。
 しかし、実はみんな腹の中で「高尚なもんがアート」という、意外と田舎っぽい基準があるんじゃないかなと思ったりする。
 ちなみに、反権力・反体制で時代遅れな私はやっぱり単純に、エモーショナル度で選ぶとします。ポン引きアートもありってので。
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