アート織田の週末画廊日記
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2004年6月29日

タイトル: なし
作家: 久保由加理
場所: なし


個人蔵

 世の中には1本の線でものがいえる人間が居る。日本画の世界はたいていそうだ。
 洋画みたいに、上塗りしながらというものではない。その上、紙にしみこむ速さがあるので、さらに線を引く速さの加減までが要求される。
 銅版画というのも修正が効かないという点では一緒だ。緊張感と集中力では、鉛筆のデッサンとは、かけはなれているはずだ。
 しかし久保さんの作品には、そこまでの緊張感が感じられない(線がゆるいから)。よく会議中の資料に落書きしたりする人がいるが、どちらかというと、それに近い。しかし、それと明確に違うのは、それがちゃんと作品になっているからだ。
 無心さ。無心だから生まれてくるおおらかですばらしい線。
 日本画の世界では、円だけを描くジャンルがあるが、銅板におけるそれであるなら、それはこんなもんだろう。


 私はねじり鉢巻きで、物事をこなすのが嫌いだ。努力するなら少し外した所で努力したい。表面上余裕ぶっこいて構えているのがいい。ハルカリとかも好きだ。
 もっとも私の場合は無心とかじゃなくて、あくまでポーズであり、カッコであり、生き方だ。単に虚勢を張っているだけかもしれないけど。
 そこが天才と、そうでない人との違いだ。僕は百回練習しても、この線のレベルに達しそうものないので、最初から絵は描かない。
 だけどすべて二流、器用貧乏の天才の私は、この才能を羨む事はすまいと思う。
 私にとっての無心とは、この絵を好きになり、書いた人をすばらしく思うこと。それくらいだろう。

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